例えば肩を揉んであげているとき、例えばあったかいハチミツ入りミルクを飲んでいるとき、例えば鴨太郎が作ったご飯を食べているとき。シアワセをわたしは胸いっぱいに充たすことができる。これ、全然大袈裟じゃない。
「寒い」
「へえ」
「心が」
「それは面白いな」
例えばこんな他愛もない会話をして、ちょっと傷付いたりしたとき。それは、ちょっと違うのかな。燃費の悪いストーブを承知で押し入れから引きずりだすようになるくらいには寒くなった、今日この頃。私はさっきからトイレに篭って考えていた。いくらでも時間が潰せてしまう。何の気無しに暇潰し程度で思考を巡らせていたことが、いつのまにやら大きくなり、頭を牛耳ってしまった。トイレは無理矢理な芳香剤の匂いと、冷たい空気で充たされていた。長時間いるもんじゃないなと知った。
リビングの方に戻ったら、エプロンを身につけた鴨太郎がキッチンにむかっていて、寒さを訴えたら冒頭の会話だ。ひどい。けれど、彼の後ろ姿はすごく様になっている。相変わらずかっこいい。ああ、こうやってぼーっとしているとまた馬鹿にされるから気をつけよう。それにしても鴨太郎はいつも辛辣だ。でもまあ、本気で言ってないときの見分け方も、わたしは知っているんだけれど。
「ひどい!!」
「うそだ」
「……」
「抱き着くな」
「あったかーい」
「……」
鴨太郎の耳がぼっと赤くなるのが至近距離で見えたけれど、言ったら引きはがされるのはわかりきっているので私は黙って鴨太郎に引っ付いたままこっそりにやにやしていた。鍋のぐつぐつという音が微かに聞こえる。見るに、今日はポトフらしい。
「あ、手洗ってなかったんだった」
「そんなに刺されたいか」
「嘘です嘘です」
滑らかなとんとんというリズムが止み、かと思うと包丁をちらつかせる鴨太郎に肝を冷やされながらも冗談であることを伝えてとっさに離れる。さすがにそこまで阿呆ではないですごめんなさい。
それは、ただ脅すだけの意味で止めた作業ではなく、もう野菜達を切り終わったことを頭に入れての行動だったらしい。あっという間にまな板からさらさらと鍋の沸騰したお湯の中に、食材を投入していく。何と言うムダの無さ…。わたしが感心している間にも鴨太郎はコンソメを引き出しの奥から取って鍋に入れてぐるぐる掻き回す、とまあ手際が良すぎて観察日記みたいになっちゃうわけだ。いい匂いが漂ってくる。もうおいしそうだ。
「鴨太郎ってロボットみたいだね」
「失礼な」
「だって完璧すぎるもん」
「それは僕を褒めてるのか?」
どっちだろう。でも、そう思ったんだ。また抱き着いた背中はやっぱりあったかかったから、鴨太郎はロボットなんかじゃない。当たり前なのになんだかワクワクする。それに、あ、と思って鴨太郎の耳元をみていたら、案の定である。
「君がロボットだとしたら絶対に不良品だな」
「ははははわかったわかった」
「黙れ」
憎まれ口も、顔が赤かったらたいした効力を持たないって、鴨太郎は知らないのかもしれない。知らないんだろうな。