とある小説家と芸能人の話


不意に交差点で聞き覚えのある声が聞こえた気がして足を止める。見上げた先には、電光掲示板に映し出された男の顔があった。

『忙しい朝にはやっぱりこれ! 新作はグレープフルーツ味っス!』

キラキラと眩しい金髪が光を撒き散らしている。黒子は寝不足の目には痛い金髪と笑顔をじっとりと見つめ、重い溜め息を吐き出した。

黄瀬涼太、23歳。ふたご座A型。彼女はなし。
最近テレビ番組にも進出してきたモデル出身のタレント。CMなどから垣間見える演技力の高さと、相反するほど明るいキャラクター。モデルのときはちょっと冷たさを感じさせる表情をするのに、バラエティー番組では少年のような振る舞いをする。そのギャップと爽やかさが人気となり、こうして街中で姿を見る機会も増えた。

もう一度見上げると、電光掲示板は別パターンのCMの再生を始めたところだった。

―――ああ、頭が痛い。

『うー………っち、今日は積極的っスねぇ……。……っ! やばいマジ遅刻!』

すやすやと気持ちよさそうに眠っていた姿から一転、がばりと起き上がった彼がばたばたと準備をして冷蔵庫からパックを取り出す。それを走りながら飲み、何とか電車に滑り込むというCMだ。
数秒チャージ・二時間キープという聞き覚えのあるフレーズが画面に走り、さっきのCMで言っていた新作が表示される。結局最後まで見てしまってから、はっと我に返った。
既に色の変わっていた交差点は、人の波が押し寄せる濁流のようだ。だが実は、これも不協和に見えて案外独自のルールがある。そのことに気付いてからは幾分交差点を渡るのもスムーズになったなぁと考えながら、駅から徒歩五分ほどのところにあるビルのエントランスに入った。
築数年のビルはまだそこかしこに新しい雰囲気を残している。白が基調の室内に、主だったインテリアは黒で統一されている。所々に点在する差し色も、十分にその役目を果たしていた。受付嬢に会釈をし、ビルの入り口ではなく併設されたカフェに向かう。静かに開いた自動ドアの向こうには、こぢんまりとした喫茶店があった。
窓際の席に座ってコーヒーを頼む。程なくして運ばれてきたそれにミルクを垂らし、くるくると掻き混ぜる。かばんから取り出した資料を並べ、小さく溜め息を吐いた。
今朝から頭痛が途絶えない。何の意地かもはや自分でも分からないが、薬を飲んだら負ける気がしていた。
主に眠気に、だが。
大通りに面した窓から入り込む日差しは、外の気温さえなければ暖かいものに変わる。カフェインをと頼んでみたが、ブラックでないと意味がないのか。むうと眉を顰め、黒子は寝不足の目をこすった。

「あ、黒子っちー! いたいた!」

自動ドアを抜けて黒子の前に遠慮なく座る。彼のために机に広げていた書類を一まとめにし、メニューを渡した。

「オレはいいっス。黒子っち飲むまで待ってるから」
「そうですか。ところであれは何なんですか」

黄瀬君、と彼の名前を呼ぶ。
今黒子の目の前に座っているのは人気絶頂のタレント、黄瀬涼太その人だった。黒子の言葉にぱちりと目を瞬き、何のことかと首を傾げる。そんな何気ない動作の一つとっても整っていて、神様と言うのはつくづく不公平だと思い知らされた。

「あれって何?」
「あれです、あのCM!」

ちょうど向かいのビルに映し出されたCMを指差してテーブルを叩く。衝撃に揺れた水面が落ち着くまで待ってから、ずきずきと痛むこめかみに指を当てた。

「えー……オレわかんねっス」
「馬鹿ですか君は。……ああ、馬鹿でしたね」
「ちょ! 黒子っちヒドイっスー! オレだってちゃんと本とか読んでるし!」

そう言ってカバンを漁る黄瀬を無視してコーヒーを啜る。
舌に乗った苦味に眉を顰め、ちびりと舐めただけでカップを戻した。
そもそも自分は甘党なのだ。

「じゃーん! ほら! これ! 黒子っちの新作!」

黄瀬のカバンから出てきたのは、先日発売されたばかりのハードカバー本。
シンプルな藍色の表紙に、銀の箔押しでタイトルが印字されたものだ。電車の中や移動中に読む本としては少々違和感があるが、著者のところに記された名前にかぁっと顔が赤くなった。

