黄瀬誕祝い


普段であればいつもと同じように部活に行って、他のメンバーと練習に勤しんでいたというのに。
黄瀬は夕焼けに染まる教室の中で自分の椅子に座り、だらりと投げ出した両腕を机の前から垂らしていた。授業中は机の下で余ってしまう足も投げ出し、時折前の席の椅子を軽く蹴る。一人しかいない教室の中では、カタンと椅子が揺れる音が大きく響いた。

「ツイてないっスよねぇ」

ぼそりと吐き出した独り言は、自分の左足首に向けられている。のそりと机の上から見下ろすと、真新しい包帯がぐるぐると巻きつけてある。

「厄日っスか……」

またぐったりと机に突っ伏し、黄瀬は今日一日のことを振り返っていた。
思い起こせば、朝から兆しはあった。跳ね起きたときには時計の針は既に起床時間をすっかり過ぎていて、むしろ始業へのカウントダウンの方が早いんじゃないかと思うほどだった。急いで着替えて寮を飛び出したはいいものの、数少ない信号全てに引っかかると言う始末。もちろん出席の点呼までに間に合うはずもなく、ぺしりと出席簿で頭を叩かれた。
授業でもいきなりの抜き打ちテストがあったり予習していない部分が当たったりと散々だったが、極めつけが体育の授業だ。その頃になると少しは学習するもので、黄瀬も慎重になっていた。……にも関わらずこの様だ。
黄瀬自体には責任はなかった。ただ―――そう、不運が重なっただけだ。
その不運さえなければ、体育の授業もただのマラソンで終わるはずだった。

「何で校庭に落とし穴があるんスか……」

しかも黄瀬はトップを走っていたわけではない。慎重に慎重を重ね、周囲の様子を見ながら進んでいたのだ。それなのにこの仕打ち。
捻挫まで行かなかったのは幸いだが、笠松にこのことと一連の報告をしたところ、大事を取って今日の練習は休むようにと言われた。
放課後の時間は空いたが、今日の様子を見ているとどこかに寄り道する気にもならない。かといってまっすぐ寮に帰るのも気が引けて、黄瀬はまんじりともせず教室で時間を潰していた。

「今日誕生日だっていうのに……」

はぁ、と一際大きな溜め息を吐き出して恨めしそうに黒板に書かれた日付を睨む。
6月18日。今日は黄瀬の16回目の誕生日だった。
携帯には0時を境に、ひっきりなしにメールが届いている。可愛らしくデコレーションされたメールが受信ボックスを華やかにしていた。

「あー……オレも帰るッスかねぇ……」

とは言ってみたものの、なかなか体が動かない。また散々な目に遭いたくないという心境と、さっさと部屋に戻ってのんびりしたいと言う気持ちがない交ぜになってもう一度机に突っ伏す。
いっそここで寝てしまおうかと半ば自棄になったところで、携帯が震えた。
突っ伏したまま携帯を操作し、メール画面が表示されたであろう携帯に視線をやる。送信者の名前を見て、一気に覚醒した。

「ちょ、え、く、黒子っちからメール!?」

わたわたと携帯を持ち直して画面を見直すと、やはり黒子からのメールだった。

『何組ですか』

たった五文字の、疑問符も何もついていないメールだ。件名も【無題】となっているし、恐らく間違いメールだろう。ミーティングをする教室を確認するメールだ、と言われたほうが信憑性がある。

『送信先間違えてるっスよ』

ぱちんと二つ折りの携帯を閉じて鞄の中に突っ込む。一瞬でも期待してしまった自分が恥ずかしい。恥ずかしさを紛らわすために鞄を肩に掛けると、また携帯が震えた。

『間違えてません。何組ですか』

てっきり誤送信の謝罪かと思ったのに、並んでいる文字は先ほどの質問と同じだ。首を傾げて、自分の所属するクラスを送った。

「何なんスかねぇ……」

そう呟いたところで、今度は手の中の携帯が着信を告げる。通話ボタンを押して耳に押し付けると、小さな溜め息がまず聞こえた。続いて聞こえたのは、先ほどメールを送った張本人の声だ。

