君が云った言葉とか、昔の写真とかは、私にとってとても大切なものであります。道の真ん中を歩くと、どでかくて騒々しい化け物に弾き飛ばされそうで、私は端っこを歩きます。
 でも、野の花を踏まないように、そろりと爪先立ちで歩きます。背も高く見えて、一石二鳥だというと、あの子は小馬鹿にしたように笑いました。「お前も同じか?」。私には何のことだかわかりません。そうやって、自分だけが違う、と言うかのような口ぶりは、あの子の悪い癖です。







「なんさ、これ」

書庫には戦争の記録、歴史が載っている文献や、世界の地理、語彙を深める為の資料、古ぼけたにおいが立ち込める様々な本が置いてある。ホームの中で、きっと俺が一番長く過ごす空間で、ブックマンとしていくら読みあさっても、この部屋に在る総てはきっと読み切れない。しかし俺は、そんな義務化したような情報の取り込みを一時止め、ぽつんと置かれたそのノートを、首を傾げるのも忘れて眺めた。

真新しいノートの表には、『常套』と記されてあった。とぼけているような雰囲気の丸っこい字体にそぐわない単語が異質で、なんとも不思議な感じがした。手に取って開いてみれば、最初のページに冒頭の文章が書き連ねられており、あとは白紙。これは誰かの心の声を書き表した文章なんだ、と思った。漠然と。空中楼閣と切り捨てられるかもしれないが、俺にはその人物が誰なのか、拠り所が無い確信をもっていた。見当が着いていた。遠回りな表現のようで、ちゃちで何かを滲ませてるありがちな雰囲気が、逆にわかりやすい。だから、そんなら古い新聞から過去を取り込むいつもの作業の方がよっぽど難しい。こんなものは総じてくだらないな、と馬鹿にした。切り捨てようとした。



比較的静かな廊下をこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえる。幸を求めて、平和を求めて、悪と戦う為に、或いは記録する為に、どちらにしろ気配をよむというのは大体出来なければいけないことらしい。命も守れる。俺は黙って、その人がやってくるのを待っていた。




「あ、ラビ」


頼りなく扉の開く音がして、冷たい空気が部屋に混じる。思わず背中が震える。それも一瞬で、直ぐに元の古めかしいにおいがまた鼻孔をくすぐった。予想していたその人物は、佇む俺を見つけてもさして驚きはしなかったようだった。今日も寒いさね。とりあえずそう言うと彼女は「うん」と言って目を合わせた後、俺の手元に視線を遣った。


「そのノート」

「え?あ、これ」

「中身見た?」


返答を曖昧に濁らせる俺から、彼女はくすくす愉しげに笑いながらノートを優しく奪い取った。俺はそれをじっと見ていた。なんのつもりだ。いつの間にか目つきが悪くなっている気がして急いで直す。


「これは私の」

うわぁ。そう言ってやりたかった。わざとらしいぐらいに憐れみを乞う感じが、最悪だった。これが普通なのかもしれないが、腐りかけの目じゃどうしてもそんなの良くは見えなかった。アレンならきっと優しさを詰めて取り合ってくれるからそっちに行けばいいし、俺にこういうのは無理だし、やめてくれって思った。小説を媒介にして感情を伝えた気分は俺にはわからないしわかりたくもない。フィクションはあまり読む必要も無いし。「いつ書いたんだっけ」そんなの知りたくもない。俺は何もしてやれないし、してやらないのだ。

「…へえ」

話の内容は、幸せそうに見えて実は主人公は孤独だとか、そういうことを言いたいんだろうと思えるものだった。わかっていたけれど、こういうのは好かない。でも、自分でそう思っておいてどうにも後ろめたさが残るのは、どういうことだろう。つまり矛盾ってことだ。
だから、見えない誰かの見えないナイフが喉に突き立てられている幻想をひっぱってきて、仕方ないことにする。中立でいて観て記録する以外、何もしないのが俺なのか。自分が自分でわからないなんて莫迦みたいだろう。よく言われるんさ、ブックマンに心は要らないんだと。それでもって時代の英雄には心が必要だから、俺はなれないし、だからといってなりたいなんてことも無かった。

「どうなん?自分で書いたの自分で読む気分って」

「うーん」

「俺だったら恥ずかしいね」

意地が悪いことを言いながら考えてみる。俺を見ても驚かなかっったのは、俺が普段からここに入り浸っている事を、把握していたからじゃないのか。だったら、故意に置いたのかもしれないし、でも、やっぱり最初からそんな気ないのかもしれない。「俺に何かを伝えたいの?」「気付いてほしいの?」そういう無言のごちゃついた考えが頭を支配する。思い上がりも程々にしろと、俺の頭を叩いて叱る人がいないから、わからない。