黒子テツヤ、22歳。みずがめ座のA型で、新進気鋭のミステリー作家。
去年出版社主催の賞に応募して、新人賞を獲得した大学生作家だ。だが学業を優先したいという黒子の意向にそって、執筆活動は最小限にとどめていた。そんな彼が大学を卒業して初めて出した書下ろしの新作が、目の前にあるこれだ。

「や、やめてください。買わなくてもあげますよ」
「やだ! 黒子っちの本出るって聞いたから予約までしたんスよ!? あと開店前から本屋に並んだのも初めてっス!」

本をぎゅうっと抱きしめて表情を崩す。その姿にきゅんとした胸にはっとし、ぶんぶんと頭を振る。

「違います! そうじゃありません!」
「あ、ばれた?」
「あのCM、何でボクの名前呼んだんですか!」

そうなのだ。先ほどのCMは数日前から放映が開始されたものだが、その中の一部に問題があった。CM自体に問題はない。冒頭のシーン、ベッドに寝転がってむにゃむにゃと寝言を言っている黄瀬の台詞が問題なのだ。

「朝の番組でばれちゃったじゃないですか!」
「クロコッチってカタカナで書くと何か時計のブランドみたいっスよね」
「き・せ・く・ん?」
「ハイ……スミマセン……」

しゅーんと項垂れてしまった黄瀬を見て黒子も背もたれに寄りかかる。最初に黒子の名前を呼んでいることに、黒子本人はすぐに気付いた。それで黄瀬に電話を掛けたら『アドリブでって言われてつい言っちゃったんスよ、だいじょーぶ! 案外バレないもんスよ?』とのんきな声で返されて鵜呑みにしてしまった自分を殴りたい。
何度か見ているとやはり違和感を感じた人が多かったのだろう、朝の情報番組の一部で取り上げられているのを見てしまった。画面上に流れていた『黄瀬涼太の発する“クロコッチ”とは!?』という文字に手に持っていたマグカップを落としてしまった。

「……君のせいでカップが一つだめになりました」
「だから一緒に暮らそうって言ってるじゃないっスかー。いい加減頷いてよ」
「嫌です。君と暮らしたら身体が何個あっても足りません」
「え、黒子っち……それって……」
「何故顔を赤らめてるんですか。君が四六時中犬みたいにじゃれついてくるからですよ」

つんと顔を逸らしてテーブルの上の伝票に手を伸ばす。それを黒子より先に抜き取って、黄瀬はレジカウンターに向かってしまった。肩を竦め、仕方なくテーブルの上に散らばった書類を片付けていると、会計を済ませた黄瀬が戻ってきた。

「黒子っちは打ち合わせ終わったの?」
「……はい」
「? どうしたんスか? 何か悩み事?」

話なら聞くよ? と顔を覗き込んできた黄瀬の優しさがほんわりと黒子を包み込む。ここでこうして絆されてしまうから駄目なのだ。もっと厳しくしないと。

「黒子っち? オレじゃ頼りにならない?」

もっと厳しく……。
「やっぱオレみたいにチャラチャラしてるの、黒子っち好きじゃないっスよね」

もっと………。

「でもオレ、ほんとに黒子っちのこと大事なんだよ」

…………。

「……黄瀬君の家で、お話します……」
「うん! じゃあ行こ!」

ぱあっと明るくなった黄瀬に引きずられ、今日もあざとさを増したわんこに黒星だったと自分の中のスコアを更新した。
タクシーに乗り込んで数十分、着いた先でようやく腰を落ち着ける。ここに来るのも一週間ぶりだが、相変わらず嫌味なほどに広い家だ。お気に入りのクッションを抱きしめ、黄瀬が戻ってくるまで待つ。はい、とカップを渡され、甘いミルクティーにほっと息を吐いた。
そうすると眠気のほうも蘇ってくるが、ここなら別に構わない。……黄瀬が変なことをしてこないか若干不安ではあったが、彼は黒子が本気で嫌がることは絶対にしない。それはこの十年ほどに渡る付き合いで十分に分かっていた。