『黄瀬君、困りました』
「黒子っち、どうしたんスかさっきから。ってか何が困ったんスか?」
『迷子になりました』
「へ? 黒子っち今どこにいるんスか」
『海常です。昇降口が見えます』
「それめっちゃ入り口じゃないスか! つかちょっと待ってて! 今からオレいくから!」
『はい』

黒子の返事を聞いて電話を切る。先ほどまとめていた鞄を引っ掛けて教室を出ると、一目散に昇降口に向かった。廊下を曲がると、昇降口の前に立っている黒子の姿が見える。やはりどうして海常に来ているのかが分からないが、来ているのは事実だ。鞄を掛けなおして声を掛けると、振り向いた黒子がほっと息を吐く。

「黄瀬君、こんにちは」
「ちっス……ってそーじゃなくて! 何でうちに来てるんスか? 練習試合とかあったっけ」
「ないです。黄瀬君に用事があったので」
「オレに用事? 何スか」
「帰りながらでもいいですか? 喉が渇いたので」
「それなら途中にマジバあるから行かないッスか?」

マジバの響きに目を輝かせた黒子がこくりと頷く。しかし靴を履き替えようとした黄瀬の足元を見て、ふと眉を顰める。

「その足どうしたんですか」
「あ、バスケ部の誰かから聞いてないッスか?」
「今日は部活を休んでるということを体育館の周りにいた方が話していたので、直接メールしたんです」

じっと黄瀬の足を見ている黒子の表情は険しい。安心させるようにくるくると足首を回して見せた。

「これ、包帯巻いてあるっスけど捻挫とかじゃないんで。今日はツイてなかったから練習休めっていわれたんス」
「ツイてない……ですか、緑間君みたいなことを言いますね」
「やーあれと一緒にされるのはちょっと……」

毎日変なラッキーアイテムを携えたかつてのチームメイトを思い出して苦笑いを浮かべる。今日一日の様子を簡単に黒子に説明すると、黄瀬は靴を履き替えた。だが、黒子はしゃがみこんだまま立ち上がろうとしない。最初は靴紐でも結んでいるのかと思ったがどうやらそうではないらしく、黄瀬に背中を向けて座り込んでいる。

「黒子っちーどうしたんスかー」
「黄瀬君、ボクの背中に乗ってください」
「は?」
「ボクが黄瀬君をおんぶしていきます」
「いやいや無理っしょどう考えても!」
「無理じゃありません。やる前から諦めるなんてらしくないです」
「らしいらしくないの話じゃなくて!」

黄瀬と黒子の身長差は20cm以上ある。それに黒子は華奢な体型だ。身長のことを抜きにしても黄瀬のことを支えられるとは到底思えない。それに以前、火神をおぶさって数歩でダウンしたことも知っている。それも併せて必死に諭すと、諦めたのか黒子が不満げに立ち上がった。

「じゃあ、せめて荷物貸してください」
「平気っスよこのくらい。そんなことより早く行きましょ」

ぐいぐいと黒子の背中を押して校門へ向かう。元から頑固なところがあるのは知っているが、今日は分からないことだらけだ。そもそもどうして今日ここに来たのかの理由も分からないのだから、まずはそこから解明すべきだろう。そう考えて、学校の近くにあるマジバへと二人で向かった。
向かい合わせの席に座り、小さいテーブルにトレイを置く。周囲は部活帰りの生徒が多く、ほとんど満席の状態だ。運よく店の奥にある席に座れた二人は、同時にふうと息を吐いた。ちらちらと黄瀬に視線を向けている女子はいるが、あえて声を掛けてこようとしなかったので放っておく。奥側の暗い席だからはっきりとした確信が得られないのだろう。

