幸福といえる幸せ


この優しい人に、どう気持ちを返せばいいんだろう。



ピリリ、と鳴った携帯電話を開く。まだスマートフォンにしないのかと何度も言われているが、携帯電話自体ほとんど使わない自分にはこれで十分だ。ボタンを押して受信したメールを開くと、案の定黄瀬からのメールがあった。
『仕事終わったっス! あとで電話していい?』
いいですよ、と簡潔な返事を打って送信。もうこの携帯は彼とのホットラインになっているんじゃないかと思うほど、履歴は黄瀬で埋まっていた。ごろりとベッドに寝転がって携帯にぶら下がっているストラップを見つめる。小さなバスケットボールが踊っているそれは、黄瀬からもらったものだ。指先でつついて小さな溜め息を吐き出す。
中学のとき、バスケから逃げた自分をずっと黄瀬が探していたのは知っていた。休み時間のたびに校内を探してくれていたことも気付いている。高校に入って黄瀬が誠凛に来た日に受信したメールを開く。
『連絡先ありがと。練習試合楽しみにしてるっス!』
短いメールの中に黄瀬の気遣いを感じて胸が温かくなる。きっと何度もこの続きを打って、その度に消してきたんだろう。練習試合の後に公園で話したことを思い出す。
『最後に黒子っちともプレイできたしね!』
―――最後じゃないです。これからですよ、黄瀬君。
目を閉じてメールに保護をかけると、黒子はそっと携帯を閉じた。
黄瀬から電話が掛かってきたらずっと考えていたこの言葉を言おう。優しい君に少しでも気持ちが返せるように。
放っておいても赤くなる頬を持て余してベッドをごろごろと転がる。うー、と唸ってみても一人きりの部屋で帰ってくる答えはなかった。
もう一度携帯を開いた瞬間、ぱっと画面に表示された名前に顔が赤くなった。一度深呼吸をしてから、少し震える指でボタンを押す。耳に押し当て、向こうから聞こえてくる明るい声に背中を押された気がした。
『もしもし、黒子っち?』
「はい、ボクです。あの、あのですね、黄瀬君」
『ん? 何スか?』
「黄瀬君、ボクは君のことが――――」

