※現パロ


誰かと視線がかち合っても、大きな通りでは当たり前なので気にならない。狭く人があまり通らないところではそうはいかない。道に転がる小石を拾って、少し考えて前方を確認してから投げる。道路にぶつかる音が静けさのなかでやけに響いた。月明かりに照らされた夜道を歩きながらこういうことをするのはわくわくする。こっそりと実はやってみたかった事が出来たときは気分がスカッとして爽快だ。大きな月と街灯のおかげである程度明るく、この帰路もあまり心細さがないので余計な心配をしなくて良い。お気に入りの通勤かばんを振り回し、踵を鳴らして歩くのも忘れてはいけない。ぽつぽつと小さく静かにしているより何倍も気が晴れる。今日、ストレス社会の荒波に揉まれる私はそうするのが癖みたいなものになっていた。ただの帰宅途中に一人でこんなに楽しんでいるのがふとおかしくなって、思わず頬が緩む。気分のままに呑気にたらたらと歩いていた。
そんな時に後ろから近づいてくる革靴と思わしき足音が耳に入って、はっと我に返る。こういうことはよくあるので、慣れている。何を考える間もなく急いで進んだ。鼻歌を歌っていたところに後ろから追い抜かされたとき、つまづいたあとに通りがかった人と目が合ったとき、縁石を跳んで踏みながら歩いているのを見られていたと気づいたときのような、あのえもいわれぬ恥ずかしさはできれば体感したくない。そそくさと早足で進む私に、後ろの足音はそれでも更に近づいてくる。この速さは男か、と冷静に考えてから妙に怖くなった。振り向こうかなとも思ったが、急に振り向いて結局何ともなかった場合もそれはそれですごく嫌だ。なので、やはり結論としては走るということに決定した。駆け出した私のばたばたした足音もなかなかだ。駆け出した私は家の前に着くまでに、勤め始めてから急降下した体力を総動員したので息が切れていたが、それもなんてことはない。これでたとえ後ろにいた人 が何でもない只の善人であったとしても、私は恥ずかしくないし何の問題もないからだ。安心して、だらだらと暗いアパートの階段を上った。カンカンという馴染みの音が心地よくて少しだけ目を閉じた、その一瞬のすぐ後に、私の心臓は一回転する勢いで確実に大きく跳ね上がった。

「すいません」

ななめ下の方向から、低い声がする。ついつい反射的にそちらに顔を向けてしまって、まずいと思ったがそのまま声の主と目が合う。正しく言うと、合っている気がする。ぼんやり見た感じはただの会社員で少しほっとしていると、「やっぱりな」とその人はこちらを見上げたまま軽く笑いながら言った。訳が分からず危機感を感じて頬を引きつらせる私をどう思ったのか、相手は無言になる。背筋が凍るような気分で私が身動きが取れずにいるところに、追い打ちをかけるように男性は口を開いた。「俺だ。土方、土方十四郎」いきなり発された名前に聞き覚えがありすぎて困惑する。「…………え?」なんてやっとの思いで一音だけ声が出たけれど、まぬけすぎて情けなくなる。「風紀委員だったろ」と言われて漸く本人だという確証が持てた。その途端に、一気にあの頃の思い出が甦ってくる。

「あの…もしかして副委員長ですか?」


恐れ多い相手にも関わらず、なんだか懐かしさの方が頭をもたげてきた。「風紀紊乱だ!」といちゃつくカップルを鼻息を荒くして取り締まっていた委員長も色濃く記憶に残っているが、副委員長の怖さだって忘れたわけではない。それでも、あのときより流石に大人の男性の落ち着きが見てとれる。確か、彼はいいとこの大学に進学して都心の方へ引っ越していったという話だった筈だ。


なぜ、という私の気持ちを読み取ったように、先輩は一人頷いたあと、少しこちらに近寄った。明かりに照らされて顔が幾らかはっきり見えるようになって、この状況が漸く現実味を帯びてきた。「春休みの間だけな、帰ってくることにした」と、高校時代の印象からはかけ離れた優しそうな笑顔になっているのを見て、少しどぎまぎする。驚いた私が瞬きをしていた間に先輩は私に背中を向けて既に歩き出そうとしていた。

「まあ、それだけ。お前も頑張れよ」
「は、はい!頑張ります!」
「それじゃ、またな」
「はい。おやすみなさい」
「あ、忘れてた」

見送っていたはずが、先輩は道の途中でこっちを振りかえって歩みながら私を軽く手招きした。急いで階段を降りて駆け寄ると、土方先輩は胸ポケットから名刺を取り差し出す。私も即座に自分の名刺を渡して、社会人らしく振る舞うことができたと安堵する。「また会うかもな」と軽く微笑んでくれる先輩は、副委員長をしていたあの頃より少し優しくなったなぁと思った。手を振り去っていく姿がなんだかぼんやりしてくる。何回も瞬きして、それから私も帰路に着く。自分なんかのことを覚えていてくれたなんて、ちょっぴり感動もしたのだ。





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