早く帰りたい。そんなことはさっきから考えている。考えすぎて考えすぎて、頭がおかしくなりそうだ。委員会には所属していない私には、カレシを待つ時ほど暇な時間は他に無い。
「あーあーあー」
「オイうるせーぞ」
まだかなまだかな、なんて先生用のキャスター付きの椅子で汚く散らかった国語準備室をぐるぐる回る。気持ち悪くなる前に止まって、背もたれにだらんと上半身を預けた。あーあ、帰りたい。先生が、イチゴ牛乳をずずっと啜る音は絶えない。この教師はいつ働くんだろうとぼんやり考えて、まあ銀八だし仕方ないという結論に落ち着いた。
「風紀委員の仕事、まだやってんのかな」
「良いじゃねえの。沖田君珍しく真面目に働いてんだからよ」
「それはそうだけどもー」
「なに、早くこんなオッサンの所去りたいってか?まだ俺ァ20代だぞ?」
「いや、言ってないし」
「うわあ近頃の女子高生は冷たいねーヤダヤダ」
「黙りましょう先生」
ひとりで盛り上がっている先生はなんだか楽しそうで、良かったね。ふと窓の外を見上げると夕焼けが目に眩しかった。冬は暗くなるのが早い。ストーブが点いている準備室は暖かいけれど、廊下はきっと寒いだろうなぁ。冷たい空気を思い浮かべただけで、ここから出るのも億劫になる。
「もう完全下校時刻だしそろそろ終わるんじゃね?」
「んー…教室行こう、かな」
ちゃっちい雑談も終わり、私は「じゃあ行くんで」と椅子から立ち上がる。時間つぶしに付き合ってくれたささやかなお礼に、とポケットを漁って、入っていたキャラメルを先生の手に乗せる。
「これだけ?」
「いらないなら良いです」
取り上げようとすると、慌てて包みを取り自らの口の中にほうり込んだ。キッと睨み付けた。あげなきゃよかった。
静かな廊下を音を控えめにして歩く。何歩か進んでから、私が来たってわかってもらえるようにと思い直して、わざとらしく、バタバタと少し存在感を出す歩き方に変える。要するに騒がしいだけだけど。見据えた先には、教室から出て来る総悟がいた。ナイスタイミングだ。おおい、手を振れば軽く挙がる彼の手。悪ィ待たせた、と伸びて届く声。
「ひとりで待ってた?」
「ううん、銀八と話してた」
「前もそうだった」
「そーだっけ?」
そんなんどうでもいいでしょ。私と銀八が男女の関係なんて有り得なさすぎてもはやネタだよね。あほくさい。しかし、帰ろう、と総悟の腕を引くもびくともしない。何故だ。華奢なふりして男の子だなあ、なんて思うが、今はぜんっぜん嬉しくない。
「おいおいヤキモチかい坊や」
「……」
なんてからかっても無反応で虚しい。悲しい。さっさと家に帰って録画されている筈のドラマを観たくて、私は少しそわそわしていた。次は最終回だって言ってたから余計にだ。あのヒロインが浮気しちゃうとこで終わったんだったな、確か。
「……もしかして、わざとやってんのか」
「え?」
「もう良いでさァ」
「何が!」
ドラマの内容ばかり頭にまわっていた私は、ますます意味がわからなかった。叫ぼうにもこんな時に限って大声を出すのに躊躇われる。なんで、私やましい事なんてひとつもしてないのに!総悟はすたすたと私を通り越して、廊下を歩いて行ってしまう。動けない私は展開が早過ぎて思考回路さえ追い付けない。とにかく追い掛けなければ…と気持ちを奮い立たせ追い掛けようと、足を一歩先に出した時だった。
ん、あれ?
総悟がさっとUターンしてこちらに向かってくる。戻ってきた。私は走り出す為に変に前のめりだった体制を直す。よかった。なにがなんだか益々わからないけど、一安心して胸を撫で下ろした。
「……おい」
「えっ何、え?」
「普通追い掛けるだろィ」
「あ、ごめん」
「察しろよバカ」
「ちょ顔こわいこわい」
更に苛々させた、というよりは呆れられたらしい。わざとらしい溜め息をひとつして総悟は少しずつ近寄ってくる。私が汲み取れない気持ちは、彼がいつもぶつけてくる。その勢いが良すぎて、たまに心が傷だらけになるのはどうしようもない。
「馬鹿かオメー」
「へ、よくわかんないんだけど」
「とにかく銀八とは話すんじゃねえ」
「え、えええ……」
「これは絶対でさァ」なんて言い終わると、髪を痛いくらいに掻き回される。それは無理でしょ担任だし、と冷静な脳の裏側でゆっくり膨らんでいた期待の念がぱちん、と弾けた。やっぱりヤキモチじゃねえか坊や。慣れない気恥ずかしさから俯こうとすると、頬にするりとつめたい指先が滑る。なんだか、やさしいな。想われていたんだ、なんて再認識して嬉しくなった。促されるまま頭をあげると、ちょっぴり彼の頬も赤らんでいる。それが差し込んでくる夕日のせいじゃなかったとしたら、そしたら、思わず飛び上がっちゃうくらい嬉しいんだけど。いや、大袈裟かな。どうだろう。
やさしい
10.01.31
10.03.26 加筆修正
企画「イロマキア」に提出