「…やっぱりこひなちゃん家に寄ってたのね、翡翠」

「一度アパートへ戻ったのですが、梓の姿が見えませんでしたので、此方かと」

「見回りしてる時に怪異が現れてない限り、屋敷には寄らないわよ」


そう。テスト期間で三日間、この屋敷でお世話になってから、やっぱり屋敷に長居することには抵抗があった。あたしの帰るところは、あのアパートだから。


「これといった怪異はないから、帰るわよ。翡翠」

「はい」

「じゃあな〜、梓、翡翠。おやすみ!」

「見送りありがたうなのです。おやすみなさい、梓さん、翡翠さん」


見送る二人(馬鹿狗はこひなちゃんの肩にいた)に手を振って、おやすみとぶっきらぼうに言って、あたしと翡翠はアパートへと帰った。




― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―




童子殿と退魔師殿が帰宅して、我が君の残り湯でお風呂を済ませ、こひな様が就寝なされた頃の時間でございます。
床に就くために浴衣に着替えていた狐殿と、珍しく屋敷を出て行っていない狸殿が居間にいるのを見かけて、居間に顔を覗かせてみたのです。


「…狐殿、狸殿。何をしているのでございますか?」

「ん?いやちょっと、寝る前にお茶を一杯な」

「おっ、狗神…今は嬢ちゃんなんだなァ。風呂上がりでいい香り「汚らわしい」ぶほっ!」

「こら、夜中に発砲するんじゃない、狗神」


へべれけな状態で私を見る狸殿の額を一発撃ち抜いてやりますと、狐殿から文句を言われたので舌打ちしてやりました。


「せっかくの七夕、綺麗な天の川が見える晩に血祭でもするつもりか」

「……」


狐殿のその一言に、私はさっきSF殿の家の屋上で聞いた、退魔師殿の言葉を思い出したのです。
風に消されそうなその声は、何故か私の耳に響くように届いたのでございます。今から考えると、なんておぞましいことでしょう。しかし、退魔師殿はこう漏らしたのです。


(…家の明かりなどきらい、と)


ずいぶんと、面白くない顔をして呟いていました。まるで眼下の明かりを睨むような悔しそうな、そんな横顔でございました。
悔しそう、という部分に関しては、今ならそれはとても愉快だったと言えるでしょう。私は退魔師殿が嫌いです。彼女が嫌がることなら、それこそ馬に蹴られて死ぬ呪いでもかけて差し上げましょうか…。
もう初夏も過ぎ、暑い季節。狐殿が飲んでいたのはグラスに氷と共に入ったウーロン茶でした。律儀に、畳に座り込んだ私の分まで入れてちゃぶ台に置きやがりました。どこまでオカンキャラを通せば気が済むのでしょう?
グラスと手に取り、一口ウーロン茶で喉を潤したところで、狐殿と狸殿に前々から思っていたことを訊いてみました。


「…狐殿と狸殿は物の怪であるにも関わらず、随分と童子殿と仲がよろしいのですね?」

「んあー?」

「まぁ、退魔の者の中で唯一あそこまで関わったのは、翡翠くらいだもんなあ」

「どっこいせ…あの頃は戦も多かったし…あの時、翡翠が仕えてた嬢ちゃんと話してるのは、楽しかったよなァ」

「お前はどの女でも声かけてただろうがっ」

「…童子殿が使役いていた方、でございますか?」


狸殿の言葉に小首を捻りました。


「狗神、物の怪で言やァお前さんみたいなモンさ」

「翡翠は門真家の血縁に宿ってる鬼(もの)だからな。仕えている主が代交代すれば、翡翠が仕える主も変わる」

「まァ物の怪とちがって面倒なところは、仕えるべき主に翡翠を従えるほどの力がなかった場合…翡翠は現身(うつしみ)を持てないってとこだろうなァ」

「現身を持てないのでございますか?その間、童子殿はどうなっているのですか」

「血脈の中で眠ってる状態なんだとよ」

「翡翠を使役できるってことは、たぶん梓はかなり力を持ってるんだと思うんだが……そんなオーラ、微塵も感じられないな」

「いいじゃねェか。梓の嬢ちゃんはまだ若いだろ?あんな窮屈な世界にまだ入れてやらなくてもよ。学生生活楽しませてやれば」

「…それもそうか」


相変わらず、勝手に話を進める年寄り共ですね。私の話を聞いていなかったのでしょうか?聞いていなかったのでしょうね。
話に置いてけぼりを喰らっていましたが、舌打ちを一発するだけでなんとか堪えてやりました。私が気になったのは、狐殿と狸殿が童子殿と知り合った時、童子殿が仕えていた女性のことです。


