謝らなくていいですけど謝ってください


「黄瀬君、ボクに謝ってください」

海常高校の体育館外で、黄瀬涼太は足を止めた。目の前にいるのは、中学校時代のチームメイトの黒子テツヤだ。自分の胸ほどにある顔がじっとこちらを見上げている。

「へ? 黒子っち? どうしたんスか?」

自分から誠凛に会いに行くことはあっても、黒子から黄瀬に会いにきたことなど殆どない。いや、殆どどころか皆無といっていいだろう。その黒子が自分の、しかも部活時間中に会いに来たと言うことが、黄瀬から思考能力を奪っていた。

「謝ってください」

冒頭と同じ台詞がやっと頭の中を通り、意味が繋がる。自分の目の前に黒子がいる嬉しさに舞い上がっていたが、言われた台詞はあまり嬉しいものではない。だが、不思議なのは謝ってくれと言った当の本人もあまり気が進んでいないことだ。

「えっと……とりあえず着替えてくるんで待っててもらっていいっスか?」
「はい」

こくりと小さく頷いた黒子に安心する。部室棟の前まで案内して、自分はばたばたと廊下を走った。走るなーと言う先生の声が聞こえた気がするが、今はそれどころではない。言われた台詞の不穏さよりも、黒子が自分に会いにきてくれたということが黄瀬の中では重要だった。
ばんっと騒々しくドアを開けると、まだ着替え途中の先輩がぎょっとこちらを見る。

「おい、黄瀬ぇ……」
「すんませんっス、お先失礼します!」
「え、おま、はっや……!」

笠松から文句が出るよりも早く、スポーツバッグにユニフォームを突っ込む。謝罪と挨拶を同時にしながら着替えをするさまは到底モデルとは思えず、普段の黄瀬との違いにレギュラー各位は顔を見合わせる。

「デートか?」

抜け駆けは許さない、とでも言いたげな厳しい視線で森山が黄瀬を睨む。その言葉にぴたりと足を止めた黄瀬は、へらっと笑って振り返った。

「黒子っちが会いに来てくれたんスよ! 待たせてるんで急がないと!」

んじゃ、お先っス!
軽い会釈と無駄に爽やかな笑顔だけを残し、黄瀬は風のように去っていった。残された部員は、一様に深い溜め息を吐くしかできない。
モデルをやっていて、キセキの世代で、海常高校のレギュラーで。
同性から見ても羨ましい要素ばかりを持っているのに、妬ましくならないのはこれのお陰だ。

「……あいつのあれは、病気だな」

心底残念だと言う思いを込めた笠松の一言に、全員が力強く頷いていた。
黄瀬は部室棟の廊下を来たときと同じくばたばたと走っていたが、ふと足を止めて廊下の一角にしつらえられた水道に歩み寄る。勢いよく水を出してその中に頭を突っ込み、手探りで鞄の中から新しいタオルを取り出した。

「よし、気合入れるっス!」

いったい何に対しての気合なのか。がしがしと乱暴に水を拭うと、黄瀬はふうと深呼吸をした。
ぱんっと両手で自分の頬を叩き、持っていたタオルを再びスポーツバッグに突っ込む。緊張した面持ちで外へのドアを開けると、隣に立っていた黒子が文庫本から視線を上げた。

「早かったですね、黄瀬君」
「お待たせしたっス」
「……そんなに急いで来なくてもよかったんですよ」

呆れたように言って自分のバッグからタオルを取り出した。腕を黄瀬に伸ばしかけたところで、眉尻を下げた。

「使ってないので大丈夫です。あの……少し屈んでもらっていいですか?」
「え、あ、は、はいっ!」
「そこまで屈まなくてもいいですけど」

腰を90度に曲げ、黒子に自分の頭を差し出す形になる。ふわりと柔らかいタオルが被せられ、わしわしと前後に動かされた。黒子の細い指をタオル越しに感じてきゅっと目を瞑る。

「はい、できましたよ」
「あ、ありがとうございます……」

恥ずかしさのあまり敬語になってしまう黄瀬には構わずに荷物をまとめると、もう一度黄瀬を見上げた。

「あの、少しいいですか? ここでは少し話しづらいので」

ちらりと背後に視線を向けると、黄瀬の姿が見えたことにきゃあきゃあと色めきたつ女生徒が見える。その中には他校の生徒も当たり前のように混じっていて、黄瀬は小さく溜め息を吐いた。いつもであればファンサービスも重要なモデルの仕事だが、今日ばかりは煩わしく思ってしまう。

「黄瀬君は人気ですね」
「今ばっかりはありがたくないっスけどね。裏門からでいいスか?」
「構いません」

一応申し訳程度にひらりと女の子達に手を振り、黄瀬は忘れ物でも取りに戻ったかのように部室棟に戻った。まっすぐな廊下の突き当たりに、裏門へ通じる出口がある。脱いだばかりの靴を持って反対側へ向かい、ドアの外に誰もいないかを確認してから一気に走り抜けた。大通りを抜けて角を曲がり、壁に背をつけて背後を窺う。

