俺様キューピッド
俺様キューピッド
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「10年も前のことだ。ハルは覚えてなくて当たり前だよ」
少し淋しそうな先輩の笑顔に胸が締め付けられて、慌てて10年前の記憶をたどった。
10年前の僕は幼稚園児で、岳先輩は小学一年生。
その頃の僕は東京に行ったことがなかったから、きっと先輩が徳島にいたんだろう。
記憶を紐解いてみても、先輩はどの記憶の中にもいなかった。
おまけに僕がまだ子供だったからか、紐解いた記憶も曖昧で、ちゃんと覚えてはいない。
僕、なんで覚えてないんだろ。
岳先輩、姉ちゃんにも会ったんかな。
姉ちゃんに聞いてみたらわかるかも知れんけど、できれば自分で思い出したかった。
あ。思わず方言が出てしもたけど、気にせんとってな。
そんなこと、どうでもいいぐらい動揺してる。
そんな僕のことをどう思ったのか、
「ほら」
岳先輩は、再び強く僕の手を引いた。
辺りはすっかりオレンジ色に染まり、足元からじわじわと闇が迫り来る。
一つ、また一つと点灯する街の明かりをぼんやりと眺めながら、先輩と二人、ゆっくりと土手を行く。
覚えてる。
子供の頃、近所の土手をこうやって誰かに手を引かれて歩いていたこと。
その手が暖かくって優しかったことまで覚えてるのに、肝心のその手の持ち主のことを覚えていない。
「まあ、覚えてなくて当然だ。俺は、いつもおまえのことをいじめてたからな」
「え」
「おまえの泣き顔が可愛くて……、つい、な。あの頃は自分に素直になれなかったんだよ」
うそ。岳先輩が?
もしかして、子供の頃の先輩はいじめっ子だったんかな。
そんで、子供の頃の僕はとろ臭くて、鈍臭くて、いじめられていた。
もしかして岳先輩は、いじめっ子の一人だったんだろうか。
「ねえ、先輩」
「ん?」
「10年前って、僕が幼稚園の年長組の時ですよね」
「ああ。俺が小学一年生で、和佐は四年生だったな」
6歳、か。
年齢を考えると、覚えてなくて当たり前なのかも知れない。
けど、絶対、思い出したい。
「…田舎にいたのは夏休みの間だけだからな」
「え」
「母さんの田舎があの町で、小学一年生の夏休みの一ヶ月間だけ、遊びに行ったんだよ」
…夏休み。
「晴陽には、がっくん…って、呼ばれてたな。他のやつらは岳って名前で呼ぶけど、おまえは舌足らずだったからそんな呼び方になったんだろうな」
先輩のその一言で、10年前のあの夏の日のことを一気に思い出した。
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