黒子誕生日2013


黒子はむっつりと頬を膨らませて目の前の携帯を見つめていた。時刻は23時半を回ったところで、テレビもつけていない部屋はしんと静まり返っている。一緒に暮らしている同居人は遠い空の下だ。時差の関係があるから、きっと今は夕方くらいだろう。
はぁ、と何度目になるか分からない溜め息を吐き出して目を伏せる。彼の仕事が忙しいのは十分承知しているし、それを分かった上で付き合っているのも自分の責任だ。それに今更誕生日の一つで喜ぶほどの年でもない。分かっているのに不機嫌になってしまう自分にまたイライラした。

「……約束破り」

つんっと物言わぬ携帯をつつき、すり寄ってきた二号を抱き寄せる。ふわふわとした首筋に顔を埋めると、くうんと犬が小さく鳴いた。

「もう寝ましょうか」

しぱしぱと眠そうな目をしている犬に笑いかけ、大きな身体を床に下ろす。ちらりと一度黒子に振り返ったあと、二号は自分のケージに入っていった。
高校にいる間は部で面倒を見ていたが、黒子の卒業と同時に引き取ることにした。その頃にはすっかり大きくなっていて、立ち上がって圧し掛かられるとバランスを崩しそうになるほどだ。ぱたぱたと左右に振られる尻尾が付き合っている相手と被り、家に帰ったら犬が二匹になるのかとぼんやりと考えていた。

「お帰り黒子っちー! と、二号? どうしたんすか?」
「黄瀬君、ボクと住むには条件があります」

黄瀬が何か言う前に先に口火を切る。首を傾げた黄瀬の前に正座し、カバンから一枚の紙を取り出した。箇条書きで書かれたそれを受け取り、声に出して読み始める。

「一、やむをえない限り二号の散歩は交互で行うこと……え、え? 飼うの?」
「はい」
「こ、このマンションペット不可っスよ?」
「はい。引っ越しましょう。それが二番目の条件です」
「えぇぇ!?」

確かに二番目の項目には『ペット可のマンションへ引っ越すこと』と挙げられている。どちらにせよ、黄瀬が一人で暮らしていたマンションでは手狭だから引っ越す予定だったが、条件がつくとは聞いていない。

「ちなみに二号も一緒じゃないと同居は認めませんから」
「黒子っちぃ……せっかく同棲してくれるって……」
「ど・う・きょ・で・す」

一文字ずつ区切って告げると、しょんぼりと肩を落とした姿がある。黄瀬のそんな表情に責任を感じたのか、二号がぺろりと手の甲を舐めた。

「ん? 大丈夫っスよ、ちゃんとマンション探してあげるから」
「くうん」
「今のは黒子っちに冷たくされたからっスよー」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないで下さい」
「犬聞きっスー」

首筋に鼻先を寄せる二号を撫でながらそんなかわいくないことを言う。二号、こっちおいでと言っても目の前の犬二匹はじゃれあうばかりだった。

「えーっと、他には……バニラシェイクの個数に文句言わないこと、帰宅の連絡は必ずすること……。あ、黒子っち」
「何ですか?」
「これ、一個条件足してもいい?」
「……? はい、どうぞ」
「ありがと」

メモスタンドから取り上げたペンで最後に数字を書き足す。反対側から覗こうとしたら手で隠されてしまった。仕方なく二号の喉を撫でていると、ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らす。

「へへ、これっス!」
「……『記念日はお祝いの言葉を相手に言うこと』?」
「そうっス! 誕生日とか、他の記念日でもいいし」
「他のって?」
「んー、一緒に暮らした日とか……何でもいいんスよ」
「……君に任せていたら何でも記念日になってしまいそうですが、いいですよ」
「やった! じゃあ今日もさっそく記念日っスね。オレと一緒にいてくれてありがと、黒子っち」

本当に嬉しそう笑った黄瀬に引き寄せられ、頬にキスされる。わんっと鳴いた二号も立ち上がって黒子の頬を舐めた。

「あ、ちょっと二号! 黒子っちはオレのだから駄目っスよ!」
「ヴヴゥ……」
「え、ちょ、う、唸った? 唸ったっスよ黒子っち! ヤバイ助けて!」
「知りません。犬同士縄張り争いでもしててください」

背後から聞こえてくる黄瀬の叫び声と二号の声に席を立つ。ぱたぱたと台所まで下がってから、真っ赤になった頬を押さえていた。
それから三年経ち、この暮らしにも随分慣れてきた。予想通り増えた記念日の数々にはお互いにケーキを買ってきてささやかなお祝いをする。誕生日に何をするか考えるのも、楽しみの一つとなっていた。
それなのに。

