そちらも大変ですね


「おはようございます」

パステルカラーの扉を開けながら中に入り、ぺこりと頭を下げる。色のせいか事務机などもどことなく小さく見えるここは、黒子の職場でもある保育園だった。自分の席にカバンを置き、今日の予定が書かれたボードの前に立つ。カバンから取り出した黒いエプロンをかけて腰のボタンを留めた。

「おはよー。黒子センセ」
「はい。今日の予定は特に変更なしですか?」
「んー。特にオレは聞いてないけど」

ギシギシと椅子を鳴らして背中を逸らしているのは黒子と同期である高尾だった。最初は高尾が保父などと想像もできなかったが、あれでなかなか子供には人気者だ。それに加えて話しやすい雰囲気が保護者からも人気だと聞いた記憶がある。

「……でもやっぱり違和感ありますよね」
「へ? 何が」
「高尾君とこうして並んでいることが、です」

黒子もまた高尾の隣に座り、ぱらぱらとファイルをめくる。日報のところに今日の日付を書き込み、机に置かれたメモをチェックした。

「いやいや何失礼なこと言ってんの。オレが保父さんってまんまじゃね?」
「たぶん最も対極に位置していると思いますよ」
「黒子、お前ね……。ほら、うちにデカイ子供がいるから。生徒なんて可愛いもんよ?」
「いつの間に妊娠と出産をしたんですか。おめでとうございます」
「あーのーね。まだ! まだ産んでないから!」
「……いつかは産むんですか」
「そ、真ちゃんがね」

緑間君の性別は男だったと記憶していますが。
高尾に告げなかった言葉を喉の奥に押し戻し、黒子はもう一度ファイルに目を落とした。
黒子が黄瀬と暮らしているのと同じように、緑間と高尾も一緒に暮らしている。二人が通っている大学は別のところだったがロケーションが近く、よく他の仲間も集まってバスケをしていたことを思い出す。そういえば、黄瀬と暮らすと決まってから彼はそのメンバーには報告したいと駄々をこねていた。何度宥めすかしても納得できず、最後には黒子が折れて黄瀬の表情は明るくなった。今思えばあれもきっと作戦だったに違いない。当時のことを思い出すといまだに恥ずかしさが先に立つ。

『黒子っちと同棲することになったっス!』

集まったメンバーに声高らかに宣言し、拳を上に突き出した。無防備な脇腹に拳を埋め込んで同棲ではなく同居だと訂正する。唸りながら蹲った黄瀬はじっとりと黒子を睨んだ後にまただらしなく表情を崩した。

『へー。あっそ』
『ちょ、青峰っち反応薄いっス! もっとあるでしょ!』
『つーかオレもう真ちゃんと暮らしてっけど』
『高尾……』

眼鏡を押し上げて高尾を睨む緑間に、全員の視線が集まる。そのことに眉を顰めた緑間は高尾の頭にバスケットボールを投げつけていた。
そのお陰であまり突っ込まれることはなかったが、新居祝いと称して花だの何だのと贈られるのには正直参った。どうせ送ってくれるなら日用必需品にしてくれとメールをしたことも覚えている。

「そういえば高尾君のところはどちらが料理をしているんですか?」
「真ちゃんに料理できると思う?」
「……できませんね」

中学のときに合同クラスで調理実習を行なったが、緑間の料理は酷いなんてものではなかった。自分も人のことをいえるほどの腕前ではないが、あそこまでではないと自負している。あの頃からあまり変わっていないのであれば高尾に同情せざるを得ない。哀れみの視線をちらりと投げると、肩を竦めた高尾が笑って言った。

「ま、オレの作るもんうまいって食ってくれりゃそれでいいんだけど」
「それ分かります」
「やっぱー?」

こくりと頷いて食事のときの黄瀬の表情を思い出す。家事の担当は交互にしているが、黄瀬は黒子が何を作っても本当に嬉しそうに食べるので、自然と黒子も料理本に手を伸ばすようになった。だんだんと本棚に料理本とインターネットから印刷したレシピが増えていることに、仄かに頬を赤らめる。隣の高尾はそんな黒子の表情に一言『ご馳走様』と言うだけだった。

