とあるコーラ君とココアさんの話


(……こんな寒い日もコーラですか)

黒子は階段を下りた先で、自動販売機の前にいる男子学生をちらりと見た。彼と同じようにポケットに入れていた小銭を取り出して自動販売機に入れる。ぱっと灯った電気を確認してから、ココアのボタンを押した。
毎朝駅のホームで見かける男子学生は、時々帽子と伊達眼鏡をかけている。普通の人が使えばダサくなる黒縁のフレームも、イケメンが使うと立派なアクセサリーの一つだ。伊達眼鏡だと思ったのは黒子の勘だが、多分間違ってないと思う。
背が凄く高くてイケメンな彼は(本人は気付いていないにしろ)駅の名物の一つとなっている。周囲の女性たちが彼に視線を送っているのも、このあたりの車両だけ女性専用車のようになっているのも本人は気付いていないだろう。今日も周囲に漂う香水の香りに一つ溜め息を吐き、黒子は空き缶をゴミ箱へ捨てた。
とは言うものの、自分も彼の姿を見ることを楽しみにしている一人だ。
いつから、とはっきり覚えていないが彼の姿を認識しだしたのは夏の初めだったと思う。ばたばたと駆け込んできたにも関わらず目の前で閉まったドアに「ああぁぁ……」と情けない声を出してがくりと膝に手をついていた。
そんな彼の姿を見て、電車を待っていた子供が笑った。おにいちゃん、おねぼうしたの?と笑った声に母親が焦って静かにさせようとする。だが彼は怒るでもなくぱちりと目を瞬いたあと、くしゃっと笑ってしゃがみこんだ。

「そうなんスよー。お兄ちゃん朝弱くって」
「遅くまでおきてちゃだめなんだよ、まい早く寝てるもん!」
「まいちゃんは偉いっスねー。そんなまいちゃんにー……えーっと、あれ、どっかに……」

ごそごそとジャケットのポケットやらカバンを漁って一つの飴を取り出す。それを少女の手に乗せてやり、ついでに頭も撫でてやっていた。

「はい、オレからご褒美っス! ちゃんとママの手握って迷子にならないようにするんスよ?」
「いいの?」

まいと名乗った少女はちらちらと黄瀬と母親を見比べ、飴を受け取ったあとにありがとうと笑った。
それを受けて彼もまた笑う。その笑顔が子供みたいで、何故か胸に焼きついた。

(あ、いいなぁ。あの笑顔)

黒子と同じ電車に乗り込む親子連れにひらひらと手を振っている彼を横目で見る。今日は電車を一本遅らせていて良かった。お陰でいいものが見れたと考えながら、黒子は会社に向かった。

     ◆

会社と家との往復の間に見つけた楽しみは、いつしか黒子にとって大事な時間となっていた。学生だからか毎日見ることはなかったが、その代わり見られたときは得をした気になる。今日も下りたホームの先で、彼の姿を見つけ、ほんわりと胸が温かくなった。ポケットに入れていた小銭を取り出して自動販売機に入れる。直前にすれ違った彼の手には、今日もまた赤い缶が握られていた。

(寒いのにジュースなんて)

そう考えてしまうのは自分が年をとったのだろうか。まだまだ若いつもりでいたのにと黒子が人知れず手元のココアを暗鬱とした気持ちで眺めていると、自分の隣にいた女子高生が何か話しているのが聞こえた。

「ねぇ、あれ……キセリョじゃない?」
「え! この近くに住んでるって噂、本当だったんだ」
「声掛けてみる? あーでもだめ! キンチョーする!」

何とはなしに彼女たちの視線を追いかけると、彼の姿がそこにあった。
……キセリョ? どこかで聞いたことがあるような……。
しかし黒子が思い出すより先にホームに到着した電車に言葉が巻き取られる。ひゅうっと強く吹いた風に首を竦め、そろりと目を開けると、どっと流れ込んできた人の流れに彼の姿は紛れてしまっていた。仕方なく自分もホームに滑り込んできた電車に乗り込み、ぎゅうぎゅうと押される中で何とか場所を確保する。ポケットから取り出したスマートフォンに、先ほど聞いた名前を打ち込んだ。

(黄瀬涼太、ですか……あ、モデル。納得ですね)

並んだ写真とプロフィールに目を通し、こんなに近所に芸能人と呼ばれる人がいたことに少なからず驚く。あそこまで顔がよければ確かにモデルをやっていても違和感がないが、何となく遠いなぁと思ってしまう自分もいた。

