とあるコーラ君の家にお泊りする話


 黄瀬涼太は悩んでいた。原因は目の前ですやすやと気持ち良さそうに寝ている年上の友人、通称ココアっちのせいだ。酔ってあろうことか人の背中で寝こけてしまった彼を家に連れ帰って小一時間。完全に熟睡体勢に入ってしまった彼はちょっとやそっとの刺激では起きない。その証拠にスーツの上下を脱がせても彼はぐんにゃりとしていて全く起きる気配がなかった。そのままでは風邪を引くと思って自分のジャージを着せたが、上だけを着せた段階で彼はごろりとベッドに横になってしまった。そうなると裾から艶かしい足が見えて、黄瀬は慌てて毛布で彼の身体を包み込んだ。
 ココアっちは女性じゃないし、そもそも自分はノーマルだ。先ほど見えた白い生足を振り払うようにぶんぶんと頭を振り、黄瀬はシャワーを浴びるために立ち上がった。
 一人暮らしの男の部屋は洒落っ気なんて全然ない。モデルのバイトをしているから人並みに気を遣ってはいるけれど、テレビドラマみたいなお洒落な部屋に住んでいると思われても困る。そもそもモデルなんて、想像よりも全然ギャラが安いのだ。華やかな世界に見えても結構泥臭いところが多い。多分その点は女性のほうが顕著なんだろうけど、と考えて着ていた衣類を洗濯機に放った。
 熱いシャワーを頭から浴び、もうもうと立ち上る湯気の中で溜め息を吐く。
 何だってこんな展開になってるんだ。いつもと同じように駅で会って、それだけだったのに。
(それにしてもココアっち、酒弱いんスね)
 見た目からも強そうな感じはしない。黄瀬を見てへらっと笑った顔を思い出してぶわりと顔が熱くなる。
「アレで年上とか、じょーだんっしょ……」
 大体ひよこって。大の大人がひよこって!
 黄瀬は彼に『ひよこさん』と称された髪をつまんで再び溜め息を吐いた。ざぁざぁと流れていく泡が円を描いて排水溝に吸い込まれていく。
 きゅっとコックを捻り、垂れた雫はそのままにバスタオルに手を伸ばす。ガシガシと乱暴に拭いながら部屋に戻ると、ココアっちは先ほどと同じ体勢のまま毛布に包まっていた。
(気持ちよさそーに寝てくれちゃって。あーあ、涎垂らしてやんの)
 いっそ写真でも撮って後でからかってみようか。そんな悪戯心が沸き起こり、黄瀬はカメラを構えて彼の前に座った。無言でカメラを近づけ、画面いっぱいに彼の寝顔を映す。
(……つーかココアっち肌白すぎ。細いし、ちゃんと食べてんの?)
 カシャリとシャッターが切られた瞬間はさすがに起きるかと思ったが、彼は変わらずすうすうと寝入っている。ここまで来ればもう起こそうという気もなくなる。
 しかしこの部屋に客用の布団なんて上品なものはない。仕方なくダウンジャケットを着込み、黄瀬はクッションを枕にして横になった。すぐ手の届く場所に彼がいる。そう考えると落ち着かなくて何度も寝返りを打つ。しかし床の上では身体に痛みを残すほうが強くて、三度目で寝返りはやめた。
(……いい気なもんっスね)
 絶対に今度仕返しをしてやる。じっとりと睨み、黄瀬はぎゅっと瞼を閉じた。



 まず思ったことは、頭が痛いということだった。黒子はのろのろと身体を起こし、ガンガンと痛む頭に手を添えた。この感覚には覚えがある。二日酔いだ。
「……うーん……ん?」
 自分の手に視線を落とすと、見たことのない部屋着。しかもサイズも大きい。すっぽりと手の甲まで覆ってしまってもまだ余りある布はやはり見覚えがなかった。
「ジャージでしょうか……」
「ん、んー……」
 いきなり知らない声が聞こえてびくりと肩を跳ねさせる。声がしたほうを恐る恐る見ると、キラキラとした金髪がちらりと見えた。まさか外国人だろうか、一体昨夜、自分は何をしでかしたのか。こちらに背を向けている彼をそっと覗き込んだ瞬間、黒子の目が丸くなる。
「え、コーラ君……! っ、いたた……」
「んん……あれ、起きたんスか……?」
