※保健医高杉先生



「おい」
「……」
「起きろ」

しんとしていた私の頭に、聞き慣れた声が染みてくる。肩が重くて怠かった。もう目は覚めてしまったけれど、起き上がって支度をする気にもなれない。ここのところ、眼の下の隈がひどい。
難しそうな簡単なことを考えるのは癖で、よく解らないのに周りより一歩先に踏み出た気になる。見下げているのかもしれない。どちらにせよ私が捻くれているだけだ。ぺちぺちぺち、と二人分の呼気が入り混じる白い静かな部屋に響く。頬を叩かれた。もちろん、手加減をされていた。

「ぶっさいくな寝顔」
「うう」
「…いい加減に起きろよテメェ」

色々考えながら狸寝入りを決め込んでいたが、今度はぐいぐい髪を引っ張られた。犯人は保健医の高杉先生である。痛くはない、けど口が悪い。デリカシーとか考えてほしい。デリカシーってなんだっけ。使いたかっただけだし、仕方ないから、仕方ないから起きる。そういう気で動くと、なんだか色々出来るのだ。普通は逆なのかな。普通ってのは世間一般で、この間にも自分特異論の展開は止まらない。私が本当に、特別な人間だったらこんなこと考えるわけ無いのに。唸って目を開けたら飛び込むふかい眉間の皺。ちょっとだけ、恐いけど、なんだか安心。

「遅い」
「…寝てたんですー」
「威張るな」
「はいはいぶっさいくな寝顔で悪かったですね」
「起きてたんじゃねェか」
「あははー」

チッ、と舌打ちをかます高杉先生の白衣を掴んだ。なんとなく。なんとなくだ。私は媚びるなんて気持ち悪いし、キャラじゃないし、自信が有るわけでも無い。だから、なんとなく。振り払われない事に安心している自分が自分じゃないみたいで、直ぐにそっと掴む力を緩めた。

人と違う事をしたら、記憶に残りやすいだろうか。生徒という一くくりから浮き出ることは可能だろうか。なにも全世界の人々の間に名を轟かせたいんじゃないのだ。私はたったひとりの特別になりたいだけ。偉人になるよりは大分楽だろうに、私はそれを未だ成し遂げられない。きっと皆がなにもかも同じだとしたら、タイミングなのだ。要はいつ行動を起こすか。それならいくらでも先手を打ってやろうという気はある。でも、違う。この世の私達はそれぞれ人間であり生徒であり別のひとである。顔も、性格も。もっとかわいくていいこに。いくらでも言い寄られてそうな高杉先生がベッドから離れて机へ向かうのを大の字に寝転がったまま見つめる。掴んでいた手がだらりと垂れた。


きっと先生は私にココアをくれる。銀八が寄越したのがあるからとか言って。ガキはこれでも飲めとか言って。でも私は、今日は絶対受け取らない。飲んだら戻れって言うから、昨日そうだったんだから。教師として、私を喧騒に押し込めようとするのだ。ほら、マグカップを手に取った。漠然とした計画が進みそうで進まないのを世間体のせいにして、ほんの少しの余裕を持ったなら、漸く私はゆっくり呼吸が出来る。マグカップが私専用だったら、何か変わったのかもしれない。

この人に、私を生涯忘れないで覚えていてほしい。「これだけは、どうにもならないね」。気づかないうちに口をついた呟きに先生が振り向いてくれたから、ぎりぎりで逆流したように鼻の奥が痛い。はっきりしろよ。突き放すのもその反対も、生きるか死ぬかでどっちだ、デッドオアアライブ、みたいな。そうやって選んでほしいくせしてどちらもイヤだ。どうせなら愛されたいけど、ぬるま湯が良かったりするよ。もう嫌なんだよ。どうしたら一番上手くいくだろう。

「ココア、飲むだろ」
「帰れって言わないなら」
「…ああ、ほらよ」

同情かな。欲しい答えのはずなのに、いつだって捻くれた考えばかりが頭に浮かぶ。今まで微塵も気にならなかった消毒液のにおいが、気持ち悪い。近付いた気になってみて、ふとした事で距離を感じて哀しくなる。それでも、結局先生が遠回しに優しいから矢張り勘違いしそうになる。こっちを見てたってそんなのは平等に振り撒かれる只の視線なの。子どもで子どもでしょうがない私と、大人な先生との本当の距離は、きっと私が一番よくわかっている。聞き分けの良い花も恥じらうオンナノコになりたく、なく、なかった。禁断の恋とかそんな良い、かわいらしいもんじゃない。今すぐにでも大人になりたいの。


/生まれるいつかを夢に見て
10.03.27


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