侵食F


黄瀬のことが気になり始めたのがいつかははっきりと分からない。黄瀬がバスケ部に入ったときからかもしれないし、教育係に任命されたときかもしれない。試合で肩を並べたときかもしれないし、そもそもバスケは関係なく校内で見かけたときかもしれない。
黒子はベッドに横になっている黄瀬の髪を撫でながらそんなことを考えていた。さらさらの髪の毛は特に有名なシャンプーを使っているわけでもないのに全く痛んでいない。洗顔料だってドラッグストアのものを使っているのににきび一つない。
伏せられた目の先にある睫毛も金色で、顔を寄せてその長さをじっと見つめた。

「ん、黒子っち?」
「起こしてしまいましたか?」
「え、う、うわ!」
「あ、頭」

黒子の言葉と同時にごちんと鈍い音がした。

「……ぐぁぁあ……!」
「大丈夫ですか?」

自分の頭を抱え込んでいる黄瀬の手を撫でてやる。目に涙を浮かべた黄瀬は、黒子の手をきゅっと握り締めた。

「そ、そんな無防備な顔しちゃダメっスよー……」

昨日自分が黒子にした仕打ちを思い出して手を離す。記憶を戻させるためとはいえ、黒子に酷いことをしてしまった。一人で休ませようと折角部屋を別々にしたのに、これでは黄瀬の努力が無駄になってしまう。
それに自分にも後ろ暗いところがあった。灰崎が黒子にしたことは許せないが、一歩間違えれば自分が彼の立場になっていた可能性もある。昨日黒子に触れ、止まらなかった指先をじっと見つめた。

「黄瀬君?」
「オレも黒子っちに酷いことするから、あんま近づかないほうがいいっスよ」

まだ黄瀬の部屋にいた黒子の髪をくしゃりと撫で、黄瀬はクローゼットから制服を取り出した。ぺたりと床に座っている黒子は撫でられた髪に手をやっている。

「黒子っち?」
「あ、いえ。何でもありません。すみませんでした」

ぺこりと頭を下げて自分の部屋に戻る黒子に首を傾げる。もしかしたらまだ記憶が混乱しているのかもしれないと考えながらワイシャツに袖を通し、ネクタイをきゅっと締めた。

「黒子っちーオレ先に洗面所使うっスよー。途中で入ってきていいっスから」
「分かりました」

暫くして洗面所に入ってきた黒子に振り向き、柔らかく笑う。

「寝癖はオレが直してあげる。早く行かないと朝飯食いっぱぐれるっスよ」
「お願いします」

ふわふわと方々に跳ねている髪を軽く濡らし、寝癖を直していく。髪を通して感じる黄瀬の体温に、黒子も安心して目を伏せた。



「赤司っち? オレっス」
『そろそろ掛かってくるんじゃないかと思っていたよ』

電話の向こうで笑った赤司に苦笑し、壁に寄りかかる。やはり彼には何でもお見通しなのか。昔から変わらないキャプテンに小さく笑った。

「黒子っちの記憶、戻ったっスよ」
『そうか……よかったと一概には言えないのが辛いところだが』
「そっスね……」
『でもそれもテツヤが望んだことだろう? でなければお前が手伝うはずもないからな』
「ホント、どこまでお見通しなんスか」

空を仰いで白い空を見上げた。冬の空は色が少なく、筋のような雲が幾重にも重なっている。暫く二人の間に無言がわだかまり、言っていいものか分からず唇を湿らせるだけに留めた。

『……灰崎の件に関してだが』

黄瀬の反応を窺うようにそこまで言って言葉を切る。何もいわずに辛抱強く待っていると、溜め息を漏らしたあとに続きを紡いだ。

『納得できるかは別として、大丈夫だろう』
「何か根拠があるんスか?」
『灰崎から電話があった』
「内容は?」
『かいつまんで言えば、問題はないということだ』
「かいつまみすぎっス」

赤司からの返答に脱力した。赤司がこういうからに問題はないのだろうが、あまりに淡々としすぎていて現実味がない。それにあのメールを送った事実も頭の隅にあり、このまま野放しにしておくには不安があった。

『涼太が不安に思うのも当然だ。だが、分かっているだろう?』

少し声を低くした赤司に眉を寄せる。小さく笑っているように聞こえるのは気のせいだろうか?