「ええと、あの……」
「あー二日酔いっスよね。ちょっと待ってて、水持ってくる」
 もぞもぞとダウンジャケットを着たまま起き上がり、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。それを黒子に渡すと、手を頭に添えたまま黄瀬のことを見上げていた。
「……ここはキミの家ですか?」
「うん。昨日のこと覚えてる?」
「………」
 無言でペットボトルに口をつけた彼に溜め息を吐く。
「ご、ご迷惑をお掛けしました……」
「ホントにね。ココアっちがそんなに酒癖悪かったなんて知らなかったっス」
「ふ、普段は自制しているんですけど……昨日はちょっと」
 ごにょごにょと言葉を濁す彼の向かいに腰を下ろし、着ていたダウンジャケットを脱いだ。赤外線ヒーターの電源を入れると、じわりと部屋が暖かくなっていく。
「お陰でオレの布団取られるし毛布には涎垂らされるし、昨日はダウンジャケットとられた挙句におんぶまでさせられるし?」
 矢継ぎ早に放たれる黄瀬の言葉に顔を真っ赤にして、ただでさえ細い身体をどんどん小さくさせる。ちらりと上目遣いでこちらを伺う視線はまるで小動物のようだ。
「本当にすみません……あの、ボクの服は……」
「スーツは皺になるから脱がせたっス。シャツは今干してるよ。あとジャージはオレのじゃ長すぎたから上だけ」
「はぁ……」
 下を穿いていない理由は分かったが、毛布から出る理由にはならない。素肌に毛布が触れる感覚が何となく恥ずかしくて、壁際に掛かっているスーツに視線を遣った。
「ごめんなさい。クリーニング代はお支払いしますから」
 ぺこりと頭を下げる黒子をじっと見つめる。身体を縮こまらせる彼が可愛くて、動揺させるよう無表情を装っていたがもう限界だ。黄瀬は小さく噴出してから、身体を折って笑い出した。ぱちくりと目を瞬いている黒子に、顔の下半分を押さえながら告げる。
「いいって。別に怒ってるわけじゃないっスよ」
「か、からかったんですか……!」
「でも言ったことは事実っスよー? ココアっち人のことひよことか言うし」
「あ、ひよこの夢は見ていました」
 あれコーラ君だったんですね。
 得心がいったと頷く彼に、つい聞いてしまいそうになる。
『オレの名前知ってるの?』
 昨日、背中の彼が呟いた名前が頭から離れない。確かにモデルという仕事をしている以上、知らない相手が自分の名前を知っていることは多い。けれど彼に限って、黄瀬のことなんて知らないだろうと思っていた。一晩考えた結果、黄瀬は昨夜の出来事は勘違いだと結論付けた。
「ったく、ココアっちは反省してるんだかしてないんだか……まぁいいや、ちょっと待っててよ」
 そう言ってキッチンに行き、冷蔵庫から適当なものを取り出す。鍋を取り出して何か作り始める黄瀬を、黒子の視線が追っていた。しかし下半身に下着以外身にまとっていないとなるとどうにもこちらが不利に思えてしまう。何と勝負しているのかは分からないが。
 きょろきょろと辺りを見回すと、上に着せてもらっているものとお揃いのジャージが見えた。手に取ってみると、なるほど黄瀬が言ったように自分には長すぎる。コンパスの違いをまざまざと見せ付けられ、黒子はそのジャージをそっと畳んだ。その隣にあったハーフパンツを手に取り、足を通してみる。
「………」
とりあえずはこれでいいだろう。ハーフパンツという名称が現在黒子が穿いているものに当てはまるかは別として。
「ココアっち? ご飯できたっスよー」
「え」
「えって何。二日酔い酷いんでしょ? 少し休んでから帰れば」
 黄瀬が持ってきたお盆にはほかほかと湯気を立てている一人用の土鍋があった。真ん中に梅干を落としたシンプルな梅粥に、黒子の喉が小さく鳴る。その隣には自分用なのか、惣菜パンが一つ並んでいる。
