侵食A


―――見られた。目が合った。

ボクを見ないで。
ボクを助けて。
お願いします。
お願いだから。
どうかこれが、最後の悪夢となりますように。



開会式が終わった後、黄瀬は先ほど見た黒子の姿を必死に探した。しかしもう立ち去った後なのか、黒子の姿は見えない。あるのはニヤニヤと笑った灰崎の顔だけだ。

「おーやだやだ、必死に探してさぁ。言ったろ? あいつはオレのもんだって」
「……ショウゴ君、黒子っちに何したんスか」
「お前に言う義理あんのかよ? それ」
「何したかって聞いてんだよ!」

灰崎のジャージの襟を掴み、ぎりぎりと締め上げる。黄瀬の表情を見て唇の端で笑った彼は、その腹を蹴るために踵を持ち上げた。ひゅっと風を切る音がした瞬間、廊下の向こうから怒声が響く。

「おいコラ黄瀬ぇ! 何してんだお前!」
「っ、……笠松先輩」
「ミーティングだっつってんだろ! さっさと来い!」

ずかずかと割り込んで黄瀬の耳を引っ張る。通り過ぎ様に灰崎を見て軽い会釈をした。黄瀬の無礼を詫びたつもりなのだろうが、視線は鋭いままだ。謝罪など毛頭思っていなさそうな眼で睨まれて肩を竦めた。

「オレは黄瀬の元チームメイトっスよ、カサマツセンパイ?」
「帝光の……? 福田総合に行ったのか」
「オレだけじゃねぇっスよ。幻のシックスマンってのもうちだし」
「そんな話は聞いたことはないが」
「あー、あいつもうバスケやってねぇから、それでじゃないッスか?」

ひらひらと笠松に手を振り、灰崎は廊下を後にする。残された笠松はちらりと黄瀬を見て、すぐに視線を前に戻した。

「……まずはバスケで借り返せ。殴るのはその後だ」
「笠松先ぱ……」
「目の前の試合のことだけ考えろ。ほら、先ミーティング行っとけ」
「……うす」

ぺこりと笠松に頭を下げ、黄瀬はバタバタと廊下を走っていった。その背中を見送り、笠松は溜め息を漏らす。

「オレも黄瀬に随分甘くなっちまったな」

だが、時々は理性よりも感情を優先させることがあってもいいだろう。ミーティングの内容を考えながら笠松も同じ方向に足を進めた。しかし数歩進んだところで、先ほどから頭に引っかかっていることに足を止める。

「福田総合……」

何度か試合のDVDを見たことはあるが、取り立てて乱暴なプレイをする学校ではなかった気がする。たださっきの灰崎と黄瀬を見ていれば好ましい試合展開は臨めないだろう。一人の選手の加入によってそのチームのカラーが変わってしまうことなど嫌というほど知っている。
何も問題が起きなければいいがと呟き、笠松は海常の控え室へと戻っていった。

「なぁ見た? 今日のリョータの顔!」

ゲラゲラと下品に笑い、灰崎は黒子の肩に手を回した。ずしりと伝わってくる重みは黒子をこの場に縛り付ける鎖だ。この一年をかけてじっくりと黒子に絡まり、逃げられなくさせた。
灰崎の言葉に、開会式のときに一瞬だけ見た黄瀬の姿が蘇る。青いジャージとあの綺麗な金髪が室内でも眩しかった。きゅうっと胸の奥を締め付けられ、その痛みに小さく息を吐く。あの瞬間に見た黄瀬の表情が忘れられない。驚愕と、動揺と、安堵と怒り。その全部がない交ぜになっても、黄瀬は綺麗だった。

「は、どうせリョータはオレに勝てねぇよ」
「………」
「お前も知ってんだろ、あいつとオレの能力は相性が悪い」

くくっと笑いながら、黒子の肌に手を滑らせる。裾から入り込んだ手のひらはぞっとするほど冷たく、黒子はびくりと身体を震わせた。ここはウィンターカップの開催中に選手が滞在するビジネスホテルだ。ウィンターカップの開催地は東京なのだから実家に帰ることも出来る。だが黒子はそうしなかった。こんな状態で帰れるとも思わなかったし、何より帰った後が怖い。いつの間にか灰崎に植えつけられた恐怖は、黒子を中からも蝕んでいた。