「で、何があったの」
「それなんですが……」

おずおずとカバンから書類ケースを取り出す。黒子が頷いたのを確認してから手に取り、ぱらぱらと捲ってみた。

「……え、映画化!? これマジっスか!?」
「……まだ計画段階ですけど」
「凄いじゃないっスか! うわ、おめでとう!」
「それに関してはありがとうございます」
「……他に何かあるの?」

新人の扱いとしては破格の映画化の話に、しかし黒子はあまり喜んでいないようだった。不思議に思って更に資料を読み進めていくと、監督からの要望のところに見慣れた名前を見つけた。

【主役:黄瀬涼太】

「……え?」
「そこなんです」
「……オレ、主演?」
「……はい」

こくりと頷いた黒子と、手に持った書類を交互に見る。何度見ても思い当たる黄瀬涼太は一人で、主役の文字も変わらない。

「……どーしよ、オレめっちゃ嬉しい……」
「ボクは不安です。ボクの小説で黄瀬君が映画デビューなんて……」
「何で? オレはすっげぇ嬉しいよ。何とか賞取った作品よりも黒子っちの本がいい」
「黄瀬君のキャリアに泥を塗ってしまいます」
「黒子っちはばかっスねぇ」
「……君に言われるとムカつきます」

頬を膨らませた黒子を抱き寄せて腕の中に閉じ込める。ぎゅうっと強く抱きしめて、髪にキスを落とした。もぞもぞと体勢を変えた黒子が腕の中から見上げてきて、その上目遣いに心臓がうるさくなる。

「……受けてくれますか? 黄瀬君」
「オレが断ると思う? オレのこともっと信用してよ」
「……だって怖いです。もし失敗してしまったらボクは責任を取れません」
「なーんで黒子っちはそんなにネガティブかなぁ」

もっと頼ってよ、恋人の特権なんだから。

言葉と同時に降ってくるキスに目を伏せ、黒子は頼りがいのある恋人に身を委ねた。





やはり絆されるべきではなかった。
あそこで許したのが間違いだったのか、それともその前か。そもそも自分の教育方法が間違っていたのかもしれないと黒子は眉間に皺を刻んだ。
視線の先にあるのはゴールデンタイムのバラエティー番組だ。映画の製作が発表になってからというもの、黄瀬を前面に押し出しての宣伝を行うことに決まったらしい。黄瀬自身も黒子の作品ならばと請け負って、今では彼の姿をテレビで見ない日はない。
その番組のすべてを律儀に録画しているせいで、HDDの容量がいくらあっても足りない。
今日はたまたまリアルタイムで見れるからとチャンネルを合わせていたらこの始末だ。

『今日のゲスト、黄瀬涼太さんに質問が来ています!』
『何スかー? 何でも答えるっスよ!』

ばか。駄犬。何で『何でも答える』とか言ってるんですか。それフラグって言うんですよ!
黒子の言葉が画面向こうの黄瀬に届くはずもなく、リポーターは意気揚々とマイクを黄瀬に向ける。

『頼もしいお言葉! それじゃあ質問! “クロコッチ”って誰ですか!?』
『あ、まぁたその質問? ……って言いたいとこっスけど……じゃーん!』

ばっと黄瀬が取り出したのは先日話題になった映画の原作本だ。ばっちりと著者のところに自分の名前が載っている。

『これこれ! この黒子テツヤっていうのが黒子っち! オレのだーいすきな友達っス! 今度の映画の原作者だからそっちもよろしくー!』

カメラ目線でウィンクを一つ。
あざとい。あざとすぎる。
宣伝のためだと分かっているのに、がくりと膝を折ってしまった。顔が真っ赤になっているのが見なくても分かる。

「……誰もいなくてよかったです……!」

ちらりとテレビを見ると、黄瀬が宣伝のために番組内のゲームに参加していた。
がんばれ、がんばれと心の中で応援しながら録画ボタンを押すが、HDDの録画ランプが、容量不足を訴えてチカチカと点滅していた。
もっと容量の大きいのを買わないと。
黒子は次の休日には黄瀬にHDDレコーダーを買ってもらおうと考え、集中してテレビを見るために腰を下ろした。今回は落とさなかった黄色のカップに唇を寄せ、中に入ったカフェオレを飲む。

うん、やっぱりボクは甘党です。

テレビの中の恋人はキラキラと眩しいほどに輝いている。こんなに頑張っているなら少しは甘やかしていいかな、と何度目になるか分からない黒星をそっと記し、カップをテーブルに置いた。

20121214
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