「君から言い出した約束じゃないですか」

寝る支度を整え、ベッドに下半身を入れながらもまだ黒子は携帯を見つめていた。我ながら女々しいとは思うが、彼から言い出した約束を彼から反故にするとは。家を出る前に何度も抱きついてきては『絶対電話するから!』と言っていたのは何だったんだ。もう今日になってから23時間も経っているじゃないか。
思い出すとむかむかしてきて、ばさりと毛布を肩に掛ける。帰ってきたら散々文句を言って高いプレゼントでもねだってやる。そう思ってぎゅっと目を閉じた瞬間、ピリリと携帯が鳴った。

「………」

いまだ二つ折りの携帯電話を開き、表示された名前を確認する。しかし表示されている番号は知らない番号だ。さすがにこの時間の、知らない相手からの電話に出る気にもなれず指が迷う。そんなことをしているうちに途切れた電話に安堵し、ぱたんと携帯を閉じた。だが、数秒も経たないうちにもう一度同じ番号から電話が掛かってきて、仕方なく通話ボタンを押す。間違い電話ならそう教えないと、これからも掛かってくるかもしれない。

「……はい」
『あ、黒子っち!? 起きてた?』
「……黄瀬君?」
『そうっス! あーよかった、まだ起きてた』
「電話どうしたんですか?」
『撮影中に海に落としちゃって。これはマネージャーの仕事用の借りたんスよ』

ってそんなことより!
横道に逸れそうになる話題を引き戻し、黄瀬は電話の向こうで深呼吸をしていた。耳元で聞こえる呼吸音にすらきゅんとなる胸をどうにかしたい。だいぶ染まってるなぁ、と考えながら前髪を弄った。

『黒子っち、誕生日おめでとう。遅くなってごめんね?』
「……あ、ありがとうございます」

いつもより低くて掠れた声が耳元から聞こえる。普段は明るいキャラで通っているし、それが本来の彼と違うとも思わない。しかし実際のところ、そのイメージどおりだけじゃないことは自分が一番よく知っていた。
色気を滲ませる声だとか、ふとしたときに浮かべる艶のある表情だとか。一つ思い出すとつらつらと出てきて黒子の顔が真っ赤に染まる。出発の前夜のことを思い出してかぁっと熱くなった。

『黒子っち、顔真っ赤』
「ば、ばかじゃないですか! 赤くないです」
「でも、オレには真っ赤に見えるんスけど?」

言葉と同時に背後から伸びてきた腕にぎゅっと抱きしめられる。落としてしまった携帯電話が切れ、ツーツーという電子音だけが聞こえていた。

「ただいま、黒子っち」
「しゅ、趣味悪いです」
「黒子っちの誕生日だから無理して帰ってきたんスよ?」

すりすりと顔を寄せる黄瀬の髪に指を絡める。外の空気に冷やされたそれは、ひんやりとしていた。しかし触っていると身体の中がほんわりと温かくなってくる。黒子は黄瀬の腕の中でくるりと身体を反転させると、きゅっと首に腕を回した。

「く、くくく黒子っち? どうしたんスか」
「……君が約束破ったかと思いました」
「電話だけならいつでもできたんスけど、やっぱり直接言いたくて無理に帰ってきちゃった」

ちゅ、と黒子の額にキスをしてさらさらの髪を撫でる。黒子はまだ巻いたままだった黄瀬のマフラーを取り、コートのボタンに指をかける。一つ一つ外していき、最後の一つになったところで黄瀬に手を掴まれた。

「……黒子っち、それヤバイっス」
「……何がですか?」
「煽ってるんじゃなきゃ、やめて?」
「………」
「でないとオレ狼になっちゃうから」

黄瀬の言葉を受けてじっと彼の顔を見つめた。黄金色の瞳にゆらりと欲情の色を見つけ、小さく笑う。

「……煽ってるんです」
「……どーなっても知らないっスよ?」

ぎしりとベッドに押し倒され、最後の確認をされる。横になったまま黄瀬のコートに手を伸ばし、最後のボタンを外した。目を瞬いた黄瀬に挑戦的に笑い、彼の頬に手を伸ばす。

「……望むところです」

身体全体に掛かる重みを感じてからベッドサイドの時計に目を向けると、ちょうど日付が変わった瞬間だった。

20130131
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