「脱げって」

微かに聞こえる衣擦れの音が、次第に響く水音が、黒子を更に苛んでいく。いつか何も感じなくなるのなら、一刻も早い方がいい。灰崎の肩越しに見えたホテルの白い天井が断続的に動いている。いや、動いているのは自分自身か。世界と自分の境界が曖昧になって、白く弾けて溶けていく。
揺らされる度に小さく漏れる声すら煩わしく、黒子は強く手の甲を噛んだ。じわりと口の中に滲んだ鉄の味は、何よりも苦い味がした。



「黒子っちに会わせてくんねーッスか」

ウィンターカップ準々決勝の日、黄瀬は試合前に灰崎に声を掛けた。ジャージを羽織ったままアップしている背中は黄瀬の声に動きを止め、その後ゆっくりと振り返る。

「よぉ、リョータ」
「黒子っちどこスか」
「お前相変わらずテツヤのことばっかだなぁ」

コキコキと首を鳴らし、灰崎は黄瀬の前に立った。とん、と黄瀬の胸に手を当てて顔を近づける。思わず眉間に皺が寄った黄瀬を見てにやりと笑うと、灰崎は黄瀬の身体を押した。

「今日は客席で見てろって言ったから上にいんだろ」
「……何で黒子っちはあんたの言うこと聞いてるんだよ」
「さぁ? ああオレがそう教え込んだからじゃねぇ?」
「……教え込んだ?」
「そーそ。身体にー……調教したっていった方がエロいか」

かぁっと目の前が真っ赤になった。目の奥が熱くて、感情が制御できない。震える唇は分かりきった言葉を聞くために言葉を紡いだ。

「何、したんだよ」
「無粋なこと聞くなよ、ちょっと遊んでやっただけじゃねぇか」
「……何したんだって言ってんだよ!」
「あーうっせぇなぁ。足開かせて中に突っ込んだだけだっつーの」

ぱん、と脳裏で何かが弾けた音がした。灰崎のジャージを掴み、握った拳を振り上げる。それを力のままに振り下ろそうとした瞬間、自分の前に小さな影が割って入った。だが勢いを殺しきることは出来ず、がつっと鈍い音がする。それと同時に地面に蹲った人影は、自分がずっと探していた人だった。

「く、黒子っち!」
「黄瀬君、駄目です」
「ごめん! 黒子っちごめん!」
「駄目です」

黄瀬の言葉など聞こえていないと言う風に首を振り、黒子は殴られた頬を押さえて立ち上がった。手を伸ばそうとした黄瀬から逃げるように身を引き、灰崎の隣につく。外した視線は、じっとコンクリートを見つめていた。

「選手が暴力沙汰を起こせばどうなるか分かるでしょう」
「だけど……っ!」
「あーあー。せっかく不戦勝できそうだったのに邪魔すんじゃねぇよテツヤぁ」

肩に腕を回して黒子を引き寄せ、黄瀬に見せ付けるように抱き締めた。不穏に動く手のひらが首筋を辿っていき、身体に緊張が走る。するりと頬を撫でた手が、次の瞬間黒子の首筋を露わにした。
着ていたジャージのジッパーが壊れ、金具がコンクリートに跳ね返る。ひしゃげた金属が地面に転がっているのを見て今の自分の状況を悟った。首筋に触れる空気が冷たい。冬の寒さが灰崎につけられた傷に沁みる。実際に血が流れたわけではないからこそ余計に痛い傷跡。首筋から鎖骨を通り、胸に至るまで執拗に散らされた赤い痕が目に入る。黄瀬に見られていることに気付いて溜まらずぎゅっと目を閉じると、外気に晒されていた肌にジャージが掛けられた。

「ノリ悪ぃなぁ、リョータ」
「………」
「何だよその目。気に入らねぇな」
「―――勝負、しないスか」
「はぁ?」

黄瀬から聞こえた言葉に灰崎の声が低くなる。不穏な空気に黒子は黄瀬に掛けられたジャージをきゅっと握った。爽やかな水色に白のラインが映えるジャージは、すっぽりと黒子を包むほどに大きかった。ふわりと香った黄瀬の匂いに鼻の奥がつんと痛くなる。

「次の試合でオレが勝ったら、黒子っち貰ってくから」
「は、ナマ言ってんじゃねぇよ。だぁれが渡すか」
「別に承諾貰おうと思ってねぇよ」
「ははっ! 中学ん時に奪られたからか? 奪られる方が悪ぃんだよ」

技と同じだ、奪っちまえばこっちのもんだよ。
黒子に掛けられていたジャージを毟り取って投げ、灰崎は黒子を連れて会場の中へ戻っていった。その背中を見送り、コンクリートに落ちたジャージを拾う黄瀬の目には怒りが揺らめいている。ぐっと握り締めた拳は小さく震えていた。

「……黒子っち」

中学三年の後半から、黒子の姿を見なくなった。正確に言えば、全中三連覇を成し遂げた後からだ。だがよくよく考えてみればその前から予兆はあったかもしれない。
―――いつからだ?
いつから、黒子の姿を見なくなった?

