「タコが足りひん」
そう呟いた白石が、私を見て、暗い声色でもう一度同じことを言った。

「は?」
「せやから、足りないのや」

せっせと段ボールに荷物を詰め込む私の作業を手伝うでもなく、むちゃくちゃうまいタコ焼きを作ってやると言い放たれたのは何十分前だったか。がちゃがちゃと勝手に一人でやっていたようだったのだが、ついに顔から輝きが失われてしまった。


「生きとる?」
「もう何も信じられへん…タコさん…」

えらい張り切ってたんちゃうんか、おい。完ぺきなんちゃうんか。綺麗な顔をうらめしげな表情に染めて睨んでくるのだが、私に非があるとは思えない。やる気の欠片も見受けられない。頑張れよ。おい。


「ちょ、なにその目」
「で、なんでや?ほんまのこと言うてみ、怒らへんから、な?」
「意味がわからんのやけど。私忙しいっちゅうの」
「なまえがタコさん食べたんやろ?」
「なんでや!」



思わず服を詰め込む手を止め、白石を見上げる。時間に追われ、ますます短気なところにいちいち絡むこいつがうざったい。今日はさらにひどい。その理由がなんとなく察することができて、悲しいとも切ないとも言えない気持ちでいっぱいになる。


「それは、お前だからや」
「白石の中の私って一体なんなん…食い意地の塊とでも思っとんのか…」
「なん、冗談や冗談。ほんのイケメンジョークやん?」
「どついたろか」



口では威勢よく言ったが、実際に私にそんな暇はない。白石をどつく時間的余裕があったなら、今頃こいつはたこなぐりや。たこだけに。自分でちょっとだけ笑ってしまって虚しい。

「なあ、やっぱ手伝う?」と聞かれて「おとなしくタコさんと戯れててください」と拒否したはいいが、いやがおうでも焦る手が、自分に、いよいよなんだと思わせる。大阪で生活できる時間が残り僅かになった今、思えば早かったなんて感傷には浸りたくない。できることなら、爽やかに立ち去りたい。

再び作業に没頭する中、人間に腕が十本あればよかった、と半分弱くらい本気で馬鹿なことを考えた。これはいる、これはいらん。これは、いらん。「手伝いは?」いらんっちゅうねん。




#


玄関の方から音がした。そこでハッと気がついて改めて部屋を見回すと、しんとして日はだいぶ暮れていた。部屋には橙の光りが差し込んでいたが、白石の姿は見当たらない。

のっそり立ち上がり、随分さっぱりしたリビングから玄関に向かってみる。いちいちの動作が感傷的になるスイッチを押しそうで困る。此処とも、もうすぐお別れか。
玄関を見ると、白石が座って靴を脱いでいた。いつの間に買い物に出ていたのだろう、少しふくらんだレジ袋がある。買い物にはエコバッグ持ってけっちゅうの。言えば貸したのに。


「白石」
「お」

なんだかふと、久しぶりに白石の背中を見たような気がした。



「おかえり」
「ただいま。荷物はもうええの?」
「ああ、まあ大体な。白石は、買い物行ってたん?」
「おん。てことで今から再開や」
「疲れたー腹減ったー」
「待っとけ待っとけ」


白石のレジ袋を持とうとしたら、ひょいっと簡単に奪われる。「出来てからのお楽しみや」と言ってすたすたリビングの方へ歩いていってしまった。なんや、怪しい。立ち止まったまま暫く考えてから、変なもんを入れようとしてたらしばこうと決めて追いかけたら、白石は手を洗ったらしく指の水を私に飛ばしてきた。うざったい。


「まあとりあえず生地はできとるし、あとは焼くだけや」
「ほう」
「なまえ、荷物はええんか」
「しつこいわ」
「ほんまに、引っ越すんやな」
「は?今更何言ってん」



今更な発言に、眉間の皺が寄る。ほんまのこと以外に何があると、改めて言うのも可笑しいくらいだ。私だって、今までの暮らしは思えば短かった。だとか恰好付けて言ってみたいけれど、私にとって大阪での生活は、礎となり糧となった大きなもので、決してあっという間の日々ではなかった。だから、この決断は一大事なのだ。ほんまにほんま以外に何もない。一日一日が濃かった。周りにいる人間も濃かった。白石しかり。そんな関係が活かせるものなのかは全く自信がないが、まあいいだろう。



「なんかなあ…」
「じろじろ見んといて」
「やっぱ、お前でも居なくなると思うと寂しいやんな」
「へーへー」
「むかつくわー」
「てかはよタコ焼き作れや」
「なまえには情緒っつうもんがないんか」


そうは言っても、いざ始めれば、油を敷いて生地を流し、てきぱきと作り始める。コップとお茶を用意しながら、なんとなくしんみりしてしまう。餞別。今日がここでの最後のたこ焼きか、なんて思うんだから私にもしっかり情緒っつうもんはあるのである。白石が寂しがるとは思っていなかった、というのはうそだった。


「きっと泣かへんのやろな、白石も」
「さあ、俺は涙までもが完ぺきやからな…どないしよかな…」
「別れのときくらい出し惜しみすな!」
「あ、ほら、ええにおい」
「ほんまや」


もう少しだけ、いつもの会話をしていたい。そう思っていると、時計の針はすっかり速くなってしまった。



110722


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