「でも上手に作れるに越したことはないですよね」

ふう、と小さな溜め息を吐いて昨日のことを思い出す。昨日は黄瀬が料理当番だったのだが、食卓に並んだのはどこかのレストランかとでも言いたくなるものばかりだった。見たものを一瞬でコピーできるのは何もバスケに限った話ではなく、料理番組などを少し見ただけで次の日には同じものを作ってくれる。味もレストラン顔負けのものばかりで、それが黒子にとってはコンプレックスのひとつだった。
自分にできることと言ったら何だろう。
黄瀬はきっと、黒子がいてくれたらそれでいいと言うだろうが自分にもプライドというものがある。役に立ちたいという思いだって少なからずあるのだから、黄瀬に甘やかされてばかりいる今の立場が嫌だった。

「なになに、何か悩んじゃってる系?」
「高尾君には言いません」
「えー何それ。感じわるー」

けたけたと笑って高尾は先に教室に向かった。その背中を追いかけて黒子も席を立つ。遠くから聞こえてきた子供たちの声に、保育園のドアを開けた。

     ◆

両手にスーパーの袋をぶら下げ、黒子は自分の住んでいるマンションへと歩いていた。住んでいるマンションは緩やかな坂の上にある。普通に歩くだけであればそんなに傾斜を感じないが、今ぶら下がっている袋には水物やら調味料やらが入っていて指先が白くなっていた。じんじんとした痺れがあるが、もう目前に迫ったマンションに後一歩だと気合を入れなおす。がさりと袋が鳴った瞬間、片方の重みが手から消えた。

「くーろこっち。ただいま」
「黄瀬君、お帰りなさい」
「って何これ重っ! こんなに買うなら車出したのに」
「仕事帰りに済ませてしまいたかったんです。帰ってからだと億劫じゃないですか」
「そうだけど、重かったでしょ?」
「平気です」

黄瀬とひとつずつ袋を提げてマンションのエレベーターホールに入る。灯った数字がカウントダウンをしている間の沈黙は何だか少し居心地が悪かった。もう一度がさりと袋が鳴り、黄瀬が黒子の袋に手を伸ばす。それをさっと避けて、到着したエレベーターに乗り込んだ。

「え、黒子っち?」
「何でもありません」
「そーゆー風には見えないっスけど」

むすっとした表情を浮かべて黒子に続いてエレベーターに乗り込む。静かに扉が閉まって重力が身体にかかるのと同時に黄瀬の視線が突き刺さった。

「本当に何でもないです」
「じゃあ何でオレの方見てくれないんスか」
「……見てますよ」

鍵穴に鍵を挿してくるりと回す。キッチンへ荷物を運んでから黄瀬の顔を見上げた。

「……今日は何が食べたいですか?」
「え? 何でもいいけど」
「たまにはリクエストしてください」

む、と口端を歪めた黒子に今度は黄瀬が首を傾げた。朝は不機嫌だったということもないし、さっき会ってから特に何かをした自覚もない。黒子の機嫌を損ねる要因が分からず、とりあえずは言われた言葉への返事を考えた。

「え、っと……この前作ってくれた冷しゃぶかな。あのソース旨かったんで」
「……分かりました。少し待っててください」

すいと黄瀬から逸らした視線は冷蔵庫に向いていたが、その頬が先ほどより緩んでいるのを見てまた首を傾げる。機嫌を損ねた原因は分からないが、機嫌を直した原因も分からない。冷蔵庫を覗き込んでいる黒子に腕を回し、髪の毛に頬を寄せた。

「ちょっと、邪魔しないでください」
「黒子っちが足りないんス。あ、そーだ」

ぱっと顔を上げて玄関に置いたままだった荷物を取りに向かう黄瀬を見送り、黒子は料理を再開した。黄瀬からのリクエストにあったソースというのは、黒子が作ったものだ。いくつかの調味料と大根おろしをあわせたシンプルなものだが、黒子の手作りがいいと言った黄瀬に自然と表情が綻んでしまった。そんな単純なことに今更ながら恥ずかしくなって、手元のボウルを乱暴にかき混ぜる。パタパタと足音がして顔を上げると、黄瀬が小さな箱を顔の横に掲げていた。よくケーキ屋で見るようなシンプルな白い箱は、予想した通り洋菓子が入っているらしい。

