俺は今まで幽霊なんて見たことも感じたこともない。だからこれは幻覚か何かだと思う。

「おはよ剣城くん」
「………」

それにしてもいつ消えるんだこの幻覚は。ベットに横になったまま目だけを開けている俺の前をふらふらと浮遊する癖っ毛で小さめ(前にチビと言ったらもの凄く怒られた)のそいつ。俺と似てつり目で人相が悪い。笑顔は可愛いのだが。

太陽の光をしばらく浴びないと幻覚が見えるようになるのか。医者に行こうにもまず家から出られるのなら今苦労はしていない。出たくありません。


鬱だとか引きこもりだとか言い方はたくさんあるがあえて俺がどの部類に入るのかは言わないでおく。自分でもよく分かってないし。精神でもまいってるのだろうか。まあいいや、考えるのも面倒くさい。
とにかく暗い部屋の中で何をするでもなく毎日を過ごす、それが俺の日常となっていた。



「剣城くん、おはようってば」
「……はよ」

相変わらず生意気なそいつに舌打ちし挨拶を返すと満足そうに笑った。やっぱり笑うと可愛い。


初めて出会ったのは一週間くらい前。名前は狩屋マサキだと言っていた。俺と同い年らしい。性格は気まぐれでしつこい。ある意味では猫みたいな奴だ。
例えば「おなかがすいた」と喚いては俺に食べ物を要求する。菓子を出してやると「ちゃんとしたご飯がいい」と注文を返してくる。無視出来ればいいのに放っておくとひたすらやかましいから結局俺はちゃんとしたご飯とやらを作る羽目になるのだ。親が共働きで兄も入院してるため簡単な家事は一応出来るのだとだけ参考までに。そのくせ狩屋は目の前に並べられたご飯をただ嬉しそうに眺めるだけで一向に食べようとはしない。それでこいつのために折角作ってやったご飯を捨てるわけにもいかず仕方なく俺が食べるのだ。いらないのに。
狩屋は俺が食べるのを横からじっと見つめてたまに「うまい?」と聞いてくる。適当に「ああ」と答えると「ふうん」と呟いて目を細めて微笑む。今ではそれが日常茶飯事で、もはや俺が俺のためにご飯を作るという事態になってしまっている。まったく何がしたいのかさっぱり分からない。今までの人生の中で一番厄介な奴だ。



「剣城くんはまだ俺のこと幻覚だと思ってる?」
「当たり前だろ」
「へーそうなんだ」

ニヤリ、というかニタリ、というか。そういう笑みを貼り付けて「ま、ご想像にお任せするよ」とふざけたことを抜かす。


狩屋マサキが現れてからの一週間は目まぐるしく新しいことばっかりで吐きそうだ。引っ張り回しまくって俺の日常を掻き回して本当良い迷惑。


「でも剣城くんつまらないって言ってたじゃん」
「は?」
「なあんにもしないで部屋に引きこもってるの、つまらないんだろ?」
「…なんで、」
「毎日毎日無駄な時間を過ごすの繰り返しでさ」
「…………」
「でも俺が現れてから変わった。自分のご飯をちゃんと作るようになったし、身の回りもちょっとは掃除するようになった」
「お前がうるさいからだろ」
「うん。でもほら、変わったじゃん」

ね、と全開の笑顔を向けてくる。だめだ。狩屋のこの顔にはすっかり弱くなってしまっている。
一週間というのは人一人の人生を変えるには充分な時間らしい。

「これからも俺が剣城くんの人生引っ掻き回してあげようか」
「はいはいそれはどうも」


って、そう言ったのに。
この日を境に狩屋マサキは忽然と俺の前から姿を消した。



それからは前の生活に逆戻りだった。ちょっとは料理の腕も上がったのに、あんなに掃除も頑張ってたのに。あいつがいなくなった今そんなものにまったく意味はなくてただ布団に丸まって一日が終わるのを待つ日々が続いた。こんな俺を狩屋が見たらどう思うだろう。だらしねえなって呆れるのか、それとも悲しむか。
考えれば考えるほど心臓が縮んでいく気がして痛かった。あの憎たらしい、可愛い笑顔が恋しくて、隣が寂しくて、一人で食うご飯なんか冷たくて不味くて、そして痛感する。狩屋がいないとだめだ。今の俺は狩屋無しでは生きていけなくなってるんだ、って。