「で? オレに何か用事っスか?」

ばりばりとハンバーガーの包み紙を開け、がぶりと食らいつく。黒子はそんな黄瀬をちらりと見て、自分の手の中にあるバニラシェイクに視線を落とした。紙コップの表面に浮かんだ水滴を指で撫で、一つ二つ筋を作る。

「用事というか……いや、用事はあるんですけど」
「? 何スか?」
「……察してください」
「いきなりの無理難題っスね」

苦笑してもう一口ハンバーガーを食べる。黒子はだんだんと減って行く黄瀬のハンバーガーとバニラシェイクのストローを交互に見て、口を開きかけては閉じるといった行為を繰り返していた。

「今日は黄瀬君の誕生日じゃないですか」
「そっスね。マジ厄日だったっスけど」

(あ、でも)

思い返して黄瀬は前言を撤回した。食べ終わった包み紙をくしゃくしゃと丸め、ぎゅっと手の中に握りこんだ。

「でも黒子っちがオレに会いにきてくれたから帳消しっス」
「……は?」
「何の用事かは分かんないスけど、黒子っちに会えただけでラッキーっスわ」
「安上がりですね」
「正直って言ってもらいたいとこっスけど」

にっこりと笑って頬杖をつき、黒子の顔を正面から見つめる。黄瀬の視線に一瞬彷徨った視線は、しかし正面から黄瀬を見つめ返した。
ふと、音が消えた気がした。目が合っていたのはほんの数秒なのに、コマ送りのようにじわじわと浸透してくる。すいと逸らした視線が残念で、黄瀬はそっと手を伸ばした。

「これ、ちょーだい?」
「え、」

黒子が飲んでいたバニラシェイクを手ごと奪い、ストローに口をつける。甘くて氷が混じったシェイクは、また一滴の雫をテーブルに落とした。

「あま……」
「じゃあ飲まないでください」
「もっとちょうだい?」
「黄瀬く……」

ひやりとした唇が触れた。微かに舌に残った甘さは、普段好んで飲んでいるバニラシェイクと同じ味だ。
世界から一瞬音がなくなり、すぐ後に喧騒が戻ってくる。それと同時に何をされたのかが映像つきでフラッシュバックし、思わず手の甲で唇を押さえた。

「やっぱ甘いっスね、ここのバニラシェイク」
「な、何をするんですか……」
「黒子っちがどうして今日来てくれたのかなって思ったら、何となく」
「何となくでこんなことしないでください」

顔を真っ赤にした黒子がボソボソといいながらストローに口をつけた。照れている表情も可愛くて、そんな顔をされたらもっと意地悪をしたくなってしまう。

「ねぇ黒子っち、シェイクのおかわりいらないっスか?」
「い、いりませんっ」
「ちぇー。つまんないの」

ぎしりと椅子に寄りかかってまだ顔を赤くしている黒子を盗み見る。もう既に、黒子がどうして来たのか分かってしまった。あまりにも可愛くて大好きで、思わずキスをしてしまった。本当に自分と同じ男かと思うほどに柔らかな唇を思う存分堪能したい。むくむくと沸きあがる不埒な妄想を必死に押さえつけ、黄瀬も炭酸飲料の入ったコップを手に取った。

「………、」
「え、何スか?」
「黄瀬君の誕生日ですし、帰りに……飲みながら帰ってもいいなら、おかわり……もらい、ます」

かああ、と耳まで真っ赤にして途切れがちに言った黒子の言葉に黄瀬の身体が固まる。反応が返ってこないことに不安を覚えた黒子が視線をあげると、今の自分よりも真っ赤な黄瀬の顔があった。

「……黄瀬君、顔赤いです」
「黒子っちこそ」
「それで、どうするんですか」
「何個でも買ってあげるっスよ」
「……一個でいいです」
「まぁそういわずに」

店を出た二人の手には一つずつのシェイクがある。飲み終わるまではまだもう少し掛かりそうな予感がした。



20120619
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