この時間、夕日が注ぐ窓側の席はなんだか暖かい。誰の席かは忘れてしまったそこをお借りして、携帯をカチカチといじる。まるでそうすることを誰かに義務付けられているみたいに夢中で操作しているうちに、端っこにキズが付いているのにふと気付いた。あ、こないだ落としちゃったんだっけ。爪で引っかいて直る訳も無いけれど、なんだかそれがやめられない。


「ふう」

このままじゃ溜め息が教室に充満する。重くて煩わしい、かわいらしいキーホルダーが揺れる。飾るだけのこんな邪魔な物を、自慢たらしく友達に見せ付けていた事が今、急にばからしく思えてきて、外すだけで良いものを、何となく紐からぶちりとちぎってしまった。なんとなくで破壊できるアタシ、女としてやばくね。冷や汗ものだ。


「またつまらぬモノを切ってしまった…」


どこぞの大怪盗の仲間のお侍さんのモノマネをしながら、鞄にしまい込み再び携帯をいじる。すると、後ろから聞こえたガラッというドアを開ける音でしんとした空気が壊れた。今の独り言が相手に聞かれていたらどうしよう、心配しながらも顔をあげ振り向くと、そこには担任である銀八先生の姿があった。校内の見回りだろうか。ラッキー。先生を見た途端に、お肌やら心臓やらが元気になった気がする。




「ひとりでなにしてんだ?」
「友達、待ってるんですけど。なかなか部活終わらなくて」
「じゃあ、暇なオマエのために先生が話し相手になってやろう」
「えええ!いや今忙しいし!」
「バッカ、携帯いじってんのに忙しい訳有るか」



「あー。これだから最近の若いもんは」と口をすぼめて言う先生にぎこちなく笑う。そりゃそうか。顔面の筋肉が引き攣っている気がしないでもない。嬉しくて仕方ないはずなんだけれど、なんだか二人っきりっていうのは物凄く緊張する。先生はこちらへ近寄って、怠そうにアタシの前の席に腰掛けた。そんな姿さえ絵になるなんて卑怯だ。非常に。


「あの。先生ってモテますよね」
「おだてても成績は上がんねーぞ」
「え!」
「本気で悔しがるなよ!」


綺麗に笑う先生が、こんなに近くにいる。お世辞じゃないのになぁとは思いつつ、すごく楽しい。同じ「おとこ」なのに、クラスの男子達とはまるで造りが違う。あんなうるさいゴリラも先生と一緒の性別だなんて、そんな事実は嘘だと思いたい。見惚れちゃいそうになりながらも、沈黙を生み出さないように急いで話題を頭で弾き出す。焦りながら話していることに、気付かれていたら嫌だな。他愛ない会話が続く。駅前に新しくケーキ屋さんが出来たんだとか、この前のテストのこと、とか。



「あの、B組のアヤちゃん新しい彼氏出来たらしいですよ」
「ほー。あのケバい子か」
「そうだけど、あの子先生にベタベタだったんじゃ」
「まあなー」
「なんか、先生はバリバリ化粧してますってのがすきっぽいですよね」
「いや違うし、俺は化粧濃いのだけはマジ勘弁……あ、これ内緒ね」



「生徒がするには別に自由だけど、いや、つっても校則の範囲で」と続ける声に僅かに肩を落としてしまった。慌てて相槌をひとつして、会話を繋ぐ。無意識っておそろしい。二人きりなんて、聞きたいことは絶えないし、こんなこと考えている時間さえ惜しい。同じ空間に居るってだけで胸がいっぱいになるのだから。



「トラウマになるような過去があるんですか?」
「……おいおい、教師の過去の恋愛なんて探るモンじゃないぞ女子高生」
「はは、じゃあ後悔する前にやめときます」
「そうそれでよし。――お?もう部活終わったみたいだぞ?帰んなくていーの?」


ちょっと、知りたかったんだけどな。もう時間が来てしまったようで、数分前まで遅い遅いと思って退屈していた筈が今はちょっぴり友達をうらむ。すまぬ友よ、人は恋によって幾らでも豹変してしまうものなのだ。だなんて、罪悪感を押しとどめた。窓の外に目をやると、カラスが一羽、傍の電線に留まって首をかしげながらこちらを見ていた。夕暮れだ。



「はい。もう行きます」
「おー。あ、そうだ、オマエ明日も放課後ここ残ってる?」
「え、た、たぶん」
「そしたらまた話し相手になってやるから待ってろ、な」
「はっ、はい!」



恋の悩みも聞いてやんぞー、と頭をわしゃわしゃ撫で付ける先生が本当に近い。思わず複雑な心境が渦巻く。うれしいような、むなしいような。悲しくはないのに苦笑いになってしまう。アンタのせいで悩んでるんだ、なんてまだまだ言えそうにも無い。これが現状だ。それどころか本音すらまともに出て来ないってのに、どうしよう。媚びなんて売れないし、正面からぶつかる、そんな自信だって無い。だけど、なんだか心臓がばくばく騒がしいのはいくら待っても止まない。先生の顔が少し驚いたような顔になって、また目が合った。何故だかぎくりとして、見透かされている感じがした。やばい、これ破裂するかも。そんな事を考えていたら、先生の言葉を聞いてもっと破裂しそうになった。



「かわいいじゃねえか、女子高生っぽかったぞ今の」

「か、かわっ!?」私が吃るのも咳込むのも無理ない、と思う。ナチュラル過ぎる。何ともない、気のない言葉だったとしても。こんなの聖職者の発言じゃない。いや、でも、超恥ずかしい。


「あら照れちゃった?」
「ちちち違います!さようなら!また明日!!」
「気ィ付けてなー」




鞄を肩にひっかけて、ばたばたと廊下を駆ける。緩む口元をセーターの片袖で押さえながら、足がもつれそうになるほど全力で走った。去り際に見た先生の心底愉快そうな笑みが頭から抜けない。これはだめだ、魔性だ。魔性のティーチャーだ。だからこそ、この思いは口に出せる気がしないけれど、仕方がない。キラキラしていて眩しい笑顔でアタシのこと、かわいいって言った。それでもって明日もまた話せる。ああもう、嬉しさのあまりにどうにかなっちゃったら、責任取ってくださいよ先生、なんて。こうしている私は、いつの間にか笑っている。精一杯で、楽しくて、苦しいのかもしれない。



盲目の方向性
10.02.04



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