『お前も、一歩間違っていたらあっち側の人間だったことくらい』
「……っ!」
『すまないな、つまりそういうことだ』

ぷつりと切れた電話をじっと見つめる。やがて溜め息を吐いてずるずると座り込み、赤司の台詞に乾いた笑いを漏らした。
ショーゴ君との違いなんか分かってるんスよ。
屋上から教室までの階段を降りる途中、黄瀬のことを探しにきたのか黒子が上ってくるのが見えた。踊り場のところで声をかけ、一緒に教室まで戻る。しかし廊下に出る前に、くんと袖を引かれて足を止めた。

「黒子っち?」
「……あの、黄瀬君」

じっと見上げてくる視線は何かを待っているように何度も揺れて黄瀬を見つめる。じんわりと手のひらに汗が滲み、浮かんできた不埒な考えを無視するために頭を振った。

「早く教室戻らないと、授業遅れるっスよ?」
「……黄瀬君、に……」
「オレに?」
「聞きたいことがあります……」
「うん、なぁに?」

腰を屈めて黒子に視線を合わせる。黄瀬の制服を掴んだまま、黒子は一度外した視線を前に戻した。しかし目ではなくネクタイの結び目をじっと見つめている。

「……気持ち悪いですか」
「え?」
「ボクのこと」
「え、黒子っち?」
「……何をされていたか知っているでしょう。あんな写真よりももっと色々されたし、してきました」

一度話すと決めたからか、感情のない声で訥々と話し続ける。抑揚のない声は感情が抜け落ちているのではなく、そうしていないと叫んでしまうのを抑えているように黄瀬には聞こえた。

「逃げようと思えば逃げられました。でもボクはそうしなかった」
「………」
「分からないです。もしかしたらボクはあれを気持ちいいと思っていたのかもしれません。こんなボクは気持ち悪いですよね」

くしゃりと顔を歪ませて形にならない笑顔を浮かべる。遠くで午後の授業が始まるチャイムが聞こえ、黄瀬は黒子の手を引いて近くの空き教室に入っていった。内側から鍵を掛け、椅子に座らせた黒子の前にしゃがみこむ。

「そうしなかったのは、オレらが危険な目に遭うかもしれないからでしょ?」
「分かりません、分からないんです。ボクは逃げなかった理由を君たちに求めただけかもしれない」

二人きりになったことで安心したのか、黒子はぼろぼろと涙を零しながら嗚咽を漏らした。ぎゅっと自分の膝の上で手を握り、制服に皺が寄る。黄瀬は自分の上着を黒子に掛けてやりながら、ぽんぽんと頭を撫でてやった。

「オレはそれでもいいよ」
「……え?」
「オレ、ホント最低なこと考えてたんス」

引かないでよ? 言うつもりなかったんスから。
黒子が小さく頷いたのを確認して、再び口を開く。

「黒子っちがここにいるなら、それでもいいって。最低だよね、オレ」
「黄瀬、くん?」

黒子の問い掛けに曖昧に笑う。
彼が逃げる原因に自分たちを使ったとして、それで灰崎にあんな目に遭わされることになったとしても、黄瀬はすべてを許せた。黒子があの行為に溺れていたとは到底思えないが、彼の自責の念がそう考えさせるのだろう。
そっと黒子の頬に手を寄せ、ふわりと柔らかい笑みを浮かべる。

