※年齢操作で大学生から更に数年後








指で辿った母国語の書物の中に、わからない言葉を見つけた。
そう、そうだよね。
僕があの国を離れて十五年だ。

そのままパタンとページを閉じた。
図書館の蔵書で見つけた数少ない言語のそれは、経済に関する難しい本で。
中身はよくわからない。
表紙を手のひらで撫でる。
差し込む西日が少し眩しくて、腕時計を見る。
そろそろ約束の時間だ。


元の場所に本を戻して、もう一度大きな窓際の席に座ったのとほとんど同時。
あきおくんが背中越しに小さく僕の名前を呼んだ。

振り返ると、スーツ姿のあきおくんは、少し驚いたように目を見開いた。


「お仕事お疲れさま」


僕が言う。
平日の夕方、図書館に人の姿はまばらだ。
あきおくんは相槌を打って、向かい側の席に回って、それから隣の椅子に鞄とコートを置いた。


「……髪、切ったのか」

「うん。随分身軽になったよ」


涼しい首元に慣れなくて、一度家に戻ってタートルネックに着替えた。
ちくちくする襟足を撫でる。
少しくすぐったい。


「本当は色も暗くしようか迷ったんだけど」


迷って、結局やめた。
美容師さんにキレイなのに勿体ないと言われたのも一因。
それと、僕は昔からこれ以外の髪色にしたことがなかったというのも。


「いや、いいだろ。……それで平気」

「大丈夫かな?」

「ああ」


それから、その言葉。
大丈夫と大丈夫じゃないの、選択肢はふたつだとしたら、なんて優しい言葉だろう。
僕にはそれがあきおくんの真っすぐな気持ちに聞こえて、だから少し怖かったけど、甘えることにした。

たまらなく嬉しかったこと。
それが一番の理由だ。


「……短いのも似合ってる。色は……それが、好きだから」


だから少し面食らう。
まさかそんな言葉まで貰えるなんて。
あきおくんは顔を伏せた。
僕は顔が熱くなるのが恥ずかしくて、わざと大袈裟に立ち上がって見せる。


「ありがとう。もうそろそろ出ないといけないよね?」


わざとらしく腕時計を見たりして。
だけどあきおくんに名前を呼ばれて、彼が立ち上がろうとしないのを見て、仕方なくもう一度座る。


「なあに?」

「まだちょっと早いから」

「……電車?」


あきおくんが頷いたのを見て僕も鞄を置いた。
こんなことで舞い上がるような、そんな初々しい日ではないのに。
落ち着くように静かに息を吐く。
あきおくんは何も言わずにうつむいたままだ。


「……ねえ、そう言えば、こんな風に待ち合わせするのって久しぶりかもね」


ふと思いついたことを口に出してみる。
それにもあきおくんは曖昧に相槌を打つだけ。
僕は、なんだか逆みたいだと不思議に思った。
いつもは家でずっと一緒に居て、今日みたいな日だけ外で待ち合わせるなんて。


「……なあ、」


しばらくしてあきおくんが久しぶりにまともに口を開く。
彼も緊張しているのか、視線の上げ方がぎこちない。
僕と目線がぶつかってまた目を逸らした。


「どうかした?」

「……ああ」


狡猾な彼にめずらしく、何度か言葉に詰まる。
僕は首を傾げて彼の言葉を待った。
ようやくちゃんと僕の顔を見た。


「……なにかの機会だとか、思ったわけじゃないんだけど」

「うん?」

「ただ、……お前が、意味をわかってないと思ってるわけでも、ないけど」

「……うん」


手、出して、とあきおくんが言った。
僕が、手?と両手でパーを作って見せると、あきおくんは頷いてポケットを漁る。
それを見て、図書館の大きな机の真ん中まで、少し身を乗り出して両手のひらを差し出した。


「貰って。……曖昧な意味じゃないって言っときたかっただけ」


手のひらにのせられたのは小さなジュエルケースだった。
信じられないくらい心臓がきゅってして、僕はそれを自分の元にそっと引き寄せた。


「……僕が貰っていいの?」


あきおくんが頷く。
空けてもいい?そう聞いたらあきおくんはもう一度頷いた。
半分くらい、泣きそうになりながらケースを開く。
小さな石の埋め込まれた指輪に、それでも泣くより先に頬が緩んだ。


「あきおくん。これ、自分で嵌めても、いい?」


照れたように仏頂面だったあきおくんは、不思議そうに眉を寄せた。
だけど僕がそれを右手で取り出したのを見て、もう一度頷く。
ゆっくり目の奥に焼き付けながら、左手に指輪を嵌める。

僕は、自分の意思で彼の傍に居られることを噛み締めた。
指輪はぴたりと収まる大きさだった。


「ありがとう」


それだけ言うと、あきおくんも小さく返事をくれて、それから静かに立ち上がった。


「……そろそろ行くか」

「うん」


並んで図書館の通路を歩いて、すれ違った図書館員の女の子に会釈をする。
電車で二時間半くらいだからとあきおくんが教えてくれた。


「ねえ、僕、ほんとにスーツじゃなくて大丈夫かな?」


この季節の日暮れは寒い。
図書館の玄関を出るとやっぱり慣れない首筋が冷えた。

半歩だけ近付いて肩を寄せると、あきおくんは少し歩く速度を落として、ああ、大丈夫だから、と少し笑った。






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