「よぉテツ。最近遅刻ぎりぎりだな」

ぎしりと椅子を軋ませて黒子を見上げてきたのは、学生時代からの付き合いである青峰だった。高校と大学は別だったが、就職先の部署が同じだった。出来すぎた偶然だとも思ったが、現に彼はここにいるのだから仕方がない。ぜえぜえと上がった息を整えて背広をロッカーに仕舞う。

「けどお前、いつもそんなにぎりぎりだったっけか?」
「ちょっと、電車を……」
「ああ、乗り遅れたか」
「いえ、遅らせているので……」
「はぁ? そんで遅刻しそうになってんのか? 何してんだお前」

意味が分からないといった顔で大仰に驚かれ、居心地が悪くなる。口が滑ったと思いながら黒子も席についた。

「そういえば青峰君、身長いくつでしたっけ」
「何だよ急に。192だけど」
「……ちょっと立ってみてください」

立ち上がった青峰の正面に向かい合う形で席を立つ。自分の視線の高さに青峰のネクタイが見え、結び目は少し高い場所にある。むぅと眉を顰めていると、ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き混ぜられた。

「ちょっと、やめてください」
「いきなり人のこと立たせといて何だそりゃ。大体何の意味があったんだよ」
「意味はないですけど」
「あぁ?」

ぎゃいぎゃいと喚いている青峰を無視して席に戻る。引き出しに仕舞っていた携帯を取り出し、画面に表示されたプロフィールを確認した。

(身長189cm……あんな感じなんですか)

話してみたいとは思う。しかし何を話せばいいのか分からないし、そもそも自分が見ていることなど彼は知らないだろう。もしかしたら姿くらいは見ているかもしれないが、元々影の薄い自分では彼の視界に留まるなんて出来なさそうだ。
人知れず小さな溜め息を吐き出し、とんとんと書類を揃えた。それに、自分は社会人で彼はバイトをしているとはいえ学生だ。彼から見たら社会人なんてひっくるめておじさんに違いない。
そう考えて、自分で自分を納得させる。今日は金曜日だし、終わったら青峰とバスケットコートへ行く約束もしている。なるべく早くこの仕事の山を片付けてしまおうと気合を入れなおした。
帰り道に通りかかったコンビニでふと雑誌に視線を落とす。外に向けて並べられているものの一つに黄瀬の顔を見つけ、思わず中に入ってしまった。ラックに並べられたものの一つを取り、パラパラと捲ってみる。さすが表紙を飾るだけあって取り上げられているページ数も多い。手に取ったカゴに缶チューハイとサラダ、それからその雑誌を放り込みレジに向かった。
帰ったアパートで缶チューハイを開け、その隣にサラダを置く。ドレッシングをかけたそれをつつきながら、先ほど買った雑誌を取り出した。

「黄瀬涼太だからキセリョですか……」

ぱらりと捲った先には、黄瀬のインタビュー記事があった。何枚かのスナップ写真と三ページに及ぶインタビュー。一日パソコンと睨めっこしていた目には雑誌の字が小さく、難しい顔をしながら読み進めていく。
休日の過ごし方のところにバスケの文字を見つけてほわりと胸が温かくなった。ファンの心理というのはこういうものだろうか、何か一つでも共通点があると嬉しくなる。色々な雰囲気の写真が載っている雑誌をぱたりと閉じ、ラックの取り出しやすい位置に置く。他にほとんど雑誌などないというのに、女性向けの表紙がどことなく恥ずかしい。温くなり始めてしまったサラダを口に押し込み、残っていた缶チューハイをぐっと呷った。

     ◆

『今日の天気は晴れですが、この冬一番の寒さとなるでしょう。乾燥には十分お気をつけください』

いつもと同じ時間、天気予想を聞いてからテレビの電源を落とす。画面が暗くなったのを確認してから玄関に向かい、ホッカイロを一つポケットに突っ込んだ。冬生まれとはいえ寒いものは寒い。ポケットの中のカイロの形をぐにぐにと変えながら首を竦めて駅に向かう。だんだんと温かくなり始めた頃に到着した駅で、反対側のポケットに入れていた小銭をちゃりんと掻き混ぜた。
自動販売機の前にいる黄瀬の姿を見かけて、少しだけ足を早める。彼の後ろに並んでいると、自販機は全然見えなかった。

