とあるコーラ君とココアさんが特別になった話


「……何だよ」
「いえ、別に」
 ズズーッと青峰のお土産でもあるバニラシェイクを啜り、黒子はじっとりと彼を見ていた。折角買ってきたというのにそんな目で見られ、青峰の眉間に皺が寄る。営業の外回りから帰って来たときはこうして時々どちらかがお土産を買ってくる。それをフロアの休憩スペースで飲むのが、仕事中の小さな楽しみとなっていた。
「おい、テツ」
「はい」
「言いたいことあんなら言えって」
「……大したことじゃありませんよ」
 ふう、と息を吐いて空になったコップを指で撫でる。つつ、と雫の出来たそこから重力に従って水の筋が流れた。
「青峰君、つかぬ事を伺いますが」
「お、おう」
「ラブホテルってどういう仕組みなんですか」
「……は?」
「あの、ですからラブホ……うぐ」
 昼下がりのオフィスで聞くにはあまりにも場違いな単語に思わず聞き返してしまったが、至極真面目な顔をした元相棒は表情を変えることなく同じ単語を繰り返そうとした。慌てて手でふさぎ、周囲に聞かれていないことを確認する。
「……何言ってんだ、いきなり」
「いえ、先週ちょっと行ったんですけど、支払いを相手に任せてしまって。こうういうことはちゃんとしておかないと」
 ふう、と吐いた溜め息が艶かしく聞こえてしまい、あらぬ想像が青峰の頭の中で駆け巡る。さらりと話しているが、結構な爆弾発言だ。真面目だと思っていた友人がラブホテルに行き、支払いを相手に任せ、しかもその相手が年下だと言う。ナンパをする性格ではないから、多分声を掛けられたんだろう。そういえば先週は急遽入った残業に愕然とした表情をしていたから、その相手と約束をしていたのかもしれない。遅れたお詫びに、と言われれば黒子の性格なら断れないに違いない。
(食われたのか、食ったのか……?)
 黒子の雰囲気なら、年下に食われても何ら不思議はない。ごくりと生唾を飲み込んだ青峰の妄想はあらぬ方向へ進んでいく。
「どんなヤツだ?」
「ええと、背は高いですね……金髪で……」
「外人か?」
「違いますよ、日本人です。あ、でもモデルしてますよ」
「……はぁ!?」
 何だそれ、羨ましすぎるじゃねぇか。金髪美女で年下に食われるなら残業も悪くない。むしろお釣りが来るレベルだ。
 青峰の反応からそう考えていることを察した黒子は、溜め息交じりの声で衝撃の事実を告げる。
「あのですね……その人、男の人ですから」
「……は?」
 ―――どうしよう、元相棒がとんでもねぇことカミングアウトしてきた。
 ぴしりと固まった青峰に自分の台詞を思い出して、慌てて友達であることを言った。結局それだけでは信じてもらえず、先週何があったかを事細かに話す流れになってしまう。全部を聞いてようやく納得した青峰は、ソファーの背もたれに背を預けて腕時計に視線を落とした。休憩に入ってから結構な時間が経っている。そろそろ戻らないと鬼部長の頭から角が生えてしまうかもしれない。
「なぁテツ、そいつ今日呼んでみろよ」
「え、今日って夜ですか?」
「ああ。時間あんなら来んだろ」
 黒子のポケットに納まっている携帯を顎でしゃくる。今日は元々、青峰と黒子の二人で息抜きに飲もうという話しをしていた。彼はそこに黄瀬を呼べと言っている。先日携帯電話の番号を交換したから呼べはするが、何だかボタンを押すのが躊躇われる。
「青峰君、やっぱり」
「ほら」
「あっ!」
 ピッとボタンを押され、すぐに電話が繋がる。せめて黄瀬が出る前に切ろうと思ったが、数コールで電話の向こうから彼の声が聞こえてきた。
『もしもし? 黒子っち?』
「……き、黄瀬君ですか」
『そうっスよーキセリョの携帯っスー』
「あの、先週はお世話になりました。それで、あの……」
 やはりやめないかという思いを込めて青峰を見上げても、彼は唇の動きだけで早く誘えといってきた。諦めて電話を持ち直し、黄瀬の名前を呼んだ。
「ええと……急なんですが、今日の夜は空いてますか?」
『今日っスか? えーっとちょっと待って』
「あ、いえ! 仕事があるならいいんです」
『行く! 黒子っちからのお誘い断るわけねーっスよ!』