「オレはね、最後に黒子っちがオレの隣にいてくれるなら他はどうなったっていいんスよ」

そのためならどんなに周りに迷惑をかけても犯罪を犯したって構わない。
言外にそんな台詞を滲ませて黒子の髪を撫でた。ひっく、としゃくりあげた声が可愛くて目尻に残っている涙を拭う。

“守ってあげられなくて、ごめんね”

本当はこう言ってしまいたい。しかし今の黒子にそんなことを言っても、彼は余計に自分を責めてしまうだけだろう。それならどうすればいいか、ここ数日ずっと考えていて出した結論がこれだ。

「オレも黒子っちも、共犯なんスよ」
「共犯……?」
「そう、自分のエゴのために突き進んだだけっス。黒子っちはオレのことが欲しくて、オレは黒子っちが欲しかった」

黒子の身体を引き寄せて自分の腕の中に閉じ込める。黄瀬の肩に顔を埋めた黒子はぱちりと目を瞬いたあとに新しい涙を浮かべた。

「黒子っちは泣き虫っスねぇ」
「うー……っく、ひっ…く……」

一番欲しい言葉をくれて、一番隣にいてもらいたい人。
中学のときはお互いの気持ちが分からなくて、分かった瞬間に奪われた。ぎゅうっと黄瀬の服を握り締め止め処なく零れる涙を流し続ける。背中に回された手が一定のリズムでぽんぽんと叩いてくれる、ただそれだけでこんなにも温かい。
もう一度ぎゅっと黒子を抱きしめ、涙で濡れている顔を上げた。ポケットに入っていたハンカチで優しく目元を拭い、赤くなってしまったそこに唇を落とす。一瞬ぴくりとしたが、すぐに背中に回された手が黒子の返事だった。

「まだまだ黒子っちとやりたいこといっぱいあるんスよ」
「どれからやりましょう?」

すり、と鼻先をこすりつけてきた黄瀬を受け止めて笑いを含んだ声で言う。
黒子の首筋の匂いを嗅ぎながら、んーと声を漏らした黄瀬は背中に回していた手を滑らせて腰のラインを辿った。

「セックスとか」
「最悪です」
「健全な男子高校生の嗜みっス!」
「はいはい、あとは?」
「デートして、外で」
「はい次」

ぎゃいぎゃいと言い争って十数の項目を挙げる。そのほとんどをスルーした最後に、黄瀬が言った。

「あとバスケ! これは外せないっスね」
「はい、もちろんです」
「あ、やっと黒子っちのお許しが出た」
「黄瀬君、あの台詞もう一度言ってもらえませんか?」

きゅっと手を握られ、黄瀬は黒子に顔を寄せた。互いの額をあわせ、ゆっくりと目を伏せる。

「うちにおいでよ、また一緒にバスケやろう?」
「……はい」
「へへ、何か変な感じっスね」
「確かにそうですね」
「黒子っち早くレギュラーになってくんないとオレ寂しいっス」
「じゃあレギュラーになるまで我慢しなくちゃいけませんね」

にっこりと笑った黒子に反して、黄瀬の顔色がさっと青ざめる。何をといわれたわけではないが、我慢するものなんて決まっている。健全な男子高校生にあるまじき拷問だと告げても目の前の彼はどこ吹く風だ。

「うわぁあぁ……黒子っちの鬼ぃ……」
「ひどい言いようですね。ボクだって我慢するのは同じですよ?」

わんわんと目の前で泣きまねをする黄瀬をきゅっと抱きしめる。黒子の腕の中でのろのろと上げた顔にキスを一つ。

「じゃあ早くレギュラーになってね?」
「はい、待っててください」

今度はボクが、君を追いかけますから。

互いに指を絡めあわせ、ぎゅっと握り締める。授業中の密やかな約束は子供の頃秘密にしていた宝物を思い出す。くすくすと笑いあって、どちらからともなく唇を重ねあっていた。

20130122

黄瀬君とのR18シーンはあえて入れませんでした。
たどたどしい連載ではありましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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