※現パロ


いわゆるお隣さんだった。ただ、彼が自分の隣人だという、たったそれだけのことで有頂天になれる程に見目がよろしかったのである。名前はラビという。洒落たいまどきの青年だが、独特の訛りがあって親しみやすい人だった。そういえば、どこの出身かは聞かなかった。

「えっと………」
「びっくりさせたならごめんな」

先ず、事の成り行きというものは簡粗で、私がおおよそ一方的に親善を深めようとして近づいただけである。人間なんてそんなものだと思う、と開き直るのは簡単だったが、私がまるで悪人みたいな気になる。以前彼が、「下心でしか人は近寄ってこない」とぼやいていたのを聞いたときは、思わずとも背筋がぎくりとした。ごめんなさい私も粗方例に漏れずその一人です、とは言えずに、ご飯を一緒に食べたり、一緒にお買い物をするくらいには仲良くなった、現在に至る。


「いや、ずいぶん、………いきなりですね」
「まあ、ちょい前から考えてはいたんさ。そろそろかなってな」


でもなんだか内心、とても惨めだった。それでも私が彼を避けるのは違う、と誰かに言い訳するように一人で考えて結局私は彼に近づくことをやめなかった。ただ、そうして分かったことがある。彼の心は思っていたのより手痛い荒みようだったということだ。明るく見えて、ずいぶんと皮肉を言うこともあった。そして彼は前向きなのか後ろ向きなのかどちらともつかない言い様をすることも多くて、「仕方ない」が口癖だった。

「いつかきっと、生きてりゃまた会えるさー」


もう一つは、彼は話がうまいということだ。彼は本を沢山、ほんとに沢山読むらしく、語彙が豊かで人を惹きつける喋り方をするのだ。ラビさんの話はきっと誰が聞いても面白い。新聞もしっかり読むから時事ネタも豊富だった。それに料理もうまい。

そうして振り返ってみると、思っていたよりもラビさんとの思い出は多かった。たくさんだった。ただの、お隣さんだったのに。
やっとのことでそこまで知れるぐらい関われたのに、それなのに、彼は近いうちに引っ越すんだという。

「そんな悲しそうな顔すんなって」
「……え?あ、いや、はい」
「ハハッ、おい、悲しくなんかねーよってか?このやろ」 
「いやいや!」

ブンブンと首を横に振る。一緒になんとなく立ち寄ったはずの喫茶店で、まさかいきなりそんなことを伝えられると、思っていなかった。心に冷たい風が通った気がしただとかなんだかくさい言い回しがぴったりな心境だった。信じられないことのようで、実際こんなこといくらだってありえたのに。今にもかぜを引きそうな私の目の前で、彼は綺麗に笑った。


「いままで仲良くしてくれて、ありがとな」
「……こちらこそですよ」
「なかなかに寂しいもんさね、もうすぐここにも来れなくなるんかぁ」
「ラビさん、あの」
「ん?」
「もうすぐって、いつなんですか?」
「んーどうかな、まだ未定」
「…そうですか」
「お、それにしてもアンタやっぱきれいな手してんさねぇ」


結局私の言葉には詳しい返事をせず、私の手をとりながらしみじみと言った。なんともないように触れたごつごつとした手の感触に、妙に鼓動が早くなった。
それでも小さく耳に入ったその言葉だけは、しっかりと覚えている。指も短くて、爪も丸い、お世辞にも綺麗とは言いがたい私の手をとって言ったんだ。


「大事にしなきゃダメさ」


彼は数日後、忽然と姿を消した。朝、扉を開いてもあの朗らかな挨拶が聞こえないことがどんなに悲しかったか。いまや、私に料理を教えてくれる親切な隣人はいない。今日も目覚めて、朝食は自力で考えなくてはいけない。当たり前か。右側の隣室には、もう誰も居ないのだから。布団を畳む自身の手に眺めるように目を向ける。貴方が居なければ、褒めてくれた手だってただの手だ。それでもこの二本の手は、どうか死んでも大事にしようと思うのは、きっと理屈では説明できない。



「好きって、言っちゃえばよかったかなァ」軽やかにかわすように笑う彼の姿が、かんたんに脳裏に浮かぶ。ついて出た大きな独白は、いつかの彼の言葉とは違ってただただ耳を素通りしていくだけだった。。畳み終わった布団を押し入れにぐっと、ぐっと押し込む。そうしてから、いつものように思い切りベランダの窓を開く。


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