 お盆を置かれたテーブルににじり寄り、茶碗によそわれた粥と黄瀬の顔を交互に見る。どうぞ、と渡された茶碗を受け取り、れんげで一口掬った。
「……おいしいです」
「それなら食べられるっしょ? 少しでも腹に入れとかないと」
「ありがとうございます」
 黄瀬も自分のパンを食べ始め、暫く無言の時が流れた。しかし居心地の悪い沈黙じゃない。最後に梅干を口に含み、種を転がす。空になった器を見て黄瀬が満足そうに笑った。
「うまかった?」
「はい、ご馳走様です。この梅干おいしいですね」
「でしょ? うちのばーちゃんのお手製」
 へへっと自慢そうに笑う黄瀬に自然と黒子の表情も綻んだ。器を下げようとしたが、黄瀬に止められて再び腰を下ろす。手持ち無沙汰で改めて部屋の中を見てみると、黄瀬らしい部屋だということに今更気がついた。
 家具はモノトーンで統一されているが、クッションなどには挿し色を使っていて綺麗にまとまっている。ラックに並んだ雑誌に漫画が混じっているのを見て小さく笑った。その中の一つに自分も以前買った雑誌を見つけ、ぱらぱらと捲ってみる。
「あ、ちょっと何見てるんスかー。エロ本はないよ」
「そんなもの期待していませんよ」
「ってそれダメ! ちょ、ココアっち!」
 ばさりと手の中の雑誌を取り上げられ、突然の勢いに目を瞬く。空っぽの手からのろのろと視線を上げ、自分が載っている雑誌を抱きしめている黄瀬を見つけた。
 何だろう、何と言うか、とても気持ち悪い構図だ。
「置いてあったのを勝手に見たのは謝りますが……そんなに嫌なんですか?」
「え、な、なな、何が?」
「自分の載っている雑誌を見られるの」
「……え、もう見た?」
「ええと……今は見てませんが、以前に。一冊買ったんです、キミの載っている雑誌」
「それでオレの名前知ってたんスか」
 思わずぽろっと言葉が出てしまい、しまったと思ったときには目を真ん丸くした黒子の姿があった。じわじわと顔の端から赤くなっていき、耳まで染めた彼はぱっと俯いてジャージの裾を弄った。
(ちょっと、この人ホントにオレより年上? 照れて裾弄るとかイマドキ女子でもしないっつーの)
 それに女の子がやるその行動だって計算なのだ。それが可愛く映るなんて都市伝説だ。そうに決まっている。
(……この人都市伝説かも)
 目元を手で覆い、溜め息を吐いて天を仰ぐ。そのまま座り込んだ黄瀬に心配そうな視線を送るが、当の本人は全く気付いていない。
「あ、あの……黄瀬君というんですよね」
「そうっス……」
「ボクは黒子テツヤといいます。あの、これからも宜しくお願いします」
 黄瀬の前で正座してぺこりと頭を下げる。何だか順番がちぐはぐな気もするが、黄瀬の名前を知っておいて名乗らないのもフェアな気がしない。その前に彼の名前を調べたことは伏せておいたが。
(何だか恥ずかしいじゃないですか)
 フローリングの床をじっと見つめ、木目を数える。数秒たってから黄瀬の慌てた声が降ってきて、ふと口元に笑みが浮かぶ。
「こ、こちらこそっス! それじゃあ黒子っち?」
「……あんまり変わった感じはしませんね」
「はは、確かに」
「でもボクはコーラ君と呼びますけど」
「えっ! 何で!?」
 突然の黒子の言葉に身を乗り出す。
 だって、と呟いた黒子はこてんと首を傾げて続けた。
「ボクだけの呼び名じゃないですか。黄瀬君と呼ぶのは二人だけのときにします」
「………っ!!!」
 こ、この人わざとなんじゃねぇの? 分かっててやってるんだろ? そうだって言ってよ!
 黄瀬は後ろに倒れ込み、クッションに顔を埋めた。後ろでは慌てた黒子が声を掛けてくる。
 どうしたんですか黄瀬君じゃねぇよ。何アンタ、マジで可愛すぎるっつーの。ばーか。
 ぎゅうっと強く目を瞑り、黄瀬は黒子の声を振り払おうと必死になっていた。

20130426
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