 嬉しいです。そう言ってもらえるのは確かに嬉しいですが、今回ばかりはあまり嬉しくありません。
 行き場のないやるせなさを感じながら、じろりと青峰を睨む。しかし彼はニヤニヤと笑って缶コーヒーを傾けるだけだった。このガングロ、どうしてくれよう。
「ええと……ボクの友人がキミに会いたいといっているんです。もしよければ、キミも誰か連れてきてくれて構いませんが」
『あー……前に言ってたバスケ仲間いるんスけど、今日二人ともバイトらしくて……オレだけになりそうっス』
 それでもいい? と優しく耳を撫でる声に顔が熱くなる。いつも思うが、どうして黄瀬はこんなに優しい声をしているんだろう。
 きゅっと唇を引き結んでいつもの無表情を取り戻すと、黒子は待ち合わせ時間と場所を伝えて電話を切った。



「はぁ? お前マイちゃんと同じ事務所なのかよ」
「あんまり会ったりはしないっスけど、新年会とかでたまに」
「はぁー!? ざっけんな、マイちゃんと新年会とか行きてぇに決まってんだろ」
 がしっと黄瀬の肩を掴み、ぐだぐだと絡んでいるのは相変わらずグラビアアイドルに目のない青峰だ。乾杯もそこそこにそんな話を始めたから最初は黄瀬が不快にならないかひやひやしたが、見れば楽しそうにしている。そのことにほっと安堵して、黒子は手の中のグラスを回した。
「あ、黒子っちあんまり飲みすぎちゃ駄目っスよ」
「分かってます」
「テツは弱ぇからな」
「キミたちが強すぎるんです」
 むっとしてグラスの中の梅酒を空ける。つまみの枝豆に手を伸ばし、塩味を堪能する。
「なぁ、合コンとかやったら来んの?」
「……いやーぁ……」
「青峰君、桃井さんに怒られますよ」
「うっせぇなぁ。言わなきゃ分かんねぇだろーが」
「ボクが言うのでばれますね」
「桃井さん?」
 突然出た第三者の名前にこてんと首を傾げる。顔を逸らしている青峰に代わり、黒子が説明した。
「青峰君の彼女です」
「ちょ、アンタ彼女いるんスか……いてその発言はねーわー……」
 うわー、と言いながら青峰から距離をとり、テーブルを回り込んで黒子の隣に座る。テーブルの真ん中に盛られた唐揚げを口に放り込みながら、そういえばと呟いた。
「掘北さんも確か彼氏いるけど」
「おいマジかよ」
「別れてなければ」
 こっくりと頷いた黄瀬に、青峰が崩れ落ちる。座敷の座布団に寝転がり、何やら下品なことを呟いていた。あの何とかが独り占めできるのかよとか聞こえた気がするが、あえて突っ込まずにスルーしておく。
「つーか青峰っちも彼女いるんだから同じじゃないっスか」
「オレのはいいんだよ、偶像崇拝だからよ」
「随分難しい言葉知ってましたね、驚きです」
「お前な……」
 のろのろと起き上がった青峰が一気にジョッキを空にし、追加のビールを注文した。それに便乗して黄瀬と黒子も二杯目のドリンクを頼み、それらが机に並んだ頃には共通の話題でもあるバスケの話にシフトしていた。
「こいつのパス見たことあるか? すげぇんだぜ」
「青峰君のプレーには負けますけど」
「つーかジャンルちげぇからな」
 からりと笑ってビールを呷る。向かいに座る黄瀬は黒子のほうを見て、自分より一回り小さな手を取った。
「黄瀬君?」
「ん? 黒子っちのプレーってパスメインなんでしょ? どんなパスすんのかなーって」
「今度やってみりゃいいじゃねぇかよ。お前のほうにもいんだろ? バスケするやつ」
「若さじゃ負けねぇっスよ」
「言ってくれんじゃねぇか」
 不敵に笑いあう二人に挟まれ、黒子はちびりと甘いカクテルを舐めた。じんわりと耳が熱い。酒に酔ったわけではないのに、どきどきと心臓がうるさい。黄瀬に掴まれていた手をグラスに這わせ、ガラスの向こう側にある氷の冷たさを感じていた。
「青峰っちっていい人っスね」
 はぁっとアルコールの混ざった息を吐き出して空を見上げる。ビルの隙間から見える空はちらちらと細かな光を散らしていた。黄瀬から数歩遅れて歩く黒子は、腕時計を確認して足を進める。
「楽しかったですか?」
「すっげぇ楽しかった! それに黒子っちの昔の話も聞けたし」
「……今とそんなに変わりませんよ」
「全然違うっスよ! 今度バスケやろうね、約束!」
 くるりと振り向いて黒子の前に小指を差し出す。真剣な表情の黄瀬に噴出し、立てられた小指に自分のそれを絡めた。
「はい、是非。ボクもキミのバスケを楽しみにしています」
「……同い年だったらよかったのに」
「え? 何か言いました?」
 手を離す瞬間、小さく聞こえた声に首を傾げる。しかし黄瀬は首を振るだけでその場を収めてしまった。また背を向けて歩き出す彼について、駅へと向かう。
「そういえば、青峰っちにまた今度飲もうって言われたんスよ。楽しかったしオッケーって答えたっス」
「……だ、駄目です!」
「へ?」
「え?」
 がしっと黄瀬の腕を掴み、後ろに引っ張る。足を止めた彼が目を瞬いている。早く、早く今言ったことを撤回しないと。頭ではそう分かっているのに言葉が出てこない。ぎゅうっと黄瀬の腕を掴んだ手も放せず、うろうろと視線を彷徨わせる。
「す、すみません! あの、えっと」
「……黒子っち」
 黄瀬の腕を掴んでいた手に彼の手が被せられる。ゆっくりと外され、きゅっと握り締められた。腰を屈めた黄瀬が黒子と視線を合わせる。その顔を見ることが出来ず、顔を俯けるしかできない。
「ねぇ、黒子っち。オレのこと見て」
「い、嫌です」
「顔上げて?」
「………」
 そろそろと視線を上げた黒子の目に、自分を真剣な表情で見つめている黄瀬の顔が映る。思わずもう一度伏せてしまいそうになった顔を、黄瀬の手が止めた。するりと頬を撫でる手と、微かに震える黄瀬の声。
「……何で?」
「………」
「オレが青峰っちと飲みにいくの、嫌なの?」
「い、嫌じゃないです」
「でもさっき駄目って言ったよね。何で?」
 黄瀬の視線が痛い。真っ直ぐに黒子の目を見つめる黄瀬の顔はやはりとても整っている。モデルで、年下で少し変わった友達。それだけだと思っていた。
 ―――それだけだと思っていたのに。
「黒子っち」
「ボ、クは……」
 掠れた声で何とか返事をする。うん、と小さく答えた黄瀬に、一つ一つ言葉を返していく。
「キミより年上ですし、普通の会社員です。何か突出した才能があるわけでもありません」
「……うん」
「面白い話も出来ませんし、コーラだってキミみたいに毎日飲めません」
 それでも。
「……キミの特別になりたいです」
 言った瞬間、ぶわっと顔に熱が上る。目を閉じて顔を伏せてしまった黒子の髪がさらりと零れた。その一筋を掬い上げ、髪先にキスを落とす。
「……ココアっちは最初からオレの特別っスよ」
「……え」
「オレがいつから見てたか知ってる?」
 無言で首を振ると、苦笑した黄瀬が肩を竦めた。ぱっと顔の横で広げられた手に首を傾げる。
「五月から。知らなかったでしょ」
「……ボクは夏くらいです。負けました」
「え、嘘」
「嘘じゃないです」
 頬に触れていた黄瀬の手を取って両手で包み込む。きゅっと握られた刺激に顔を赤らめた黄瀬が手を引こうとしたが、更に強く引いて自分の額に押し付けた。少しだけ上擦った黄瀬の声が耳に響く。
「黒子っち……?」
「黄瀬君、もう一度言います」
 顔を上げて黄瀬の顔を見つめる。口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと唇を開いた。
「黄瀬涼太君、ボクをキミの特別にしてもらえませんか?」
「……はいっス!」
「うわ……っ」
 ぎゅうっと身体を引き寄せられ、頬にコートの固い布地を感じる。身体に回された腕があまりに強く抱きしめてくるものだから、脇腹に拳をねじ込んでしまった。咳き込んでいる黄瀬の背中を撫でてやると、恨めしげな目で見上げられる。
「ひ、ひどいっス……」
「す、すみません恥ずかしくて」
「いいっスけどー……ねぇ、オレ気付いたことあるんスよ」
「何です?」
 ちょっと、と手招きされて黄瀬の口に耳を寄せる。しゃがんだままの黄瀬が内緒話をするように手を立て、小さな声で囁いた。
「今日の終電、さっき出ちゃったっス」
 どうしよっか?
 悪戯に笑う彼に、黒子はそれすら計算していたんだろうと小さく溜め息を吐く。計算高い年下の彼に翻弄される生活はまだ始まったばかりだった。

20130515
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