「……あ。あー……」

ガコンという音と共に聞こえた黄瀬の声に小さく首を傾げる。やっちった、と小さく呟きながら下に手を入れ、缶を取り出している。取り出した缶は普段の見慣れたものだったが、いつもと違うココアの缶だ。普段炭酸飲料を飲んでいる彼が珍しい、と自販機を見ると季節の変わり目だからかドリンクの表示場所が変わっていた。いつもならジュースのある場所に温かいココア。これを間違えて押してしまったのだろうと察し、普段彼が飲んでいるジュースを探した。

(ありました)

ちらりと彼を見ると、まだ手の中の缶を開けていない。ピッとジュースのボタンを押し、出てきた缶を取り出す。それを彼に渡そうとしたところで、ぴたりと黒子の腕は止まってしまった。

(何ていって渡す? 理由は?)

彼が間違えたかどうかなんて、以前から見ていた自分にはすぐに分かった。しかし普通に考えていきなり初対面の男から「どうぞ」といわれたらどう思うだろう?
考えるまでもなく不審に思われるに違いない。何故いつも飲んでいるジュースを知っているのかとか、どうして間違えたことを知っているのかとか。
一つ怖くなると連鎖的に連なり、不安が黒子の足を止める。そうこうしている内に缶のプルトップを開けた黄瀬は、ぐっとココアを飲んでしまった。自分の手の中に残された炭酸飲料の缶がひんやりとする。仕方なく黒子もプルトップを引いたが、舌に残るびりびりとした感覚は会社に行くまで拭いきれそうになかった。

「何だテツ、今日は残業か?」
「青峰君。見て分かるなら手伝ってくれませんか?」
「わーりぃ。今日は外せない用事あるんだわ」
「………」
「そんな目すんなって。マジだマジ。今度昼奢ってやっから」

ぽんぽんと頭を叩かれ、乱れた髪を直す。ひらりと手を振った青峰を見送ると、オフィスがシンと静まった気がした。フロアの奥にある別部署には数人残っているようだが、この近くの人は全員退社したらしい。時計に目を遣ると時刻はそろそろ21時を差そうとしていた。

「あと二時間くらいで終わればいいのですが」

希望的観測を多分に含んだ呟きを漏らし、黒子は一番のネックになっているファイルをクリックした。近所のコンビニで買ってきたおにぎりを咀嚼しながら作業を進めていく。途中何度か見た時計は一度見るたびに随分と針を進めていて、それに対して遅々とした進みしか見せない作業に溜め息を吐く。ようやくすべての作業が終わった頃には、やはり23時を過ぎてしまっていた。この時間になると終電との勝負が始まる。ここから駅までは歩いて五分だが、終電までそんなに余裕はない。ばたばたと荷物を片付けてパソコンをシャットダウンすると、黒子は誰もいないフロアを見回してぱちんと電気を消した。
警備員用の出入り口から外に出ると冷たい風が頬を撫でた。思わず首を竦めて吐き出した息は真っ白に染まっている。そういえば最近、あまり白い息を見なくなったなぁと考えながら足早に駅へと向かっていった。
幸いにも終電が到着したところで、息を吐いてマフラーを取る。電車内にいる人々は、誰しもが疲れた表情を浮かべていた。ガタンゴトンと揺れる電車からぼんやりと外を眺める。街中の電気がちらちらと瞬いていることにどこか安堵し、最寄り駅までの数十分目を閉じることにした。
プシューと開いたドアから足を下ろした瞬間、目の前に見えた姿に思わず声が出てしまった。
しかしそれは彼も同じだったらしく、驚いた表情でこちらのことを凝視している。

ええと、何か。何か言わないと。
うろうろと視線を彷徨わせた先に見えた自動販売機と彼を交互に見る。渇いた喉からこぼした言葉は、何だか間抜けなものだった。


「コーラ君、ですよね。こんばんは」





それを聞いて驚いた彼の表情と、寒空の下で飲んだココアの味はずっと忘れそうにない。
少しだけ近くなった距離と、名前を隠した関係と。どちらもがさわさわと胸の内側に小さな波を立てている。きゅっと握り締めた手でその二つを落ち着け、黒子は買ったばかりのあの雑誌をクローゼットの奥にしまいこんだ。

(こんなものより、次からは君に聞くようにします)

最後に雑誌の表紙を指先で撫で、ぱたんと扉を閉めた。
20130109
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