「あーあ。やっぱり剣城くんには俺がいないとだな」

夢でも見ているのかと思った。突然、それはもう突然に再び俺の前に現れたのは他でもなく狩屋マサキ。

「何だよその顔、バカみてえ」
「…お前…どうして…」

信じられないという視線を投げつけると狩屋はバツが悪そうに目を逸らした。俺がお前に言いたいことは山よりもたくさんあるぞ。

「タイムオーバーだったんだ、時間切れ。でも神様にわがまま言ってもう一度剣城くんに会いに来た」

時間切れ?神様?狩屋の言ってることがまったく頭に入ってこない。やっぱりこれは夢なのか。脳が働かない俺は目の前の狩屋を見つめることしか出来ない。半透明な身体が妙に目についた。
狩屋が俺の頬をそっと撫でる。でも触れられてる感覚なんかなくて、それが当たり前なんだと気付きどうしようもなく泣きたくなった。

「剣城くんは俺のこと幻覚って言ってたよね。ごめんなあれ違うんだ。本当は俺幽霊なの。どう?びっくりした?俺ね、小さい頃から病気でやりたいことの半分も出来ないで死んじゃったんだ。心残りあるまま死んだらなんか負けた気分になったからせめて何かこの世に残せるものを、ってさ。死んでからじゃ遅いんだけどね。そんな中で剣城くんに出会った。五体満足で何不自由ないのに人生台無しにしてて正直まじムカついた。だから剣城くんの人生狂わせてから神様のとこ行こうって決めた」

そこで言葉を切り、狩屋が照れくさそうに笑う。それがぼんやり滲んできて慌てて目を擦った。最後の最後まで狩屋と一緒にいたい。我慢しろ剣城京介。

「剣城くんとの毎日は楽しかったよ。お前最初全然相手にしてくれないし焦ったこともあったけど俺の知らないことを教えてくれたし、うん、感謝してる」

おいふざけんな、俺のセリフだぞふざけんなよ。なまあたたかいのが頬にぽつぽつ伝ってうざったくて仕方ない。でもそれは収まるどころかもっともっと溢れてくる。ちくしょう止まれよ、くそ、

「だからさ、ありがと剣城くん。ねえなんでさっきから泣いてんだよ」

「意外と涙もろいよなー剣城くんって」狩屋の左手が頭を撫でて右手が俺の目元を拭う。拭えてねえよ透き通ってるだろうが。
言いたいことがたくさんあるのに。上手く口から出てこない。乱暴に目を擦って狩屋を見つめた。つり目で睫毛の長い金色の瞳、無造作に跳ねた落ち着きのない髪、俺より一回り小さい体。ああ狩屋だ、狩屋なんだ。

背中に腕を回す。やっぱり抱きしめてる感覚がなくて虚無感が襲ってくるが、でもそれ以上に狩屋のぬくもりを感じた気がした。俺の首元の辺りでぐすりという声がする。「いつまでも泣くんじゃねえよ剣城くん男だろ」お前も泣いてんだろ。


「剣城くんに出会えて良かったよバーカ引きこもり」
「残念だったなもう違うぜアホ透明人間」
「幽霊だっつってんだろ」
「知ってる」
「あーうぜうぜ。京介大好き」
「俺も好きだよマサキ。さっさと死んで早く会いに来いよ」
「お前が迎えに来いよ京介大好き大好き大好き」
「分かった分かった。もう時間ないんだろ。マサキ愛してる」
「愛してるとかまじきめえ嬉しい」
「またな、マサキ」
「うん。じゃあな京介」


ふわり、という感覚を残して狩屋マサキが消えた。今度こそ、ちゃんと。不思議と悲しくはなかった。

「さて、今日の夕飯はハンバーグにするか」

お前、好きだっただろ?



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -