ままごとみたいな恋だった


 偶然が三度重なると運命だとか、そもそもこの世に偶然なんてないとか、色々諸説はあると思う。それでもその日の出来事はすべて偶然だったと黒子は思っていた。
 大学を卒業して運よく職にあぶれることもなく就職して、気付けば先日30歳の誕生日を迎えた。多いとはいえないが友人もいるし、たまの休みにはその友人たちと息抜きをしたりする。恋人はいないが、それでも結構充実した毎日を送れていると思っていた。
 だからその同窓会に参加したのも全くの偶然だった。たまたまその日が仕事が休みで、会場もそんなに遠くなくて。ホテルで行う同窓会なんて初めてだったから、どんなものか興味をそそられた。それに一クラスだけじゃなくて学年全体の同窓会と聞いて、誰が集まるのか興味があった。
 出席に丸をして返信用葉書を投函する。そういえば仲がよかった彼らとももう十年近く会っていないな、とぼんやりと考えていた。



「くろこせんせぇ、だっこ」
「はいはい」
 両手を広げて抱っこをせがんできたのは、黒子の担当クラスの生徒だった。舌ったらずな声は時々「くおこせんせぇ」になったりするが、それもそれで可愛らしい。ひょいと抱きかかえてやると、腕の中の子供はふにゃりと表情を崩していた。
「やっぱり翔ちゃんは黒子先生が一番好きみたい」
「そんなことないですよ」
 ぽんぽんと翔ちゃんと呼ばれた少年の背を撫でながら、同僚の言葉に苦笑する。
「そんなことありますよぉ! 翔ちゃん、私が抱っこしようとすると逃げるんですよ」
「女の人に慣れていないのかもしれませんね」
「そうかなぁ」
 納得できていないという風に首を捻る彼女も、ここに勤務して三年だ。ピンクのエプロンにチューリップの名札がついていて、ひらがなで『むとうせんせい』と書かれている。自分の胸元にも同じように『くろこせんせい』と書いてあるのだが。
「明日黒子先生お休みでしたよね」
「はい。同窓会があるんですよ」
「へぇ、いつのですか?」
「中学のです」
「何年ぶりくらいになります?」
「ええと……同じ部活の人とは大学生くらいまで会ってたので……十年ぶり、くらいでしょうか」
「いいですね! 楽しんできてください」
 ぱっと笑った彼女に、もし同級生に芸能人がいるといったらどんな顔をするんだろう。多分凄い勢いで『サインください!』と言われるだろうことを予想して口を噤む。いつの間にか寝入ってしまった生徒はほかほかと温かい。とろりとした眠気を誘われながらも、黒子はぽんぽんと背中を撫で続けていた。
 次の日、電車に揺られて着いた先は都内でも有名なホテルのロビーだった。天井からシャンデリアがぶら下がっていて、きらびやかな雰囲気にちょっとだけ気後れしてしまう。しかし入り口のプレートに書いてあった【帝光中学校 同窓会】の字に後押しされる形で足を踏み入れた。
 会場である大ホールの前に設置された受付で名前を告げ、会費を払う。おそらく普段は結婚式の披露宴などで使われるのだろう、白で統一された室内はホテルのプロモーションムービーにでも出てきそうだ。
 ホールの真ん中には白いクロスで覆われたロングテーブルがあり、その上に色とりどりな料理が盛られている。次から次へと運ばれてくるそれを、勧められたシャンパンを飲んでぼんやりと見ていた。
 だんだんと人が多くなってきて、黒子は壁際に寄ってシャンパンのグラスを舐めた。元々、酒はそんなに強いほうじゃない。いいシャンパンだと度数も高いように感じて、つい飲むのを躊躇ってしまう。こんなことなら最初からソフトドリンクでも貰っておけばよかったと考えた瞬間、入り口のほうがざわめいた。
 女子の黄色い声には何となく聞き覚えがある。部活の時もこんな風にきゃあきゃあ騒がれてて、よくもまぁ集中力が保てたものだとよく思っていた。
 ちらりと視線を声のほうへ向けると、きらきらした金髪が目に飛び込んだ。すらりと高い身長をダークグレーのスーツで包み、ブルーグレーのサングラスを掛けている彼に溜め息を吐く。会場内をくるりと見回してから、彼は周囲を取り囲んでいた女子に二、三何かを告げた。ぱっと蜘蛛の子を散らすようにいなくなった彼女たちに肩を竦め、彼は真っ直ぐ黒子に向かって歩いてきた。
「黒子っち、久しぶり」
「相変わらず嫌味なほどに整った顔ですね、黄瀬君」
「それはどーも」
 へへっと笑い、黒子の手の中にあるシャンパンを一気に飲み干す。ちょうどドリンクを変えたいと思っていたからいいが、勝手に取られると気分が悪い。む、と眉根を寄せた黒子に、黄瀬はばしばしと背中を叩くだけだった。
「にしても黒子っちがこういうとこ来てるの珍しいっスね」
「黄瀬君こそ。お仕事忙しいんじゃないですか?」
「お陰様で。今日もさっきまで仕事だったんスよ」
 二人で壁に寄りかかってホール内を眺める。再びグラスを持ってきたウェイターに断り、オレンジジュースの入ったコップを揺らす。そんな黒子に小さく笑い、黄瀬は新しいシャンパンを受け取っていた。
「あ、あれうまそう。黒子っちも食べる?」
「はい、お願いします」
「了解。他にも適当に取ってくるね」
 掛けていたサングラスを胸ポケットに挿し、黄瀬は切り分けられたローストビーフを皿に盛っていた。器用に二枚の皿を片腕に載せ、二人分の食事を盛って戻ってくる。相変わらず彼が動くごとに女子の黄色い声が飛び交っていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 再び壁に背を預けてフォークを手に取る。薄く切られたローストビーフにはレモン風味のドレッシングが掛かっていて爽やかな風味が舌に残る。さすがホテルの食事だと感心していると、たった今黒子が思っていた感想そのままの声が隣から聞こえた。
「うわ、うっま。さすがホテルのは違うっスねー」
「……ボクも今同じこと考えてました」
「マジで? や、でもこれうまいって」
「……黄瀬君、随分庶民派な発言をするんですね」
 普通芸能人といえば有名レストランで食事して、いいものなんて食べ飽きてるものだと思っていた。ましてや黄瀬はここ数年人気ナンバーワンを誇る俳優だ。20代の若手俳優が人気のこの時勢に珍しいものだと常々思っていたのだが。
 黄瀬は黒子の言葉にくしゃりと笑い、また一切れローストビーフを口に含んだ。残っていたシャンパンを呷り、再びグラスを空にする。
「芸能人ったっていつもそんないいもの食ってるわけないじゃん。むしろ時間なくてコンビニ弁当とかのが多いし」
「そうなんですか。それはそれで騒がれそうですけど」
「案外ばれないんスよね。夜中のコンビニって男のバイトばっかだし、あんまり顔見て話す人っていないし」
 あっという間に空になった皿を横のテーブルに置き、嬉々として新しい食事を取りにいく黄瀬の背中を見送る。
 黄瀬とこうして話すのはおよそ十年ぶりだ。高校生になっても何度か試合で会うことがあった。大学も都内だったから、中学時代のメンバーを交えて何度か飲み会をしたりしたがいつの間にか疎遠になってしまった。
 そのうち自分も資格取得の勉強が忙しくなり、そのまま就職活動を終えて今にいたる。文字にしてみると十年なんてあっという間だ。サラダを口に含み、もぐもぐと咀嚼する。
 黄瀬の活躍をテレビで見るようになったのは大学三年の頃だった。それまでもモデルやタレントの仕事はしていたが、本腰を入れて俳優業に乗り出したのはその頃だ。最初は二時間ドラマの端役から。それからだんだんと出演時間が延びてゴールデンタイムの準主役から主役、果ては映画の主役までこなすようになったときには、既に黄瀬とはあまり連絡を取らなくなっていた。
 それでもテレビで彼の活躍を目にすれば嬉しかったし、何となく繋がっている気がしていた。
「それにしても何年ぶりっスかね。メールもそんなにしなかったけど、元気?」
「はい。黄瀬君の活躍はテレビで見てましたよ」
 黄瀬に渡された皿を受け取ってそう告げると、彼は慣れたように笑った。
(言われ慣れてるんでしょうね)
「ありがと、嬉しいっス。知り合いに言われると何か照れるけど」
 ざわざわとした中でお互いの近況と、知っている限りの共通の友人の話をする。
「へぇ、火神っちが消防士! 何か以外っつーか似合うっつーか。あーでも面倒見よかったから火の中に自分から突っ込んでそう」
「……そうですね。先月も自ら突っ込んで怪我してました。軽症でしたし、被害者の方も無事でしたけど」
「はは、何か予想つくっスわ」
「あと緑間君は外科医で、高尾君は理学療法士です。同じ病院で働いてますよ」
「緑間っちマジで医者になったんスか! すっげぇ、しかも高尾っちが理学療法士って……」
 世界が違うと呟いた黄瀬に君もですよと返せば、肩を竦めて笑われた。
「オレはほら、普通普通」
「芸能人の世界を普通と並べられても……」
「で、黒子っちは今も保父さん?」
「はい。いつの間にか最年長に近くなってしまいました」
「見た感じぜーんぜん若いのにね。いいなぁ、オレも黒子っちに教えられたかったなぁ」
 椅子に背を預けた黄瀬にどう答えればいいものか首を傾げる。確かに黒子の見た目は23、4といって差し支えない。下手すれば大学生に間違われることも時々ある。お酒を買うときに年齢確認をされるのもいつものことで、吸わないのにタスポを作ったのもそのためだ。
「黄瀬君みたいな生徒はお断りです」
「差別! さーべーつ!」
「はいはい。あ、そろそろ解散みたいですね」
 結局黄瀬も黒子も、互いとしか話していなかった。自分たち以外のバスケ部レギュラーの姿は最後までなく、やはり忙しい中に会うのは難しいのかと溜め息を吐いた。
「もうそんな時間っスか。まだちょっと早い気もするけど」
「そうですね。皆さん二次会に行くみたいですよ」
 すっと指した先には仲のいいグループで二次会の算段をしている姿が見受けられる。いくつかの女子グループがこちらを伺っているのを見て、黄瀬が黒子に顔を寄せた。
「ね、この後二人で飲まないっスか? 上にバーあるんスよ」
「いいですけど……いいんですか?」
 言外に含みを持たせてちらりと視線を遣ったが、黄瀬はふるりと首を振った。
「同窓会って言っても何が原因になるか分からないから」
「なるほど。じゃあ先に向かっててください。少ししてから行きますから」
 黒子に手を振って会場を後にする黄瀬を、女性陣は諦めの溜め息と共に見送っていた。残りの参加者もばらばらと捌けていく中、黒子もエレベーターに乗り込む。最上階のボタンを押し、到着まで目を伏せた。
「黒子っち」
 カウンターに腰掛けてひらりと手を振った黄瀬の隣に腰を下ろす。目の前のバーテンダーに勝手に注文する黄瀬を横目で睨み、出されたグラスを揺らした。
「ボクがあまり強くないの、知ってるでしょう」
「まぁまぁ、一杯くらい付き合ってよ」
 そう言って自分のグラスを掲げる。仕方なくウィスキーのオン・ザ・ロックとマティーニのグラスを合わせた。
「黒子っちと会って十五年かー。でも会うのが十年ぶりってことは会ってないほうが長くなっちゃったっスね」
「そうですね。黄瀬君は誰かと会ったりしてるんですか?」
「中学時代のメンバーと? うーん、あんまりないっスけど、青峰っちからはたまに。あと赤司っちとは年賀状のやり取りくらい」
「あ、ボクも来ます。時々電話もしますよ、お店が忙しくて休みが取れないみたいですけど」
 またちびりとマティーニを舐める。レモンではなくオレンジピールが浮かんだマティーニは柑橘の爽やかな香りがする。それでも舌に残る苦味はどうしようもなくて、誤魔化す代わりにミックスナッツに手を伸ばした。
 一方の黄瀬はウィスキーの入ったグラスをゆっくりと回し、氷の角を落としている。
「いつの間にか十年っスか……黒子っちはこの十年長かった?」
「うーん、どうでしょう。長かったといわれれば長かったようにも思いますけど。君たちと過ごした時間が早すぎてよく分かりません」
「はは、オレも」
 ぐっとグラスを呷った黄瀬が二杯目を注文する。それに釣られる形で黒子もグラスを空け、勧められるまま別のカクテルを注文した。
 三つ目のグラスを空にしたところで、ふらりと身体が傾いた。背もたれのない椅子だったが、倒れる前に黄瀬の腕に支えられた。苦笑した黄瀬が窓際の席に移り、ソファーに座らされた。
「すみません……」
「いいって。気分は悪くない?」
「大丈夫です。暫く座ってれば酔いも冷めます」
 差し出された水を飲み、一つ息を吐く。黄瀬はグラスに口をつけ、眼下に広がる夜景を目に映していた。
「――オレね、黒子っちに言いたかったことあるんスよ」
「奇遇ですね、ボクもです」
「何だろ、黒子っちからの話って怖いんスけど」
 黒子のほうを見ずに笑う黄瀬は、グラスに残っていたウィスキーを飲み干した。確か彼も三杯目だったはずだが、全く酔った様子がない。そっと伸ばした手で黄瀬の服に触れ、もう一度水で唇を湿らせる。
「黄瀬君、ボクはあの時君のことが好きでした」
「オレは今も好きだよ、黒子っちのこと」
「奇遇ですね、ボクもです」
 テーブルに突っ伏し、先ほどと同じ台詞を繰り返す。言ってから何だか面白くなってしまって二人で笑いあった。
「はは、何だろうねこれ。ねぇ黒子っち、明日仕事は?」
「お休みですよ」
「終電何時だっけ」
「もうとっくに終わりました」
 本当は嘘だった。黒子の住んでいるアパートまでは電車で30分ほどだし、タクシーに乗ったとしても一時間で着く距離だ。黄瀬もそれを知っているだろうに、黒子の返答に唇を緩ませた。
「黒子っち、それ計算っスか?」
「さぁ? でも君がそう思うならそうなのかもしれませんね」
「じゃあそれに乗ってやるのも男の甲斐性ってやつっしょ。ちょっと待ってて」
 黒子の肩に着ていたジャケットを掛け、黄瀬が席を立った。そのままバーの奥に設置されている電話を取り上げ、何事か話しているのが見える。ここからでは会話の内容も分からないし、何より眠い。足元もふわふわしていて、気持ちがいい。そっと瞼を閉じた瞬間、肩を揺すられた。
「お待たせ。こんなところで寝ないでよ」
「……寝てません」
「そう? はい、部屋行こうか」
 黄瀬の手にはカードキーが二枚あった。黒子の目の前で振られるキーに一つ頷き、黒子も席から立ち上がった。黄瀬に支えられる形でエレベーターに乗り込み、一つ下の階に移動する。
「週末だけど空いててよかったっスね」
「はい」
「黒子っち眠そうっスねー。よっと……はい、とうちゃーく」
 部屋に入りカードキーを挿しこむと、自動的に中の電気が灯る。背後でドアが閉まった瞬間、ぐっと強く腰を引かれた。すぐに背中に壁の感触を感じて、それから。
 ――黒子は黄瀬にキスされていた。
 性急に唇を合わせてきた黄瀬にこたえて黒子も薄く唇を開ける。待ってましたとばかりに滑り込んできた舌が咥内で動き回り、少し息苦しい。
「んん、ぅ……」
「……はぁ、黒子っち、苦しい?」
 黄瀬の言葉にこくこくと頷けば、綺麗に笑った顔が『我慢して?』と囁いた。なら最初から聞くなと黒子から唇に噛み付いてやる。ぱちりと目を瞬いた黄瀬は、それよりも深く黒子の咥内を貪っていた。すっかり腰が抜け、座り込んでしまった黒子に構わず唇を貪る黄瀬の腕をぎゅっと掴む。
「どうしたの?」
「……ここは嫌です」
 背中は押し付けられて痛いし、折角着てきたジャケットも皺になる。ぶつぶつとそんなことを呟くと、黄瀬は笑って黒子の身体を抱き上げた。ベッドに黒子の身体を横たえジャケットを腕から抜いていく。それを丁寧にハンガーに掛け、クローゼットにしまう彼をじっと見つめていた。
「これでいいっスか?」
「ズボンもお願いします」
「了解」
 するすると脱がされていくズボンをぼんやりと見つめる。先ほどと同じようにクローゼットにしまい、黄瀬は自分のジャケットもその隣に掛けた。二つ並んだジャケットの明らかなサイズの違いに眉を顰め、ベッドに乗り上げてきた黄瀬を蹴る。
「ちょ、何するんスか」
「別に何でもないです」
「ったく、可愛くないっスねぇ……そんなところが好きなんスけど」
「ボクも君のその生意気なところは嫌いじゃないですよ」
 自分のシャツに掛かる黄瀬の指を見て、露わになる肌に熱い息を吐いた。やっぱり少し飲みすぎたみたいだ。心臓が早鐘のようにうるさくて視界が回る。体温の上がった肌に、黄瀬の手がぺたりと触れた。
「黒子っちの心臓の音すげぇ」
「酔った、せいです」
「そう?」
 つつ、と手のひらを滑らせて脇腹を撫でる。くすぐったさに身をよじった黒子に再びキスを落とした。
「んむ、黄瀬君しつこいです」
「いいじゃん、キス好きなんだもん」
「はぁ……」
 ちゅう、と唇を吸う黄瀬に呆れてベッドに身を預ける。脱がされたシャツはソファーに放られ、触れた外気が肌寒さを誘う。シーツに潜り込もうとしたところを黄瀬に捕らえられ、ぐいと腕を引かれた。揺れた金髪が肌に近づき、止めようとした瞬間直接的な刺激が襲い掛かってくる。
「……あっ」
「黒子っちもそういう声出るんスね、何か感動」
「な、に馬鹿なこと言ってるんですか……!」
「だって久しぶりだし」
 そう言ってまたぺろりと舌で胸をつつく。女性と違って何の膨らみもないのにどこが楽しいんだろう。慣れ始めた刺激の中で、黒子はそんなことを考えていた。
 そういえば黄瀬は以前から黒子の胸を弄るのが好きだった。
 中学の頃、ちょっと試してみようと言ってきたのは黄瀬からだった。誰もいない部室で、シャワールームに入ってセックスの真似事をした。女子とは経験のあった黄瀬も、男同士はどうすればいいのか分からなかったから携帯で調べてみた。二人で覗き込んだ画面にはあまりにも難易度の高いことが書いてあったからそれは断って、お互いのものを扱きあった程度の戯れだ。
『うわ、やべぇこれ……癖になりそう』
 手のひらにべったりとついた白いものを洗い流し、裸のまま相手に抱きつく。黄瀬は黒子の胸が、黒子は黄瀬の背中が好きだった。ぺたぺたと手のひらで触りあって唇で確かめて。そんな手探りの真似事は中学の間ずっと続いていた。
 しかし互いに別々の高校に入り、そういうことをする機会もなくなった。その頃には自分で処理するものだと思っていたし、実際そうしてきた。火神や他のチームメンバーにこういったことをしたいと思ったことはない。そこで初めて、黄瀬のことが好きだったのだと認識した。我ながら情けない自覚の仕方だが、実際にそうなのだから仕方がないだろう。
「ん、ん……っ、や……」
「なぁに考えてるの?」
 指と舌を使って黒子の胸を苛めていた黄瀬は、もう片方の手をするりと滑らせた。下着の上から股間を揉まれ、足が跳ねる。膝を立てて隠そうとしたが既に黄瀬の膝が間に入り込んでいてそれも出来ない。小さく声を漏らしていると、じわりと下着が濡れていく感覚がした。
「脱がせて、ください」
「はいはい。黒子っち赤ちゃんみたい」
 両手で下着を脱がされる様子は、普段黒子が生徒にしているのと同じ構図だ。かっと顔を赤らめて足をばたつかせたが、やんわりと押さえつけられるだけで終わった。
「うそうそ。だから暴れないでよ」
「黄瀬君は随分嫌な性格になりましたね、昔は早かったのに」
「あ、今そういうこと言う? 昔のオレとは違うっスよ」
 一人だけ全裸になるのが恥ずかしくて黄瀬のシャツを引っ張る。黒子の意図を解した黄瀬がシャツを脱ぎ捨て、ズボンのバックルに手を掛けた。
「……そんなに見られると恥ずかしいんスけど」
「いいじゃないですか、ボクなんてもう裸ですよ」
「もー。さっきからムードぶち壊してばっかりじゃないっスかぁ」
「そんなもの必要ないでしょう。……早くしてください」
「ちぇー。ちょっとくらいいいじゃないっスか」
 ぶちぶちと子供のような文句を言っている黄瀬は、ベッドサイドから取り出したパックの袋を破いた。それを手のひらに伸ばし、体温で温めていく。
「……こういうホテルでもそういうの置いてあるんですね」
「あー。ほら、結構お忍びで来る人多いから。このくらいの階は」
「なるほど」
「昔はここまでやんなかったから少し緊張するね」
 へらっと笑って黒子の片足を持ち上げる。空いた隙間に手を滑り込ませ、指先で奥をつついた。う、と小さく呻いた黒子は懸命に黄瀬の指を受け入れようと息を吐く。つぷりと埋まった指先が入り口付近で蠢いた。
「どう? 痛い?」
「い、痛くはないですが……変な感じがします」
「んじゃ、もうちょっと奥いってみるね」
 ぐぐっと入り込んできた指を反射的に締め付けてしまう。小さく笑った黄瀬が黒子の額にキスをして、食いちぎられそうと艶のある声で囁いた。その声にずくりと下半身が疼いたのが、指を通してばれたらしい。笑みを深めた彼が至極楽しそうに唇を舐めてきた。
「ここ、どう? それともこっち?」
「や、や……どっちでもいいです……!」
「そんなわけにいかないっしょ。ねぇ、もっと奥?」
「わ、かりませ……あ、ぁっ」
「あーここか。こんなに奥だったっけ? ここも成長するのかな」
 軽口を叩きながら黒子の前立腺を刺激する黄瀬に苛立ちが募る。ここも黄瀬に荒らされた場所だ。お陰で高校に行ってから暫くは普通の自慰で満足できなくなっていたというのに。
 びくびくと跳ねる腰を押さえ、黄瀬が二本目の指を挿入する。少し引き攣れるような痛みもあるが、黄瀬が流し込んだ唾液が滑りをよくしていた。
「……よく、そんなところ……」
「ほら、オレ優しいから」
「………」
「冗談だって。黒子っちだって痛いより気持ちいいほうがいいでしょ?」
 ぐちゃりと空気を含んだ音が響く。黒子のアナルを広げる動きに専念しつつも、黄瀬の左手は胸を弄ったり耳に触れたりと忙しい。そのたびに上がる嬌声が部屋の温度を引き上げていく。
「ねぇ、ゴムないんだけど」
「……ローションがあってゴムがないなんて聞いたことありません」
「ばれた?」
 ずるりと入り込んでいた三本の指を引き抜く。本人は知らないだろうが、質量を失った孔はひくひくとしていていやらしい。ピンクに上気した肌は普段より敏感で、触れただけで黒子は全身を震わせていた。
 言われたとおりゴムを装着して黒子の腰を掴む。黄瀬の股間をちらりと見た黒子は、そのグロテスクな光景から目を逸らした。
「傷つくんスけど、そういう態度」
「まじまじと見るものでもないでしょう」
「そうっスけどー。痛くないようにするから」
「無理な発言はやめてください。痛いに決まってるじゃないですか」
 現実的な黒子の言葉に苦笑して腰を進める。少しでも痛くないようにと黒子自身に指を絡め、ゆるゆると扱きながら様子を伺った。丹念に慣らしたのがよかったのか、抵抗はあれど黒子の身体はゆっくりと黄瀬を飲み込んでいく。
 半分ほど黒子の中に入ったところで一度腰を止める。
「はぁ……は、やっべ、気持ちいいっスわ……」
「う、あ……きせ、くん」
「ごめんね、痛くないようにしたかったんスけど」
「平気、ですから……あの」
「ん? なぁに」
「中途半端なのは嫌です……」
 はぁ、と息を吐いて後ろをひくつかせる。その刺激にごくりと生唾を飲み込み、黄瀬はもう一度黒子の腰に手を添えた。
「黒子っち、煽るのうますぎ……!」
「は、あぁ、やっ……うぁ……!」
「そん、なこと言われたら……っ、我慢できないっスよ……!」
「あっ、あ、あ……黄瀬く、きせくん……っ」
 一気に埋め込んだ後は正直あまり覚えていない。ただぐちゃぐちゃと響く音と、微かに軋むベッドの音、その合間に聞こえてくる黒子の控えめな喘ぎ声が頭にこびりついて離れない。女性に突っ込むのとは全然違う。男同士は初めてだったが、一度やるとハマると聞いたのが分かる気がした。
 ぴったりと隙間なく絡みつく肉は、まるで黄瀬を食らおうとしているみたいだ。女性とは違う摩擦は痛いくらいで、しかしそれが快感に変わるのにそう時間は掛からなかった。
 男同士のセックスは動物みたいだ。一気に上り詰めて、達した後はすぐに熱が引いていく。黒子も例に漏れず、シーツに包まりながら『何をしてるんでしょう』と呟いていた。
「でも気持ちよかったっスね」
「そうですね、それは認めます」
「はは、何かすっげー疲れた。部活のときみたい」
「ボクも疲れました」
「明日休みだし、たまにはいいっしょ」
 ぽんぽんと頭を撫でる黄瀬に一つ頷き、黒子は目を伏せた。気持ちよかったのは事実だが、それ以上に身体がだるい。普段使わない筋肉ばかりを使ったから身体が悲鳴を上げている。ぐったりとベッドに沈み込んだ黒子の唇に黄瀬が触れ、まだ少し残っていたアルコールの香りが舌を通じて流れ込んできた。
「……二日酔いになりそうです」
「じゃあ朝に薬もらっとこ。そしたらお風呂一緒に入ろうね」
「………」
「おやすみ、黒子っち」
 再び一定のリズムで撫でられ、黒子は今度こそ深い眠りに落ちていった。



 次の日黒子が目覚めると、部屋の中には豪華なルームサービスが並んでいた。直前に運ばれてきたものらしく、まだほかほかと湯気が立ち上っている。しかしこんな状況を見られたのかと顔を青ざめさせていると、新しいワゴンを引いた黄瀬が小さく笑った。
「大丈夫っスよ。持ってきてもらったのは入り口までだから」
 身体を起こした黒子に100%ジュースを渡し、ガウンを掛ける。裸にガウンだけなんてどこの外国映画かと思ったが、どうせ部屋には彼と自分しかいないのだ。ベッドから足を下ろした瞬間、鈍く痛んだ腰に付随してがんがんと頭痛がした。
「水のほうがいい?」
「……お願いします」
 のろのろと移動して椅子に腰掛けると、後孔からどろりと残っていたローションが流れ出た。ひんやりと冷えたガウンに肌が触れ、心許ない気持ちになる。うろうろと視線を彷徨わせた黒子に気づいた黄瀬が、腰の下にタオルを置いた。
「お風呂先のがよかったっスね」
「……すみません」
「いいって。これ食べて薬飲んだら入ろ。オレもうシャワー浴びたから黒子っちのこと洗ってあげる」
 結構です、と言ったにもかかわらず黄瀬は食事を終えた黒子を横抱きで風呂に運んだ。浴槽の中に黒子を座らせて甲斐甲斐しく洗っていく。最後にふわふわのタオルで包まれ、ベッドまで運ばれた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。下着も新しいの買っといたよ。昨日のはランドリー頼んだから後で来ると思うけど」
「……ランドリー頼むなら新しいのはいらなかったんじゃ」
「いいじゃん、細かいことは。それよりさ」
 わしゃわしゃと黒子の髪を拭いて、バスローブに腕を通させる。黄瀬が買ってくれたという新しい下着を穿き、彼の前に座った。
「黒子っちは恋人いないんだよね」
「いませんよ。君はどうなんですか?」
「オレもいないけど。それなら問題ないか」
「はぁ、ボクと君も恋人じゃないですし」
「うん、そういうこと」
 黄瀬からタオルを受け取り、顔に撥ねた水を拭う。黄瀬の言わんとしていることは分かっている。
「割り切った付き合いにしよ」
「最初からそのつもりでした。芸能人の恋人なんて荷が重いです」
「はは、黒子っちのそういうとこ大好き」
 話はそれだけだった。今度連絡するね、と黄瀬が黒子の携帯に自分の連絡先を登録するのをぼんやりと眺め、手に載せられた携帯を受け取る。『黄瀬涼太』の文字をどのグループに登録すればいいのか少し悩んだ後、友達のフォルダを指定した。火神の名前の下に黄瀬の名前があって、何となく気まずくなる。
「じゃ、支払いはしておくから」
「はい、お願いします」
 昨日と同じジャケットを羽織った黄瀬がちゅっと黒子の唇にキスを落とす。パタンと閉まったドアを見てからベッドに寝転がり、自分の肩を抱きしめた。
 何だか無性に泣きたい気分だ。悔しいのか悲しいのか嬉しいのか、自分の気持ちが分からない。ただ身体の中に燻った熱は、いつまで経っても下がりそうになかった。

20130423
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