「つまり、狐殿たちが知り合った時は、童子殿が仕えていた人間が違ったのですね」

「当たり前だろォ?人間は脆い。いくら一緒の時間を過ごしたとしても、物の怪の俺たちとは時間の流れがちがう。あっという間に死んじまって、俺たちのことを覚えてるヤツなんざすぐにいなくなっちまうのさ」

「…あの時翡翠が仕えてたのも、女の子の退魔師だったよな」

「媛雛(ひめな)の嬢ちゃんだろ?あの子もおしとやかで可愛かったよなァ…」

「だから!お前にかかればどの子も可愛いんだろうがっ!」


再び狸殿につっかかる狐殿に、私は呆れて盛大に溜息をついてやりました。このエロ狸が人間の女に目がないのは今にはじまったことではないではありませんか。それを何度も何度も…狐殿も懲りないですね。それとも学習能力がないのでしょうか?
…「媛雛」という名と狐殿の言葉からするに、童子殿は過去に女性の退魔師に仕えていたことがあるようでした。童子殿を使役していたとするならば、先程の話からするにその退魔師殿も力を持っていたのでしょう。
力を持った女性の退魔師…何がそんなにややこしいことなのか、以前この居間で最初に開かれた老人会の童子殿の言葉が、理解できませんでした。私としては、理解しなくても良いことなので構うことでもありませんが。


「けど、あの頃は人間同士の戦も多けりゃ、妖と人間の戦も多かったからなァ…媛雛の嬢ちゃんも、窮屈な世界から結局出られるわけもなかった、か」

「…梓も、そうはならなかったらいいんだけどな」

「……そろそろ小屋に戻らせていただきます。年寄りの思い出話には付き合いたくございませんので」

「おう。狗神、今度気が向いたらでいいから、女の子の姿で添い寝しながら親睦を深め「貴様いま何を言いかけた」…ちぇっ、冗談だよォ……なーァ、きつねぇー?女の子の姿になる気は「ねえよ」…みんなオジサンに冷たい、ぐすん」

「黙れ淫獣。ほら、お前もさっさと寝ろよ」

「いって!何も蹴るこたァねえだろーっ!?」


背後にした居間が変わらず騒がしいことに肩を落として、私は自身の小屋へと戻りました。ここに戻ってさえしまえば、あの居間の喧騒も少しは遮断されるというものです。
部屋に溢れる私のこひな様コレクションの数々が、心を満たすような気持になりました。ベッドの枕元に置いてある等身大サイズの我が君ぬいぐるみを抱き締めて、ベッドへと腰かけます。ああ、けれどやはり、本物が一番でございます…嗚呼、我が君。
ぬいぐるみの頭へ鼻先を埋めて、ぎゅうっと抱きしめた瞬間でした。頭にひとつ声が過ったのです。過る感覚に私は一種の恐怖を覚えました。


(……家のあかりがきらい、ですか…)


キライ、ならば退魔師殿の嫌がることリストに追加してやろうではございませんか。他にもキライなもの、嫌なものがないか調べなくては。それで十二分に嫌がってもらえるなら、大変愉快でございます。
無意識に緩んだ口元に、ふと、何故そのようなことを考えているのか不思議に思いました。私が考えていたいのは、想っていたいのは、こひな様だけ。確かに狐殿も、言うなればこひな様以外の森羅万象はすべて嫌いです。他に考えることなど、何がございましょう?
それに気が付いた私は、やけにむかむかと気分が悪くなり、我が君のぬいぐるみを抱き締めたままベッドへと倒れ込みました。瞼を瞑り、我が君の名を口にします。そうすると少しだけ心が軽くなるような気がしました。




(口にするのは我が君の名なのに、なぜ頭に波紋のように広がるのは退魔師殿のあの言葉なのでしょうか?)


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