冷蔵庫の中を見た瞬間、時が止まった気がした。大袈裟だなんて誰にも言わせない。それぐらいに私が受けた衝撃は大きいのだ。

「ちょっと聞いてもいいかね坂田クン」
「…なんですか」

怠そうに丸められた背中が憎い。銀時のいつもは頼れるその後ろ姿も、今はなんだかふてぶてしさしか携えていないように見える。広い背を無言でギリリと睨み付けるが、勿論反応は無い。


「プリンが無いのだけれども」
「ほー」
「プ・リ・ンが無いのだけれども」
「あー?んなもん知らねえよ!寝ぼけてる内に食っちまったんじゃねーの」
「…」


そんな筈はないのだ。私がくたくたの身体で女中の仕事を終えた帰り道、確かに買って帰って、冷蔵庫に入れたあのプリン。今日はもう疲れたからと翌朝のデザートに取っておいたプリン。忘れない。銀時は平時より三割増しでそこにふてぶてしく佇んでいる。溜息をついてやるのも惜しいくらいに、ふてぶてしい。



「楽しみにしてたのに…」
「あーもーぐちぐちうるせえよ、買えば良いんだろ買えば」
「やっぱり食べたんだな!」


遂には開き直った。面倒臭そうに頭を掻きながらこちらに身体を向けなおす銀時からは、甲斐性無しの風格が漂っていて、ぴしゃりと姿勢を正してやりたくなる。ついでに殴らせてほしい。今日まで着いてきた私は、誰かからの優しい言葉を頂戴しないではやっていけない。どれだけ苦労させられてるか知れないものだ。



「あーやべー耳がキンキンする」
「ふん」
「アレ…なんか鼻息が聞こえるような気が」
「鼻息じゃないわ!かわいらしく拗ねたんですー」
「かわいらしく?」
「笑って言うな!」



頭をぱしっと叩いて隣に座る。銀時は何か言いたそうに口を薄く開いたが、そこから音が漏れることは無かった。怪訝そうに見つめてみるも、黙って動かない。効力はさして見受けられなかった。
欠伸を見せ付けるかのごとくかます銀時。しかし彼に愛想を尽かすなんて、とうに考えられなくなっているのだからどうしようも無い、のかもしれない。急に銀時が腰を上げた。何かと思って見上げれば、彼も私を見ていた。相変わらずの死んだ魚ような目だと思ってしまった。


「ほら、さっさと着替えちまえ、出掛けるぞ」
「え?どこに?」
「今さっき迷子猫の捜索の依頼が入ったの。うるせーガキ共が起きてくる前にさっさと終わらせちまうぞ」
「は、はい」



余計な言葉を咀嚼して、今日の銀時の起床が早かった訳を見出だし一人納得する。昨日も仕事で疲労が蓄積されている私にとってみれば、もはや労働地獄だが、猫を捜すくらいなら私だって万事屋家業振興に一役買えるのではないか。お金か愛かの究極の選択、よく言うことだがお金が無けりゃ愛に生きていくこともできないのだ。金とかぶき町の輩のために働く、私は、つまるところ万事屋とはそういうものなのだと思っている。咄嗟に返事と共に敬礼をする。



「帰りに寄る所もあるからな、早くしねえと」
「寄る所?」
「お前がプリンプリン言うから買いに行くんだろーが」
「マジで!?」
「なんでそんなに驚いてんだよ、早くしねーと置いてくぞ」
「ちょっ、じゃあ待っててね!置いて行かないでね!」
「あーわかったわかった」



安定した職に就いている私は、そうしようと思えば万事屋に留まりぐうたら過ごすのだって止めてしまえる。それをしないのは、よく言う感情の弱みが私に纏わり付いて離れないからだ。僅かに頬が熱を持った。自分が食べちゃったんだから当たり前でしょ、なんていつもなら即座に返すかわいくない台詞は今日は腹の中に収めておく。襖一枚隔てた部屋で、寝巻きから着替えに取り掛かった。やっぱり優しい銀時だから、他の痘痕なんていくらだってえくぼに見えるのだ。 二人で出掛ける確かな口実が出来た。お化粧なんて、薄くていいよね。そんな事を思えるくらいには幸せだ。


「ふふふー」


新入隊士が続々と増え宴会やらで忙しかったが、久しぶりに非番を貰えた。例え近場だとしても、彼の隣を歩く時間があるのはとても嬉しい。隠す気も無いが、鼻歌が自然とこぼれる。あわよくば見回り中の隊士さんに見せ付けてやろう。そんな単純な目論みは、私の心を大きく盛り上げた。









「見つからないね…」
「……あー」


これはどういうことか。依頼完了の気配が、全く感じられない。手に握っている写真の中で、けばけばおばばに抱きしめられているいかにも高そうな猫ちゃんはいっこうに姿を表してはくれない。街中を隈なく虱潰しに探しているはずなのに。隣で段々と銀時の歩く速度が遅くなっていく。ついに立ち止まったかと思うと、あ、と声を漏らした。


「…アレ、もしかしなくても、この写真の猫じゃね?」
「え!?どこどこ!」


ついに、ついに任務が終わる。興奮しながら尋ねる私に、銀時はものすごーくイヤそうに「そこ」とだけ声を出して、指差した先を、これまたイヤそうな目で見つめた。漸く依頼が終わりそうなのに、何故か。不思議に思いながら私もその指の指す方を見た。
持ち上がったばかりの口角は、寸刻惨めにも下がることになった。なるほどなるほど、よくわかった。