「……退部の後?」

灰崎が退部して暫くは、自分の含め全員が警戒していた。しかし一ヶ月ほど経つと何もないことに楽観視し、普段どおりの生活に戻っていった。全中三連覇を目前に控えていたと言うのに、時折練習を休んでいた黒子のことが思い出される。

「……くそっ!」

柱に拳を叩きつけ、気付かなかった自分の浅はかさに毒を吐く。あの頃から黒子はずっと灰崎の暴力に耐えていたと言うのか。黙っていた理由は簡単に予想できる。全員が同じ目標に向かって突き進んでいるときに出される条件なんて一つだけだ。

「くそ……」

ずるずると座り込み、悔しさで流れそうな涙を必死で押し留める。黒子は泣いていなかった。それなのに自分が泣くわけにはいかない。黄瀬は長い息を吐き、ゆらりと立ち上がる。手のひらを見ると、握り締めた爪の痕がくっきりと残っていた。
ピッという笛の音と共に始まった海常対福田総合戦を、黒子はじっと見つめていた。どちらに声を掛けるでもなく試合を見つめている様は一種異様な雰囲気を醸していたが、元々の影の薄さが幸いしてか、特に見られるということはなかった。

「応援しないのか」
「……赤司君」
「久しぶりだね、テツヤ。僕の呼び出しに応じなかったのはどういうつもりだ?」
「……ボクはもうバスケをしていませんから」
「そういうことにしておいてあげよう。それで? 涼太はどうしたんだ」

ちらりとコートに視線を遣った赤司は、黄瀬の姿を見て目を眇めた。赤司の言葉の通り、コートにいる黄瀬は普段よりも肩に力が入っていて、動きが鈍い。じわじわと開いていく点差に焦っていたのは黒子も同じだった。

「確かに涼太とあいつの相性は最悪だが……何かあったな」
「………」
「……そういえばテツヤも福田総合だったな」
「……はい」
「どうして福田総合に行ったんだ?」

突き刺さる赤司の視線が痛い。誤魔化しや嘘が通用しないことは百も承知だ。じわりと背中を冷や汗が伝い、手をぎゅっと握り締めた。

「……壊れているな」

すいと伸ばされた指がジャージに掛かり壊れたジッパーに触れる。思わず赤司の手を払ってから、しまったと思った。正面から見つめてくる顔には、怒りの色など全くない。オッドアイが鋭く黒子を射抜き、真実以外の言葉は許さないという無言の強制がある。

「テツヤ」
「………っ」

その時ちょうど第一クォーター終了のブザーが鳴り、ほっと息を吐く。だが黒子が逃げるよりも一瞬早く赤司は手首を掴み、ぐいっと手前に引っ張った。

「……なるほど」

ちらりと黒子の首を見ただけで手を離した赤司はその手で座席を軽く叩いた。赤司に従ってもう一度腰を下ろし、ジャージの襟を掻き合わせる。何も言わない赤司が怖かった。周囲はざわざわとやかましいのに、ここだけピンと空気が張り詰めている。赤司の表情を探るとまっすぐコートを見つめているだけだった。二分間のインターバルが終わり、選手たちがコート内に戻ってくる。その中に灰崎と黄瀬の姿を見つけて赤司は溜め息を吐いた。

「―――お前たちに何があったのかは大方予想がついている」
「赤司君」
「だが、何故僕に言わなかった?」
「……あの時はそうするしかできなかったんです」
「……そうか」

第二クォーターが始まった。最初から激しい攻防が続き、試合が目まぐるしく展開する。それをじっと見つめている黒子に赤司はそっと告げた。

「……すまなかった」
「え?」
「主将という立場にいながら気付けなかったことだ」
「君が気にすることじゃありません」
「テツヤならそう言うと思ったよ」

ふ、と軽く笑って赤司は席を立った。試合はまだ半分以上も残っているのにと視線で問うと、軽く肩を竦められる。

「悪いな、向こうで真太郎の試合が始まるんだ。たぶん戦うことになるから敵情視察をしてくる」
「はい」
「テツヤ」
「……はい?」
「また一緒にバスケをしよう」
「―――……は、い」
「それじゃ」

