涙と猫と赤い傘
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あ……。
久しぶりにちゃんと見たかも。
壱人の顔。
いつもは半分ぐらい前髪に隠されて見えない壱人の黒い瞳が、真っすぐにこちらを見つめている。
あ……、近い。
なんなんだろ、この不思議な距離感。
「ああ、くそっ。なんでこうなるんだよ」
そう独りごちた壱人に、いきなりぎゅっと抱きしめられた。
いきなりの壱人の行動についていかない思考回路。
壱人の視界に、酷く久しぶりにきちんと入ったような気がする。
壱人が俺の方を見なくなって数年が過ぎ、もう二度とこんな日は来ないと諦めていた。
壱人に新しい彼女ができるたび、自分の気持ちも押し殺して。
と、いうより壱人はどういうつもりなんだろう。
いつもの気まぐれにしても、これはちょっと訳がわからなすぎる。
その時、
「……てんだよ」
壱人が何かを言おうとしたけど、そのくぐもった小さな声はちゃんと言葉にならならなかった。
時刻はそろそろ日付が変わる頃で、俺は壱人にきつく抱きすくめられたまま。
壱人の顔が俺の顔の真横にあって、俺は自分の肩越しに壱人を感じている。
「ああ、くそっ。なに他のやつに名前で呼ばせてんだよ」
そしたら壱人は、そんな訳のわからないことを言いだした。
「なに言っ……」「橋本のやつ。おまえのことを泉って呼んでたろ」
俺の言葉に重なるように、壱人がそんなことを言ってくる。
壱人がそんなことを思っているのが意外だった。
壱人は俺のことなんか、もうどうでもいいんだと思っていたから。
これって嫉妬?
いや、まさかね。
壱人によって、ぐるぐると掻き乱される思考回路。
壱人に抱かれて俺は固まったまま。
「おまえのこと、泉って下の名前で呼び捨てにしていいのは俺だけだ」
「えっ、それって……」
言い終わらないうちに、壱人に言葉を奪われた。
ちゅ。そんな可愛い音をたてた行為によって。
「……なっ」「ああ、もう。うるせ」
面倒臭そうに言う壱人に、そのあとに続く言葉もまた奪われてしまった。
Bkm
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