「ははは、我ながら字が汚い」

彼女はゆっくりと椅子を引いて腰掛けた。双眸を軽く伏せながら、慇懃にその表紙をめくる姿は、俺の呼吸をしばしの間止めた。我ながら安直だから情けない。我に返って、頭を振って、言葉を繋いで息が出来た。

「あ、そういえばごめんさ。見ちゃダメだった?」

「ううん、全然」

今更のように言ってみて、返されたことばのけろりとした言い様に思わず茫然となった。必死で縋るのかと思ってた。見たんだから責任とってよ。私はさみしいのよ。孤独なのよ。助けてよ。そんな風に手を伸ばされなかった事がやはり意外で、少しだけ拍子抜けした。彼女はそんな俺の方を見ないで、手元のそれを眺め続けている。
俺は、なんだか重い足を動かして窓際へ歩む。まだ今は明け方らしい。埃を被ったカーテンと一緒に開いた窓からは薄明が入り込んだ。ブルーアワーっていうんだって、本を読んで知っていた。確かな情報は俺を生きやすくするので大分慣れたものだった。

「世界のせいにしてる」

「かもしれないね」

「アンタがそういう奴だったなんて、今まで気付かなかったさ」

「ごめんね」

「…なんで俺に謝るんさ」

儚げに笑う姿に苛ついた。感情的にぐるぐる思ってみたりして、それって結局エゴじゃね、完。みたいな。そうやって、いつも俺は落ち着いている。だから今だって謝られた理由を考えて何故だか申し訳なく思っている自分がとても嫌でいらいらした。俺はブックマンだ。自分に言い聞かせてみる。

「…続き、書かんの?」

「うーん」

「…」

「いつか書く必要が出来たら、その時書くかもしれない」

彼女は模糊たる口調で、虚空を見ている。どことはつかない。その時か。それっていつ?俺に見てほしかったりする?これについて詰問しても、答えてくれそうではなかった。なんて、決めつけて諦めて終わりにした。白い指、東洋の血を見事に表すしなやかな黒色の髪、真っ黒い眼。この体だって将来いつか、棺桶に入る時が来るのだ。綺麗なのに、もったいないね。明日かもしれないし、何年も先かもしれない。この世に、此処に、もしも魔法使いが居たら戦争だって無いかもしんないさ。無理だって、ねえ、俺はこっそりわかっているつもりだ。

「弱くないさ」

「ん?」

「お前は」

「ラビ?」

「…」

やっと顔を上げた彼女が不思議そうにこちらに声を掛ける。インプットされた事が多すぎる。そんなの今更だ。頭の中を掻き回しても、現有している中に続ける言葉が見付からなくて俺は口を結んだ。混乱してエラーが起きているのとはちょっと違っている。脳の引き出しを引いたり押したりして、手当たり次第に探って、余計なものが辺りにぐちゃぐちゃと散らばっていたのだ。

「やっぱ、なんでもねえわ」

頭を掻いたら余計に虚しくなった。こっちからは手が伸ばせなくて馬鹿馬鹿しくなった。彼女に、人々に、それぞれに潜む闇から助けだせたら変われるかもしれないが、変わりたい訳じゃない。俺ってこういうのが多いなって思った。うん、なんか、端から見たらカワイソウなんかなあって、じじいはそんな事無いっていうに決まってんさ。平和、真実、悩み。咀嚼しても結局は胃で溶けきらなかった。いくら言ったって、しょぼい言葉じゃ届いていかないのだろうと思う。長々しく伝えても、いつか別に生きる俺の台詞なんて相手にとったらお飾りだろう、と思う。全然楽しくないけれど、コピーしてペーストして、皆が同じ考え方なら楽なんさ。って考えると、革命家とか、王様とか、色々そういう奴らの、気持ちがわからんでもない。

「あんな、鍛練する時は、俺が付き合うから」

魔法の言葉なんてない。しかも、いくら塗りたくったって交じることはないみたいだ。そうらしいんだと知っている。だけど、ひそやかに伝え続けたい。この気持ちは本心なのか、つくりものなのか。はいエゴ入りましたー、って他人事みたいに考えながら言った。自分がわからなくなりそうで、既にわかってないじゃんなんて考えなおして、ちょっと笑ってみたりした。

「有り難う」

過去はきっと大事だ。それに、周りの目は気になるし退け者にされたくないし、でも誰かを退け者にしたい訳じゃないし、少しはよい人って思われたいんだ。しかも、簡単に周りと同化したくない。

「私は変わったの」

「…ふうん」

そういう事言う奴って、たいてい何にも変わってないんさ。そう言ったら、あんたはどんな顔をするだろう。


/10.09.24



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