ひらりと手を振った赤司を見送ってからコートに視線を戻す。やはり黄瀬と灰崎の相性はよくないらしく、戦況はいまだ海常に不利なままだ。ちくりと痛んだ胸に、いつの間にか自分が無意識に海常の応援をしていたことに気付いてかぁっと顔が熱くなる。希望なんて何一つ持たないと決めていたのに、試合前の黄瀬の言葉に期待してしまった。
もし、もしも黄瀬がこの試合に勝ってくれたら、もしかしたら―――。
そんな淡い願望がむくむくと膨らみ、握り締めた手のひらに汗が滲む。互いの点差が縮まるごとに身を乗り出し、また離されると肩を落とす。そんなことを繰り返している内に試合展開は入れ替わらないままに最終クォーターを迎えていた。

「お前じゃオレに勝てねぇって。いい加減諦めろよ。もうストックもないんだろ?」
「………」
「大丈夫だって。テツヤのことはオレが可愛がっといてやるからよ」
「負けるわけにいかねぇんだよ」
「しつっけぇな。そういうのがウゼェんだよ。ああ、いいこと教えてやるよ」
「………?」
「あいつがどんな声で啼くかとか。リョータ好きだったんだろ? 奪っちまって悪ぃことしたか?」

頭の後ろで手を組み、雑談のついでといった雰囲気でそんなことを言う。他のチームメイトには聞こえないくらいの声だが、それでも頭に血が上った。もちろんそれが灰崎の狙いだと言うことも分かっているが、自分の感情が制御できない。ぐらぐらと怒りで視界が揺らぐ。それがプレイにも反映し、ボール捌きが雑になってしまっていた。それに加えて足の不調も見抜かれているのは痛い。正直、すぐにでもコートに膝をついてしまいたいほどに痛みは増していた。しかし、黄瀬は開場を見上げて黒子に視線を留める。がくりと崩れそうになる膝に手を添え、ぐっと力を込める。

「アンタ、可哀想だな」
「……あ?」
「悪いけど、オレ負けず嫌いだから」

キュッとバッシュのスキール音が響き、黄瀬の手にボールが渡る。

「……ぜってぇ負けられないんだよ」
「な……っ!」

体勢を低くして緩急のスピードの差をつけるスタイルは青峰のものだ。灰崎を抜いてボールをゴールに叩き込んだ黄瀬は、ひとつ息を吐いて灰崎を睨んだ。張り詰めた空気は鋭利な刃物に似ていて、初めて対峙する感覚に陥る。灰崎の動きひとつにも即座に反応する黄瀬を見て、彼がゾーンに入っていることを悟った。
灰崎は今までバスケをプレイしてきた中で、ゾーンに到達したことはない。そもそも到達できる人間の方が限られているから当たり前なのだが、ゾーンに入った黄瀬を見ていると中学のときに赤司に言われた言葉が蘇る。

『お前では黄瀬に勝てない』

「ざっけんなよ……っ」

審判の目を盗んで黄瀬の足元に狙いを定める。一瞬だけでも動きを止めればいい。ボールを持った瞬間を狙えば、簡単に形勢逆転できる。そう考えて黄瀬にボールが渡ると同時に足を出すが、それさえも見切った黄瀬が先に足を引き、スリーポイントラインからシュートを放つ。綺麗な放物線を描いてゴールに入ったボールは、縮まらなかった点差をゼロにした。

「今のオレの技は奪えないスよ」
「リョータぁ……!」
「確かに相性は最悪っスね」

残り時間も十秒を切り、最後の足掻きと伸ばした手はボールに届かなかった。既に黄瀬の手を離れていたボールはまたゴールに吸い込まれていく。同時にピーっと長い笛の音が鳴り、海常対福田総合の試合は海常の勝利で幕を閉じた。だが、ゾーンに入ったことによる負担と足の怪我で黄瀬はコートに膝をついてしまい、笠松の支えにより立ち上がったが一瞬目を離した隙に灰崎の姿がコートから消えていた。

