※社会人


いつの日かお揃いで買ったマグカップに注いだあついコーヒーを、ゆっくり啜る。砂糖もミルクも入れないで少しだけ飲んでみようと思っていたけど、一口目で挫折した。大人になったらきっと苦いブラックコーヒーをそのまま飲めるようになるんだと思っていた。現に、精一はたまにコーヒーをブラックで飲む。大人になったら。そんな風に期待していたのは私が子どもだったからだ。砂糖もミルクも入れて、よくかき混ぜる。見慣れた色になっていくのを眺めながら、ため息をついた。最近の私はこの生活に慣れ始めている。 やっぱり、精一を頼らざるを得ない。そのことがどうしようもない痛恨の素となっていた。窓から涼やかな風が入ってくる。彼にどう切り出そうか。やっとこさ糊口を凌いでいた私に今のいたれりつくせりの生活はとてもふさわしくない。そのうちに働くことも、忘れてしまう。


「忘れちゃえばいいじゃん」

前に話をした時彼は冗談だよ、と軽く笑っていたのを思い出す。眠る前のコーヒーはあまり良くないと聞くが、ぐっとマグカップを傾けて少し冷めた中身をごくごく飲む。窓辺のやけに緑が濃い観葉植物を眺めていると、ゆっくりと、しかし確実に時間は進む。



玄関の扉が開く音がした。その音は、私には散漫な脳内議論の、ようやくの決着の音に思えた。近所のコンビニまで出掛けている精一が、帰ってきた。私は、きっぱりと心を決めたのだ。

「おかえり」
「ただいま」
「あのさ、」
「ストップ」
「……へ」


出端をくじかれた私の呆気にとられる顔を笑う訳でもなく、やたらと真面目な顔つきで彼はこっちを見た。うっすら笑みを浮かべたあと、平手をこちらに伸ばして、精一は制止のポーズをとった。彼にしては珍しく、ふざけているのかなと思った。


「アイス食べてからにしよう」
「え、ああ」
「こたつ電源入れて」


レジ袋をぽんと手渡した彼は洗面所に向かったらしい。腕に引っ掛けてキッチンに行きスプーンを持っていく。言われたようにこたつの電源をオンにして、こたつの卓の上に袋から取り出したカップアイスを置いた。座ってこたつに入ると、じんわりと足先から暖かさが染みていった。何か忘れている気がする。身体中に熱が回ってきたあたりで、精一に言おうとしていた事を思い出した。ふいに隣に、背後からやってきた彼が体を潜らせた。


「これがおいしいんだって」
「へえ」
「どっちがいい?」
「私はいいよ」
「なんでよ、二人で食べるんでしょ」


左右に首を振ると更に虚しくなった。人は愛がなくては苦しい。けれど、金が無くては生きていけない。よく言う究極の二択ってやつだ。とても悔しかった。悔しいといいながら、幸村精一に生かされているというこの状況を抜け出せなかった。違う、抜け出さなかったんだった。


「どうしたの」

このアイスだって当たり前だけれど金が無くっちゃ買えなかったわけだ。何かをして貰うたびに、私は精一から少しずついろんなものを奪っているのだと思い当ってじきに考えるようになってから、ろくでもない私に更に自分で気が付く。深刻そうな顔をして、横の彼の目を見た。精一は黙って私を見詰め返した。無言で見詰めあうのは、しばらくぶりでどきっとした。


「……私はもう何も貰いたくない」

ああまたか、というように精一はため息をついた。

「それってさ、とんだ贅沢だよ」
「……わかってるんだけど、でも」
「そんなに貰いっぱなしってのが嫌なら、返せるようになったらゆっくり返してくれるかな」


ああまたか、私も真似してそう思ってみた。精一は泣き言を言うことがない。まだ見たことがない。その代わりに、私は何度も同じような弱音や泣き言をいった。その度に精一は結局やさしかった。今もだ。


「ごめん、精一」
「がんばれクソニート」
「……うん」

また、甘えてしまった。自覚があるだけましだとは到底思えない。かっこいい精一は私を横から抱きしめる。ひと肌の温もりまで伝わってきて、なんだかいっそ熱いくらいに暖かい。少しだけ溶けたアイスをスプーンで掬って、彼は私に差し出す。パクっと食べて口の中からスプーンが出て行った次の瞬間、精一は顔をぐっと近づけて、驚く間も無しにその舌は甘い口内を攫っていった。


「あまいな」


精一は笑って、私も笑った。 いつだって自立するために、ずるずるとあらゆるものに依存しながら生きている。


12.12.13


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -