黄瀬の言葉に答えるように、空から雪が舞い降りてきた。昨日までは随分暖かかったのに、一瞬で冬に逆戻りだ。黄瀬は首に巻いたマフラーを口元まで引き上げ、誠凛までの道のりを急いだ。ポケットには二人分のホッカイロを突っ込んでいる。さっき駅に着いた時に封を切ったばかりだからまだ生ぬるい。目的の人物が到着するまでに暖かくなればいいなぁと、定位置である校門に寄りかかりながら考えていた。
ちらりと時計に目を向けると、時刻は18時半を差していた。ポケットの中のカイロを揉みこみ、だいぶ温度の上がったそれをぎゅっと手のひらに握り締める。パタパタと聞きなれた足音が真っ直ぐに自分に向かってくるのが聞こえ、マフラーの下で笑みを浮かべた。
「黄瀬君」
「黒子っち、お疲れ様」
「傘も差さないで……濡れるじゃないですか」
差していたビニール傘を傾け、黄瀬の肩に積もっていた雪を払う。黒子の背後に視線を向けてみても、他のメンバーの姿はなかった。小さく息の上がっている黒子にきゅんと胸が高鳴る。
「黒子っち、そんなに急がなくてもよかったのに」
「……君が寒いでしょう」
「へへ、ありがと。はい、これあげる」
ポケットに入れていたカイロを一つ、黒子の手に握らせる。その代わりに引き取った傘を二人の間に差し、いつものように肩を並べて歩き出した。
「ありがとうございます。あったかいですね」
「今日は雪降るんスもん。朝天気予報見てなくて傘忘れちゃって」
「夕飯は鍋にしましょうか」
「いいっスね、それ。賛成」
ぽつぽつと他愛もない会話をしながら、事務所が所有するマンションの近くにあるスーパーへ向かう。明日の撮影のために都内に泊まる黄瀬にあわせ、黒子も簡単な着替えをスポーツバッグに詰め込んでいた。
黄瀬と黒子が付き合うようになってから二度目の冬が来た。高校一年のウィンターカップが終わってから交際が始まり、順調にデートを重ねて今に至る。勿論何の障害もなかったとは言えないが、周囲の人間が理解ある人ばかりで本当に救われた。隣を歩く黒子の後頭部を見て、幸せだと頬を緩ませる。
「……何をにやにやしているんですか」
「幸せだなぁって思って」
「……その会話、今年に入ってから何回目ですか?」
呆れたように言う声音も優しい。そのことにまただらしない表情を引っさげて、二人でスーパーのドアをくぐった。
◆
ご馳走様でした、と両手をあわせて床に寝転がる。冬場のコタツは何者をも引き離さない魔力を持っている。それがこんなに寒い日なら尚更だ。寝転がったままずりずりと移動し、同じく床に背を預けている黒子を覗き込む。
「おいしかったっスね」
「冬はやっぱりお鍋ですね」
「……って言っても、このまま寝ないでよ?」
「……それはこちらの台詞です」
言いながらも黒子の瞼はだんだんと重くなっているようで、数分もしないうちにすうすうと眠り始めてしまった。部活の疲れもあったのだろう、黒子の眠りは深く、何度か声を掛けてみたが反応する様子はなかった。このまま隣で眠ってしまおうかという考えもちらついたが、せっかく黒子と一緒に過ごせる久しぶりの休日だ。黄瀬は意を決してコタツから抜け出すと、空になった鍋を台所へと下げた。
「……積もりそうっスね」
ひょいと首を伸ばして窓の外を見ると、夕方にはちらついている程度だった雪が本降りになってきていた。この様子だと明日には真っ白になっているかもしれない。東京での積雪は交通機関に悩まされるというのにどうしても心が躍ってしまう。秋田にいる元チームメイトに言ったら怒られる気もするが。
手早く食器を洗ってコタツに戻ると、黒子がもぞもぞと起き上がるのが見えた。
「あ、寒かった? 起こしちゃったかな」
「いえ……片付け、ありがとうございます」
「いいって。もう少しでお風呂沸くから」
一緒にはいろ? と小さく耳元で囁いてみたが、黒子はいつもと変わらない表情で小さく首を振った。
「何度も言ってますが、黄瀬君と一緒は狭いです。風邪を引いてしまいます」
「あ、はい……」
「それにボクも君も疲れているんです。お風呂でしっかり温まらないと」
「はい……」
「いいですか?」
小さく頷いた黄瀬に肩を竦め、黒子は黄瀬の手を取った。洗い物をしていたせいでまだ少し濡れている手を撫で、そっと唇を寄せる。
「……寝るときは一緒ですよ」
「………っ、はいっス!」
勢いよく頷いた黄瀬に複雑な表情をした黒子が、まだ触れていた手をきゅっと握った。そのまま指の一本一本を辿るように動き、指先を緩く押す。毎日の部活で荒れた指先はモデルというには無骨な気がした。
「黒子っち? どうしたの」
「いえ……黄瀬君の手、本当にバスケをしている手ですね」
「なーに言ってんの今更。いつもどんだけ練習してるか知ってるっしょ?」
「それは勿論」
力強く頷いた黒子に笑って黄瀬は手のひらを返した。今度は逆に黄瀬の手に捉えられ、黒子の肩が揺れる。さっと引かれそうになったところを強く握り締めて親指で手のひらをなぞった。黄瀬よりも一回りほど小さい手だが、ごつごつとした手のひらにはマメの跡がたくさんある。もう硬くなってしまっている皮膚に軽く爪を立てると、黒子が小さく名前を呼んだ。
「黄、瀬君」
「ん? なぁに」
「くすぐったいです」
「黒子っちの手、触ってると気持ちいいんスもん」
言いながらも黄瀬の手はするすると黒子の手の平を這い回る。指先のささくれに黄瀬の手が触れ、ピリッとした痛みに眉を寄せた。
「あ、ごめん。痛かった?」
「……平気です」
「あとでハンドクリーム塗ってあげる。いいの教えてもらったんスよ」
「はぁ……」
気のない返事をする黒子の手の甲にキスを一つ。呆れたように自分を見ている黒子に笑って席を立った。ぽんぽんと頭を撫でられ、黒子も自分のスポーツバッグから着替えを取り出す。それと同時に黄瀬から渡された着替えは、以前黒子が置いていったものだ。
「それじゃあ、お先にいただきます」
「うん、ごゆっくり」
風呂に向かった黒子を見送り、再びコタツの中に足を突っ込む。むずむずとした嬉しさが身体の中から沸き起こり、訳もなく手足をバタバタさせてしまいたい。実際にそんなことをしたら外の温度くらい冷ややかな目で見られそうだ。そう考えてベランダに目を向けると、吹き込んだ雪がうっすらと積もっていた。ふと何かと思いついてコタツから抜け出し、黄瀬はベランダの窓を開けた。
◆
黒子が風呂から出たとき、今度は黄瀬がコタツで丸くなって眠っていた。気持ち良さそうに眠っている様子を邪魔するのも忍びないが、心を鬼にして肩を揺らす。ふるりと震えた睫毛の奥、黄瀬の色素の薄い瞳が見えた。黒子の顔を認めてふにゃりと笑う表情は中学生の頃から変わっていない。
「おはよ、黒子っち」
「お風呂出ましたから、黄瀬君入ってください」
「ん、んー……」
「あ、こら。寝ちゃ駄目ですってば」
ゆるゆると閉じられていく瞼を咎め、もう一度強めに肩を揺すった。眉間に皺を寄せてぐずっていたが、黒子のしつこさに折れたのかのろのろとコタツから抜け出す。黄瀬が風呂に入ったのを確認してからテレビのリモコンを押す。ちょうどキャスターが外で天気予報を告げているところで、降りしきる雪に背中が寒くなった。
ダウンコートを着ているが、横から吹く風に傘の意味が奪われている。そのキャスターが言うにはこの雪は夜中もずっと降るらしく、明日の交通機関に影響が出るだろうということだ。実際、今も何本かの電車で遅延やら運休が出ている。明日の黄瀬の撮影は大丈夫だろうか、そんなことを考えているとタイミングよく黄瀬の携帯が震えた。
コタツの真ん中に詰まれたみかんを三つほど食べた頃、黄瀬が頭を拭きながら部屋に戻ってきた。使っていたタオルを黒子の頭に載せ、わしわしと前後に動かす。
「わ、何ですか」
「まだ濡れてたから。風邪引くと大変だし」
「そういえばさっき携帯鳴ってましたよ」
「ホント? マネージャーかな」
黒子の髪を好き勝手に乱してから携帯を取り上げる。画面をタップしてメールを表示させると、やはり予想通りマネージャーからのメールだった。カメラマンの飛行機が運休したため、明日の撮影は延期になるらしい。くるりと画面を返して黒子にもメールの内容を見せる。
「ってわけで、明日は一日フリーっスね」
「はい」
「どっか行きたいとことかある? つっても雪だけど」
黄瀬の言葉にしばし逡巡した後、緩く首を振る。黄瀬の袖を引いて隣に座らせ、みかんの入った籠を引き寄せた。
「明日は一日ゆっくりしましょう。最近そういうことあんまりなかったですし」
「……うん、そうっスね」
こつりと額をあわせて互いに笑いあう。ねだる黒子のためにみかんを剥き、丁寧に白い筋も取ってやる。はい、と手渡すと黒子がじっと黄瀬の手を見つめていた。不思議に思ってひらひらと振ってみると、はっと我に返ったように視線を逸らされる。
「黒子っち?」
「……いえ」
「どうしたの。オレの顔に何かついてる?」
「顔、というか……その」
黒子にしては珍しく歯切れが悪い。しかしその頬がほんのりと赤くなっているのを見て、黄瀬のスイッチが入る。
「……何か思い出しちゃった?」
黒子の耳元で低く囁けば、彼は今度こそ顔を真っ赤にして俯いてしまった。普段ならこんな黒子を見ることはできない。何だかんだスキンシップを多めに取っていたことがいい方に転んだらしい。黄瀬はそんな自分の計画高さを笑みの裏に隠し、剥いたばかりのみかんを一房とって黒子の唇に当てた。
「ほら、食べなよ黒子っち」
「……っ、んん……」
「あーあ、零れちゃった。オレが食べてあげる」
濡れた指先で黒子の唇を撫で、引き寄せた顔にキスをする。小さく震えた肩も抱き寄せて腕の中に閉じ込め、形ばかりの了承を得るために耳元で囁いた。暫く経ってから頷いた黒子の首筋から香る甘い匂いに引き寄せられるよう、黄瀬は黒子の身体を押し倒した。
―――何だろう、くすぐったい。
指先に違和感を感じて黒子はそっと瞼を持ち上げた。ふかふかの枕は黒子のお気に入りだ。昨日の内に運ばれたベッドの中はぬくぬくとして気持ちがいい。再び眠りに落ちてしまいそうなところで、また指先を撫でられる。
「黄瀬君……?」
「あ、起きた?」
「何してるんです……?」
「これ、昨日言ったクリーム塗ってるんスよ。匂いも強くないから、黒子っちにあげるね」
丁寧にクリームを塗りこまれた手は、確かに昨日より乾燥していないように思う。顔の前で手を広げてから、小さく溜め息を吐いた。
「……これからシャワー浴びるのに」
「……あ」
「無意識ですか」
「そ、そしたらまた塗ってあげるから」
ばつが悪そうに笑った黄瀬に黒子も表情を崩す。風呂のスイッチを押しにいった黄瀬に続き、毛布を巻きつけたままキッチンへ向かった。ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、ふと視線を上げた瞬間冷蔵庫に貼られた付箋が目に入った。ちょうど黒子の視線の高さに貼られたそれには下向きの矢印が書かれている。だが床を見ても何もなく、首をかしげてもう一度付箋を見た。それからゆっくりと視線を移動させ、冷凍庫の取っ手で止まる。
「………?」
引き出しに手を掛けて引いてみると、あまりものの入っていない冷凍庫の真ん中に小さな雪だるまが一つ、黒子を見上げるように鎮座していた。茶色のボタンだけが埋め込まれたシンプルな雪だるまは、昨日黄瀬が作ったものなのだろう。両手で大事そうに雪だるまを持ち上げ、ガラスの皿の上に乗せてやる。
「あ、見つけた?」
「黄瀬君、これいつ作ったんですか?」
「昨日黒子っちがお風呂はいってる間に。ボタンしかなかったけど、なかなか可愛くないっスか?」
黒子の隣に腰掛けてつるりとした雪だるまの頭を撫でる。
「はい。見上げてるみたいで可愛いです。でもここに置いていたら溶けてしまいますよね」
「じゃあさ、また新しいの作ろうよ。公園行って、でかいの三つくらい作ってさ。黒子っちの身長くらいあるやつ」
「小学生ですか」
「黒子っちだって作りたいくせに〜」
つんつんと頬をつつかれて黒子は黙り込んだ。その間も雪だるまはじっと黒子の顔を見上げていて、どうしてかその表情が黄瀬に被って見えてくる。黒子も人差し指で雪だるまの頭を撫で、触れてくる指先に頷いた。
「そうしたらその後は雪合戦で勝負ですね」
「望むところっス! 負けねぇっスよ」
「それはこちらの台詞です」
だんだんと滑らかになる雪だるまの隣で、一緒にいられる幸せに笑いあう。窓の外ではきらきらとした銀世界が二人の訪れを待っていた。
20140206