「誰も来てないっスね……こうでもしないと最近しつこくて」
「この前写真集出したからですか?」
「そーっス」

がくりと肩を落としている黄瀬の様子から、本当に大変なのだと見て取れる。影の薄い黒子には想像もできないが、目立つものそれはそれで大変なのだろう。

「そういえばオレに話があるんスよね。どっか行く?」
「はい。出来ればあまり人目につかない方がいいんですけど」

そういってチラリと上目遣いに黄瀬の表情を伺ってくる黒子に、不謹慎ながら鼓動が跳ねる。ここから近くて人目につかないところ、と考えるとどうしても一箇所しか思いつかない。

「えっと……じゃあオレの部屋でいっスか? ここからそんな遠くないし」
「そうしてもらえると助かります」

ほっと笑った黒子の表情に心臓がドクドクと音を立てる。好きな子を部屋に呼ぶ、なんて幸せすぎてどうにかなってしまうかもしれない。

「いや! 急いてはことを仕損じるって言うし……」
「何緑間君みたいなこと言ってるんですか。こっちですか?」
「そっちじゃないっス! 黒子っち道知らないのに先行こうとしないで!」

水くらいしかない部屋に呼ぶのは申し訳なくて、途中のコンビニで適当にお菓子と飲み物を買い込む。二人分というには多すぎるそれに、『火神君がいればちょうどよさそうですね』と呟いた黒子の言葉にちくりと胸が痛んだ。
学校から歩いて15分程度の場所にある寮に着き、部屋に案内する。部屋に案内する間に誰かに見られなかったのは幸いだが、心臓はどんどんやかましくなるばかりだ。

「どうぞ。ちょっと散らかってるっスけど」
「お邪魔します」

机とベッドとバスケットボールしかないシンプルな部屋に、かろうじて転がっていたクッションを黒子に渡した。さっき買ってきた飲み物とお菓子をテーブルに置き、黄瀬も黒子の正面に腰を下ろす。

「で、オレに話って何スか?」

ペットボトルのキャップを捻りながら問うと、黒子はふと視線を彷徨わせた後にペットボトルを手に取った。黄瀬と同じくキャップを捻り、一口飲んで唇を湿らせる。
そんなことを数度繰り返した後、唇を引き結んで顔を上げた。

「海常高校との練習試合のこと、覚えてますか」
「あー…オレが黒子っちに負けたあの試合っスよね……あ、じゃあさっき謝れって……」
「はい、あの時のです」

こくりと頷いた黒子に、黄瀬の表情が苦しく歪んだ。あの時、試合に熱くなって周囲が見えていなかった自分のせいで黒子に怪我をさせてしまった。動転してしまって結局謝ることができなかったのを覚えている。

「ご、ごめん」
「いえ、ボクが謝ってほしいわけじゃないんですけど」
「え? どういうことッスか?」
「ええと、謝ってもらいたいのはボクに対してなんですが、ボクは別に黄瀬君に謝ってもらいたいわけじゃないんです」
「もうちょい分かりやすく言ってもらってもいいっスか?」

ふるりと頭を振って、頭にこびりついた疑問符を振り落とす。黄瀬のそんな様子に困ったように黒子も眉を下げ、言葉を選びながら一つ一つ説明していく。

「謝ってもらいたい対象はボクなんですけど」
「うん」
「ボク自身は黄瀬君に謝ってもらおうとは思っていません」
「……じゃあ何で謝ってくれって言ったんスか?」
「ボクが火神君に相談したからです」
「火神っちに?」

どうしてここで火神の名前が出てくるのだろう。首を傾げて考えてみるが、やはり答えは分からない。黒子の顔を見つめて答えを促すと、諦めたように黒子が目を伏せた。

「……あの、やっぱり謝ってくれなくていいです」
「え、」
「その代わり」

顔を上げた黒子にまっすぐ見つめられた。ほんの少し頬が赤いように見える。柔らかそうだなぁ、などとぼんやり考えていたら、黒子の唇から言葉が漏れた。

「―――黄瀬君をください」
「……え?」
「どう言うんでしたっけ……ええと、ボクを傷物にした責任を取ってください」
「黒子っちそれ意味違う!」
「そうですか? 火神君にはこう言えと言われたのですが」
「火神っちはバカなんスか……」
「まぁそうですね。それで、どうするんですか?」

黒子からの言葉に逸らしていた顔をそろりと上げる。いつもと同じ無表情ながら、頬に僅かに赤みが差していた。おずおずと持ち上げた手を黒子に伸ばすと、びくりと肩を跳ねさせる。
―――そこまでしか我慢できなかった。
気付くと、腕の中に黒子を閉じ込めていた。自分の中にすっぽりと入ってしまう細い身体をぎゅうぎゅうと抱き締める。

「黄瀬く……苦しいです」
「……無理っス」
「………」

ほっと吐いた息が黄瀬の首筋に触れる。黒子が今自分の腕の中にいるという幸せに目が眩む。

「……黒子っち」
「はい」
「大好きっス」
「……知ってます」

自分の背中に回る手にそっと力が込められる。

「それで、どうしますか?」

先ほどと同じ台詞を繰り返し、回した手をきゅっと握り締める。
答えなんて最初から決まってる。

「一生責任取らせてくださいっス!」
「……一生はいいです」
「オレ捨てたら後悔するっスよ?」
「自信家ですね……でも、嫌いじゃ、ない、です」

すり、と黄瀬の鎖骨に頭をすりよせ、ほっと息を吐いた。
また体に回された腕の力が強くなったが、それはそれで心地いい。もう暫くこの腕の中にいるのも悪くないと思い、黒子はそっと目を閉じた。



20120622
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