「よーしよしよしそうでさァ、その感じ」
「ニャー」
「お、良いですぜ猫。あともうちょい高さがあるとヤツの顔面にも手が届くんだけどなァ」
「ニャ、ニャ!」



やっと進展したのに関わらず、ちっとも喜べない。二人揃って白い目で一人と一匹を見た。どうでもいいけれど、どうやらあの猫はメス猫らしい。それに加え、ドSの星の王子様とやらは、種族をも超越して相手を巧に手なずけることが出来るようだった。知りたくもなかったそんな事。ただただこちらの気が滅入るばかりだ。靴が砂に擦れる音が彼の耳に入ったか、はたまた気配を察知したか、厄介なその人物はちらりとこちらを振り返る。


「おー。万事屋の旦那にずんぐりむっくりじゃねえですか」
「誰がずんぐりむっ」
「落ち着け、落ち着け、な。今は猫が優先だから。少なくとも、お前はずんぐりでもむっくりでもないから安心しろ」
「銀時……うん、私堪える」


瞬間的に沸点に達した私の怒りを、優しい優しい銀時は一言と大きな掌で静めてくださった。「何ごちゃごちゃ言ってんでさァ」とねこじゃらしを振り回す沖田さんに、普段なら怒鳴り散らすところだった私だけれど、今は下手に出ないといけない。チクショウめ。猫は顔だけは良い厄介者に随分と懐いてしまってるようである。面倒だ。これ本当面倒だ。様子を見れば彼は土方さんを急襲させるために猫を特訓しているようで、なかなかに、目が真剣味を帯びている。物凄く本気である。なんでこんなことばっかり頑張るんだこの人は。



「あのー沖田君?ちょーっとその猫俺らに譲ってくんない?」
「嫌でさァ」
「即答かよ!」
「沖田さん、そこをなんとか…」
「俺ァ見ての通りこいつを対土方用に教育してるんで。つーかなんでわざわざこの猫なんでィ。そこら中に野良猫だっていくらでもいるじゃねーですか」
「それは……そのですね…」
「アレだよ、アレ…えーと…アレ」


かつての経験とこの人の性格からして、まともに取り合ってくれない。言ったところで絶対それで金ゆすられるに決まってるじゃん。どうやらそれは銀時も同じようで、私達は無言で頷き合った。この猫には結構な依頼料がかかっているのだ。これをおじゃんにされるのは、まっぴら御免だ。


「お願いです!物分かりの良い沖田さんならわかってくれますよね!だから…その…」
「そりゃーもうよくわかりまさァ。まあ仕方ねーんで、コイツは渡しやす」
「え、わ、ありがとうございます!」


よっしゃ!なぜいきなり気前がよくなったのかはわからないが、銀時に目配せをして沖田さんからは見えないところでガッツポーズをする。が、しかし、それも力を無くすことになる。沖田さんが猫を銀時に差し出しながら、悪い笑顔になっているのだ。嫌な予感だけが体内を駆け巡る。当たりもしない直感が、今だけは無駄に冴えていて虚しくなった。


「代わりにアンタが来なせェ、ちょいと雑用だ」
「猫の代わりですか!」
「オイオイちょっと。銀さん話が見えないんだけど」
「旦那は、さっさと猫連れて行った方がいいんじゃねーんですか」



肩をぐいぐい引っ張られる。痛い。指が食い込んで、しかも目の前の沖田さんは恐ろしい。ただでさえ女中としてこき使われているのに、たまの休みにもそれは続くのか。絶対嫌だ。バッと銀時を振り向いたなら、彼は私のガッツポーズの腕を掴み引いた。リアル両手に花だ……と呑気な思考が頭を過ぎるのもつかの間、板挟みになることによって増した痛みがぎりぎりと私に掛かる。
痛い痛いと訴えかけるも、沖田さんなんて最早私じゃなくて銀時を見ている。二人の対抗意識だけで女子を巻き込むのはよろしくない。腕も肩も痛い。比喩とかの類ではなく、本当に身が裂かれそう。


「二人ともいい加減に!」
「猫渡したんだから俺に非は無いはずですぜ。旦那がさっさと離せば、アンタだって楽になりまさァ」
「何言ってんのかな沖田くん!そいつ、一応俺の彼女なんだけど!」
「一応!?」
「同時に、真選組の女中でもあるんで」
「……あああもう!じゃあ二人でせーので一斉に離してくださいね。…せーの!」
「「……」」
「ちょっとどういう事ですか!!」


どちらも離さない。二人が素直じゃないのは知ってたけれどこれは無いんじゃないの。しかもこんな公衆の面前で、一番恥ずかしいのは間に挟まれている私だ。こんなにも嬉しくない板挟みも珍しい。依然睨み合う彼らは周りなんてとうに見えちゃいない。苦し紛れにアスファルトを蹴りつけて、脱走を試みるも無駄に終わる。それまで黙っていた猫が、銀時の腕の中からじっとこちらを見てニャアと憎たらしくひとつ鳴いた。

そうやって、私を嘲笑っているような気がした。くっそ。貰う金はすぐそこ、のはずが、全く話が進まない。私はただ普通に、普通にプリンを食べたかっただけ。それなのに、銀時といるとこんな事ばっかりに巻き込まれる。握られた腕が熱くて、じりじりする。離れられない私の身にもなってほしい。


10.09.01



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