「……っ!」
「黄瀬、整列だ」
「……は、はい……」
「すぐに終わる、あと少しだ」

黄瀬にだけ聞こえるように言ってくれた笠松には感謝するが、嫌な予感ばかりが膨らんでいく。見上げた先にも黒子の姿は無く、消えた灰崎の姿が脳裏にちらついた。



「くそ、ざけんなよ……」

廊下を乱暴な足取りで進みながら、灰崎はぶつぶつと文句を言っていた。黄瀬が勝った事実は覆せない。しかし黄瀬より先に黒子を奪ってしまえばいい話だ。そうすればきっと黄瀬は灰崎を楽しませる反応をしてくれることだろう。にぃ、と口元を歪めて廊下を進んでいくと、先の角に人影を見つけた。

「どこへ行くつもりだ」
「……は、これはこれは。キャプテン様じゃねぇか」
「残念だが、テツヤなら探してもいないぞ」
「相変わらず過保護じゃねぇか」

壁に預けていた背を離し、赤司は灰崎に向かい合った。冷ややかな視線で見つめる赤司に、ごくりと生唾を飲み込む。試合中にフラッシュバックした赤司の言葉と目の前の彼がシンクロする。彼はひとつ溜め息を吐くと、一歩灰崎に向かって足を踏み出した。だんだんと縮まる距離に灰崎の心が粟立つ。

「確かに部を退部してもらったことは悪いと思っている。だがそれもお前を思ってのことだといわなかったか?」

誰もいない廊下に、赤司の声だけが朗々と響く。また赤司が足を進め、二人の距離が縮まった。

「僕は僕のチームメンバーを傷つけられることが一番許せない」
「は、じゃあオレもメンバーじゃねぇか」
「……? 変なことを言う」

ひゅっと音がして、気付くと目の前に赤司がいた。首元にひやりとしたものを感じ、視線だけを動かす。視界の端に映った銀色の刃物は、ぴたりと首に添えられていた。

「……お前は僕のチームには必要ない」
「今問題起こしたらまずいんじゃねぇのかよ」
「何故? これで傷をつけたからといって犯人が僕と分かるか?」

添えたハサミを軽く動かし、灰崎の首の血管をなぞる。眇められたオッドアイはこれが冗談ではないと示していた。ぞっとするほどに冷たい赤司の目に冷や汗が伝う。震えそうになる足を動かして一歩下がると、顔の横に両手を上げた。

「降参、降参だって。な、見逃してくれよ」
「僕は一度でも僕の言いつけを守らなかったやつは殺すと決めている」
「オレなんかのために犯罪者になんのもったいねぇだろ」
「確かにここでは目に付くか。……なら、さっさと僕の視界から消えろ。二度は言わない」
「へーへー」

ほっと息を吐いて赤司の横を通り過ぎようとした瞬間、小さく呟かれた言葉にぎくりと肩を跳ねさせた。聞き間違いかと思って振り向いたが、既に赤司は開場に足を向けていて確かめることはできなかった。

『せいぜい楽しむんだな』

言葉にされない恐怖が、灰崎に正体不明の恐怖感を植えつけていた。廊下の隅にある影や、緩くカーブして見えない廊下の先が先ほどとは違って見える。いつもなら全く気にならない闇がひっそりと何かを孕んでいるような得体の知れない恐怖だ。

「くそっ……」

壁を一度蹴り、灰崎は誰にも聞かれない毒を吐き続けていた。一方の黄瀬は挨拶を済ませてからずっと黒子の姿を探していた。途中すれ違った赤司に灰崎のことを聞いたから一安心はしたが、黒子の姿を見つけないことには本当に安心はできない。痛む足を引きずりながらきょろきょろと探していると、海常の控え室の前に座り込んでいる黒子の姿を見つけた。

「……っ、黒子っち!」
「! き、せくん……」

座ったままの黒子が立ち上がる前に覆い被さるように抱き締める。一瞬身体を強張らせたが、抱き締めているのが黄瀬だと分かると黒子の身体から次第に力が抜けていく。黒子を抱き締めてほーっと長い息を吐き、細い髪に指を絡めた。それから両手で頬を挟み、肩を辿って手のひら全体で黒子の存在を確かめる。

「……勝ったよ」
「見てました」
「応援してくれた?」
「……はい」
「ね、黒子っち」
「……何ですか?」
「うちにおいでよ、また一緒にバスケやろう?」

黒子の顔を正面からじっと見つめ、返事を待つ。黄瀬の真剣な表情に、黒子はほろりと涙を零した。それを拭う黄瀬の手に顔を預け、黄瀬の背中に手を回す。

「……はい」

小さく頷いた黒子を黄瀬はもう一度強く抱き締めた。

20120727
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