お茶を用意してくると、少し前から席を外している翡翠がいないことをいいことに、ノートから視線を上げてぼんやりしていると、信楽のおっさんがあたしの隣に座り込んだ。
「よォ、ちゃんと勉強してるかい?」
「してない」
「童子が聞いたら怒るぜ?梓の嬢ちゃんは今年受験生なんだろ?」
「そうよ。けど今のあたしの成績なら、前から行こうと思ってる高校は余裕で合格できるはずだし。それに…」
「?」
おっさんが手にしている徳利から漂う酒気に少し眉を顰める。小屋から戻ってきた馬鹿狗と居間にいたコックリが、何やら言い争いをしてるみたいだったけど、教科書の文字をぼんやり眺めていたあたしには、何で言い争っているのかまではわからなかった。
「場合によっては、退魔師が通う高校に行くって可能性もあるわ」
「…へェ。退魔師の学校があるのか」
「もちろん、一般には知られてないわ。普通科目もあるけど、やっぱり特徴的なのは課外授業が受けられるところね」
「課外授業?」
「退魔師になるための特訓みたいなものよ。退魔師を生業としたい人が、外で依頼を受けて怪異を祓うの」
「ずいぶん本格的なんだなァ…」
「退魔師を生業にしたい人が通う学校だから、当たり前でしょ」
「…梓の嬢ちゃんは、退魔師になりてェのかい?」
「……」
シャーペンをくるくると回していた手が、信楽のおっさんの質問によって止まった。静かな空気が、痛いくらい耳に刺さった。 どうやら言い争いをしているコックリと馬鹿狗が口を閉じていたせいらしい。二人がこちらを見ている気がしたけど、あたしは気付いていないフリをして小さく吐息する。
「…さぁ?それに、その学校はここからじゃ少し遠いしね」
「…遠いのか?じゃあ、もし梓がその学校に行くって決めたら、」
「引っ越すわよ、当たり前じゃない」
遠い、という言葉にコックリが口を開いたけど、あたしはそれにぴしゃりと言い返した。静まり返った部屋の空気に堪えきれず、適当にぱらぱらと教科書を捲る。その空気を破るように、お茶をいくつかお盆で運んできた翡翠が居間へと戻ってきた。
「ほら梓、手が止まっていますよ」
「えぇー…別に勉強なんて家に帰ってからでも出来るんだし。あたしそろそろ帰りたいんだけど」
「何を言っているのですか?テストが終わるまでは、こひなの家にお世話になることにします」
「……………………………はい?」
たっぷり、一分間は固まってたと思う。翡翠はいま、なんて言った?
「アパートに戻ったところで勉強をしなくなるのは目に見えています。『せめて』テストが終わるまで、勉強をきちんとしてもらいますよ」
「……………あたし帰「梓、勉強に身が入るように食後に薬を出しておきますね」……」
ダメだ。テストのことしか頭になくて、あたしがどうしたい、と翡翠に伝えていることも今は忘れてるのか…それとも、わかっていてそれでも、そんなに勉強してほしいのか…。 …三日間……三日もこの、騒がしい、空間の中を過ごさないと、いけないの、
「……わかったわよ。テストが終わったら『すぐに』帰るから」
「よろしい。ふふふ〜…今夜の夕飯はなんでしょうね?」
「……」
否、あの護法童子は己の欲望のためな気がする。くらり、と眩暈がした気がして、あたしはふらふらとこひなちゃんの自室に向かった。
「? どこへ行くのですか?梓」
「…こひなちゃんに人形になる方法を教えてもらってくる…」
「!?」
あの後、人形になると言い出したあたしを慌ててコックリが止めて、三日間、本当にあたしと翡翠は市松家にお世話になった。 ちなみに寝間着はパジャマでなく浴衣で、これ以外はないのかとコックリに訊ねると、こひなちゃんが着ているようなお揃いの狐の寝間着にする、とコックリが言ってきたので、断固拒否しておいた。
―…三日後。
「満点取ったのでカップ麺パーチーしませう?」
「なんか釈然としないからやだ!!」
「!?」
「梓!なぜ勉強していたのに60点とか56点などという数字が並ぶんですか!」
「勉強してる『フリ』だったもんなァ、梓の嬢ちゃん」
「退魔師殿は見た目だけでなく、本当に頭の中身も馬鹿なのでございますか?」
「本気出せばどれも満点取れるわよ」
「じゃあ何故その本気を出さないんですか、梓!」
(だってテストの時間中、寝てたもん)
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