こころが軋む音はとても静かなのです | ナノ



一方的なおはようで始まる今日の朝はあいにくの雨

だけれどもやらなければならないことは塵が積もって山どころか空も通り越しちゃうんじゃないかと思うほどあるのに、全部するのはわたし

頭を抱えたくなった

あぁでもそんな暇はないんだった働かなきゃ
みんな起きちゃうし

さて今日の朝ご飯は何にしようかな
簡単に卵を炒ってマヨネーズで和えて
冷水で締めたレタスとトマトを水洗いして
和風ドレッシングしかないけど
まぁこれをかけてトーストを焼いて卵を挟んでホットサンドにしよう

取り敢えず用意が済んだら前の日に溜め込まれた大量の範疇を通り越した洗濯物をさばかなきゃ

今日は久々に雨だから船内干しの準備が大変だろうなぁ、あとで何人かに手伝ってもらおう

次はキッチンの箒がけ雑巾掛けをして
いつでも食べられるようにしておこう、
そしたら廊下、公衆スペースと着々とやっちゃってあっと言う間に掃除は終了

朝のわたしの仕事ノルマはあらかた達成されたところで少し休憩


みんなが起き出すまで、まだ随分ある

仕事が済んだら何もすることがない


わたしのこの船における役割は雑用、それ以外に出来ることがないから
戦闘とか、航海する術を身に付けていないためだけど、まぁ仕方ないかな

いや、本当は護身術なら申し訳程度に齧ったことがある
世の中物騒だからね、自分の身くらい自分で守らないと生きてけない
わたしの所属する場所においてなら尚更

この船はただの船に非ず、海賊船
同業者の海賊を始め正義を背負う海軍から逃げおおせるのは至難の技

けれど
わたしの乗る海賊船の船長、
最悪の世代、死の外科医なんて呼ばれる船長は人並み外れた、いや、人外の強さを持っていた

持っていた、



…………持って、いたのに



「どうして、かえってこないの」



ううん わかってる

わかってる、よ

ぜんぶ ぜんぶ



“ あ の と き ”



わたしが傍にいなければ

戦いを見ていなければ

他の船員たちと船に残っていれば

あんなところにいなければ



かれは 船長は

ローは、



“ あんなことに ならなかったのに ”




過るのはいつだって、あの後悔 罪 悲劇


飛ぶ巨大な鉄屑 空間を覆う青い円
響く焦燥の叫び 嘲り嗤う敵の罵声
迫る鉄屑 円の外の


その軌道に居た わたし


変化する景色 耳触りな音
生々しい鉄の臭い 消えゆく青い円
染まる地面 円の外の



その血溜まりに居る、





ーーーバタン



と音がして誰かがキッチンに入ってくる

ああ起きなきゃと思って意識だけ正常に浮上させる
無理やりにでもじゃないと引き摺られてしまうから

どうしても一人になると
暇が出来ると
眠ってしまうと
あの日あの場へ連れ戻されるわたしは、


「ペンギン、あれ」

「……珍しく寝てるんだ、寝かせてやれ」


眠ることができなくなったから
みんなの前で眠ったふりをした


「笑ってる、」

「そうだな」


笑うことができなくなったから
みんなの前で笑ったふりをした


「ベポ、他の奴らも起こしに行こう」

「そうだね」


かちゃ、


キッチンに一人、残るのはわたし


二人の去って行く背中の向こうに
伏せた顔を隠す腕の隙間から見えた、


「…………ロー、」



白い斑点模様の頭が
ゆっくりと わたしを 顧視、する




「……あれ、起きてたの?」


気配に鋭いベポが 不思議そうにわたしを見た
横にいるペンギンもわたしを見た


「………………」



「気のせい……かな」


顔を伏せて眠ったふりを続けるわたしを置いて再び、二人は歩き出す

薄暗がりの廊下の奥は静寂に満ちて
其処に生者の気配はない


垣間見えた銀灰色の眼は何も語っていなかった


なにも、なに一つも



「………………痛い、」



こころが、痛むの

こころが、晴れないの

こころが、疼くの


錆び付いた音を立てて、閉じていく扉

その音は わたしにしか 聞こえない


「痛いよ、」


あのとき わたしが傍にいなければ


「……ロー」




こころが軋む音は
とても静かなのです


(わたしの頭に被さる白い斑点模様に隠れ
ひとり噛み締め泣くこともきっと、)