「どうしたんですか? またファンからの頂き物とかですか」

今はもうモデルをしていないが根強いファンというのはいるもので、例に漏れず黄瀬にもそういうファンが結構な人数いるようだ。そんなファンからの贈り物を無碍にすることもできず、黄瀬は律儀に持ち帰ってくる。それが黒子に小さな針を与えていることに、黄瀬はまだ気付いていない。

「違うっス。ってかファンの子にはもう持ってこないでってお願いしてるから大丈夫っスよ。これはオレからのお土産」

黒子の横で箱を開け、中に入っているシュークリームを示す。シュークリームにしては珍しくフルーツがふんだんにあしらわれている様は色とりどりでとても綺麗なものだった。

「お土産ですか?」
「そーっス! 先輩からこのお店教えてもらったんスけど期間限定らしくて。定時に飛び出して買ってきちゃったんスよ」

あとで二人で食べよ?
そう言って冷蔵庫にシュークリームをしまう黄瀬に黒子は小さな溜め息を吐いた。そんな黒子に、黄瀬は冷蔵庫の扉を閉めてから柔らかな髪に手を伸ばす。まあるい後頭部をゆっくり撫で、うなじから頬へ手を滑らせた。

「黒子っち? どうしたの」
「いえ、黄瀬君はボクを喜ばせるのが上手だなぁと思って」
「え、嘘。マジっスか?」
「……? こんなこと冗談で言いませんよ」

黄瀬からの予想外の一言に、黒子は呆れた表情を浮かべて顔を上げた。しかし目の前にあったのはいつもと違って真っ赤に染まった黄瀬の顔だった。耳まで赤くしてうろたえた表情を浮かべている。まさかそんな顔をしていると思わずにぽかんとしていると、気付いた黄瀬が両手で黒子の目を押さえてきた。

「ちょ、今駄目! 無理っス! オレのこと見ないで!」
「さっきは見なかったと文句を言っていたじゃないですか」
「さっきはさっき! 今は駄目!」
「身勝手ですね……手を離してください」

黄瀬の手を掴んで少し強引に外させる。ほんの少しの時間だったが明るさの差に目を瞬いた。黒子に手を掴まれている黄瀬は、どう贔屓目に見ても顔が真っ赤だった。

「真っ赤ですね」
「今は駄目って言ったのに……」
「いいじゃないですか」

黄瀬の髪に手を伸ばし、先ほど自分がされたのと同じように髪を撫でる。さらりと指先を零れていく髪は、蛍光灯の明かりでも金色に輝いていた。

「……黒子っちはオレを喜ばせる天才っス」

足元にうずくまって顔を隠した腕の下からそんなことを言う。トントンとまな板の上で包丁を動かしながら黒子も思ったことを答えた。

「それを言うなら黄瀬君もですよ」
「ね、黒子っち」
「何ですか?」
「だーいすきっス」
「……ボクもですよ」

たまにはと思って素直にそう言ったら、ガツンと大きい音がした。不審に思って視線を下げると脛を押さえている黄瀬の姿がある。
ごろごろと床を転がって、挙句の果てに停止した。しかしそれも数秒のことで、またすぐにクッションを抱えてうわあだの何だのと奇声を上げている。傍から見たら完全な不審者の黄瀬の隣にしゃがみこんで聞いてみた。

「……何してるんですか」
「く、黒子っちがオレのこと大好きって言うから……っ」
「ぶつけたんですね」
「名誉の負傷っス……!」
「はいはい、早く準備してください」

まだ転がっている後頭部をぺしりと叩き、黒子は調理台に残っている食材に手を伸ばした。床を転がっている黄瀬は気付かなかったが、黒子の唇の端が笑んでいるのは誰が見ても明らかだ。
二人で食卓を囲んで、食後のデザートもあって。考えることが似てきたなぁと思いながら、黒子はソースをくるりとかき回した。


20120807
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