犬小屋の鍵、貸します。
犬小屋の鍵、貸します。

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消えたマグカップ


なんで俺はあの時、素直にそれを受け取ってしまったんだろう。
激しく赤く点滅し続ける危険信号が、これ以上、踏み込むなと警告していたのに。

思えば、自分のテリトリーへ引き入れた人間は米倉が初めてだった。
言い換えれば米倉だけには気を許していたし、それが俺を盲目にさせていた。

「へえ。案外広いんだな。学校からも近いし」
「うん。結構、ええ感じでしょ?」

学校から徒歩10分の学生向けのマンスリーマンション。
そこの一室を米倉は、友人とルームシェアして二人で暮らしていた。
最近、その友人が部屋を出ていったらしく、ルームメートを探していた米倉。

俺が一人暮らししていたマンションは学校から遠く、近場で探していることを米倉には打ち明けていた。
ルームメートを失った米倉は米倉で、折半していた家賃や光熱費の問題もあって、新たな住人を探していたらしい。

それはまさに、渡りに舟。
詳しく聞いてみると、そのマンションは嵯峨野系列のものじゃない。
しかも、家賃を聞いてみるとなんとか毎月支払える額で、まずは、それらに魅力を感じた。

「犬小屋やけど、ちゃんと二部屋あるし」
「うん」

その時の俺は、すっかり忘れていた。
自分が米倉に惹かれていることも、米倉に彼女がいることも。

彼女の存在とルームシェアは関係ないが、自分がこのことで傷つくことになるとは知らずに。

提案された次の日には、以前、住んでいた嵯峨野のマンションを引き払った。
もともとが親の持ち物ということもあり、契約も何もあったもんじゃない状態だったから、引き払うこと自体は簡単だった。

「ええって、先輩。先輩は家賃とか光熱費とか、半分支払ってくれるだけで。と、いうことで、はい」

そう言って、米倉にマンションの鍵を手渡された。



その後の俺は有頂天で、今、思い返すと笑けてくる。
嵯峨野の呪縛から逃れられたこと、少なからず好いている相手と暮らしていけることにただ浮かれていた。

俺は犬小屋にその身一つで転がり込むという形に、何の疑問も感じない。



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