「たっだいまー」


カギが開く音と一緒に、銀時のくたびれた声が聞こえてきた。待ってました、とごちて、よく知らないテレビ番組を見て暇を潰していた私は椅子から立ち上がり即座に玄関口へと向かった。彼は声と相違なく、疲れた顔をしていた。



「おかえり!今日遅かったね」
「あー疲れたー」
「はい鞄持ってくよ、貸して」
「おう、なんだか今日は気が利くじゃないの」
「今日だけじゃないからね」
「頼むわ」


笑って靴を脱いでから、窮屈そうにネクタイを緩める銀時を見届けて先にリビングに戻る。頑張ってるんだなぁと今更にしみじみ思う。鞄はやけに重たくて驚いた。それを置いてからテーブルを見るが、やはり料理は時間が経って冷めている。当然のことだけれど近頃こういうことが多いのでなんだか切ない。料理の腕は上がったはずだから、今度こそ作り立てを食べさせてあげたいと思いつつ、いったん料理を下げる。


「先にお風呂?」
「あー、そうするわ」

手を洗ってから銀時がリビングに入ってきた。スーツを受け取り、元の位置に掛けておく。少し目を離していたその間にパンツ一丁になった銀時が、バスタオル片手に風呂場へ向かう。その背中は何時にも増してお疲れらしいとわかる。今日の仕事はハードだったのかなと推測していたら、シャンプーが切れていたことにそこで気が付いて急いで私も風呂場に向かう。詰め替え用の袋を片手に扉を開けると、彼はぎゃあと叫んだ。ははっ。


何度思い出しても笑えるあの顔と声に笑いながらリビングに戻り、料理をレンジの中に入れておく。自分の分の食器は洗い終わり、することも特にないので椅子に座ってぼーっとしていたら、突然風呂場から微かにとんちんかんなメロディーの鼻歌が聞こえてきた。久しぶりに聞いたそれは落ち着くというか、聴いていると不思議と眠くなってくる。しばらく頬杖をついて耳を傾けていたら、知らず知らずにうとうとしていていたらしい。ブオンブオンというドライヤーの音が離れた所からしっかり聞こえてきて、その時ハッと目が覚めた。うっかりしていたとすぐ焦って口の周りの涎を拭ってから洗面台に行くと、鏡越しに目が合い私に気付いた銀時が楽しげに笑っていた。大きな声を出してわざわざ話しかけてくる。


「寝てたろ」
「……」
「涎」
「さっき拭いたもん」
「垂れてたのかよ」


鎌をかけられた。その上それを逆手に取ろうとして自爆した。恥ずかしさで顔が真っ赤になるなんてことはなく、うっさいと言って、けたけた笑う彼につられて私も笑った。戻って急いで晩御飯を温め直そうとすると、シュウンと電源を切る音が聞こえて、彼はコードを巻いて片付けていた。落ちた髪の毛を片付けるのも言わないとやらなかったのに、今では普通にこなしている。まるでわが子の成長を見守る母親のような気持ちで、私はなまぬるい眼差しで彼を見ていた。

「今日後輩に、ネクタイオシャレですねって言われた」
「わ、本当に?」


銀時には、私が選んで毎朝結ぶネクタイ達を褒めてくれる素敵な後輩がいるらしい。「あいつ、ネクタイだけですけどねとか言いやがってよ。生意気に」と思い返すように、心もち誇らしげに笑う銀時を少し遠く感じた気がした。それでも矢張嬉しいものは嬉しい。立派にサラリーマンをやっている様子が想像できるようなできないような不思議な感覚だ。何年か前の私たちがなりたくてなりたくて仕方なかった姿に、今、凄く近づいているのだ。 銀時を置いて洗面所を出て、リビングで再び支度をする。


「ご飯あるよ」
「おー食べる食べる。あとよ、後輩にお前の事も聞かれたんだ」
「え、なに?なんて?」
「どんな方ですか、って聞かれた」
「へー。そういう時は、綺麗でしっかり者って言ってね!」
「って脅されてる、って言ったら笑ってた」
「なにそれやだ!早くも恐妻じゃん!」
「いやいや本当の事だろ!」
「……なんだって?」
「すいません」

考えていることは大差ないなと思って、ちょっぴり嬉しい。


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