     ◆

「っていうのを思い出したっス」
「……何でそんな昔のこと思い出してるんですか」
「んー……卒業だから?」
目の前に立っている黒子をそっと引き寄せて腕の中に閉じ込める。夕暮れの教室の中、残っているのは二人だけだった。入学当時は真新しかった校舎も、三年間見ているとずいぶん馴染んだものになる。黄瀬は机に腰を下ろしたまま黒子の髪に指を絡めた。時折指先が耳に触れてくすぐったい。
「卒業おめでと、黒子っち」
「黄瀬君は明日卒業式ですね」
「うん、海常まで来てくれる?」
「嫌です」
即座に否定された言葉に肩を竦める。そう答えられることは予想済みだったから大した問題じゃない。
「荷造り終わった?」
「……まだです」
「明日に間に合いそうっスか?」
「黄瀬君が手伝ってくれるなら」
「了解っス」
まだ髪に触れていた黄瀬の手に頬を預ける。なでなでと触れられ、涙が出そうになった。卒業式でも泣かなかったのにどうしてだろう。黄瀬の背中に手を回し、きゅっと彼の制服を握り締めた。黒子からの控えめな抱擁にふわりと表情を綻ばせ、黄瀬はしっとりと濡れ始めたシャツに気付かない振りをする。
「明日迎えにいくっスね」
「……はい」
「……無理しなくていいんスよ? 黒子っちに嫌な思いさせたくないし」
ぽんぽんと背中を叩く黄瀬に、弾かれたように顔を上げる。目尻に残った涙がその拍子にポロリと零れて夕日を反射していた。
「無理なんてしてません!」
「黒子っち……」
「違うんです、黄瀬君」
黄瀬の腕に手を載せ、ふるふると頭を振る。薄い色素の髪が夕陽を吸い込んで金色に光った。黄瀬の指が目尻の涙を拭い、熱がダイレクトに流れ込んでくる。一つ息を吐き出し、黄瀬の顔を見上げた。
「ボクは嬉しいんです」
「嬉しい、っスか……?」
「やっとだからですよ」
「……?」
「やっと君の隣にいられます」
黄瀬の手を取って自分の頬に添えさせるとその手がわずかにこわばる。頬に触れた手は小さく震えていた。
「黄瀬君、震えてますよ」
「黒子っちマジそーゆーの反則だから……っ」
「すみません、君のその顔が好きなんです」
「悪趣味っス……!」
ぎゅうっと黒子を抱きしめて髪に鼻先を埋める。慣れた彼の香りに黒子もほっと息を吐きながら窓の外に視線を投げた。
まだ桜の花は綻んでおらず、固い蕾が微かに色づいているくらいだ。
「黄瀬君は泣き虫ですね」
「黒子っちに対してだけっスよ」
「そうじゃなきゃ困ります」
むすりと拗ねた声音になる黒子にそっと唇を寄せる。逃げることもなく黄瀬からのキスを享受した黒子は、閉じていた目をゆっくりと開いた。ちゅ、と小さく鳴ったリップ音がくすぐったい。
「一緒に暮らそ?」
「……何度もはいとお答えしたはずですが」
「何度でも聞きたいっスよー。黒子っちがOKしてくれた日寝れなかったし!」
「ボクは快眠でした」
「ヒドッ!」
ぎゅ、と抱きついた黄瀬にはたぶん今の言葉が嘘だと分かっているだろう。夕陽だけではない赤さに耳が火照っているのが自分でも分かる。黄瀬から一緒に暮らそうといわれ始めたのは高校三年になる少し前からだった。周囲が受験のことを考え始めても、自分たちの生活の中心はバスケだった。海常高校のキャプテンでもあった黄瀬は、たくさんの大学からスポーツ推薦の話があったという。それでもその全部を断り、誠凛高校に来たときのことはよく覚えている。
『黒子っち』
『黄瀬君? どうしたんですか』
『オレ、黒子っちに言いたいことがあるんスよ。ちょっといいっスか?』
いつになく真剣な顔で問いかける黄瀬に思わず頷く。二人で誰もいない屋上に行って、春先のまだひんやりとした空気を吸い込む。見下ろした先にある体育館では、受験も終わった先輩たちが後輩の指導に当っているのが窓から見えた。来月になればその姿が見れなくなることに小さく胸が痛む。
『寂しいっスか?』
『はい。ずっとお世話になっていましたし』
『そっか』
黒子の隣に並んで体育館を見下ろしている黄瀬をちらりと見る。吹いた風が前髪を揺らし、金色が夕陽を反射した。暫く二人で眼下を眺めたと、ぽつりと黄瀬が言った。
『……黒子っち』
『はい』
『―――オレと一緒に暮らしてください』
『黄瀬く……』
『大学は黒子っちと同じところに行く。家事も得意じゃないっスけどやるし、絶対寂しいって思わせないから』
『あの、ボクは』
黄瀬を止めようと上げた手を逆に掴まれ、ぎゅうっと強く握られる。普段の黄瀬からは想像もできない強さに眉をしかめ、その表情に慌てた彼が手から力を抜いた。それでも手を離す事はせずに、繋いだ指先に視線を落とす。
『オレも黒子っちも男だけど、絶対不安にはさせないから』
『………』
『だからお願い、頷いて?』
耳の後ろを撫でる指先にきゅっと目を瞑る。優しい声が不安げに揺れているのを聞いて、黄瀬の制服を握り締めた。分かるか分からないかほどに小さく頷いた瞬間、ぐいっと引き寄せられた。
『……ホント?』
『はい』
『冗談って言ってももう聞かないっスよ』
『不束者ですが、よろしくお願いします』
一瞬きょとんとした後にくしゃくしゃの笑顔を浮かべた黄瀬は、黒子を抱き上げて一つキスをした。
そんな恥ずかしいことまで思い出して黒子は溜め息を吐いた。静かな住宅街を歩いているのは二人だけだ。手伝うといった言葉通り、黄瀬と二人で自宅へ向かう。部屋に上がるとまだ片付いていないダンボールが一つ二つ転がっていて、それを見ながらベッドに腰掛ける。
「ほとんど片付いてるじゃないっスか」
「でもまだ終わってませんよ」
「オレが手伝うほどじゃないと思うんスけど」
「黄瀬君がいないと駄目です」
黄瀬の隣に座り、ぐいっと肩を押す。不意の刺激に備えていなかった身体はぐらりと傾いでベッドに背中から倒れこんだ。目を瞬いている黄瀬を見ているとふつふつと優越感が沸いてくる。起き上がろうとした肩を上から押さえつけると、黄瀬がこちらを見上げてきた。
「えっと、黒子っち? その、これは……」
「約束してたじゃないですか」
「へ? 約束……」
「卒業するまではしませんよって」
ジーッと制服のジッパーを下ろす黒子に、さっと顔色が青ざめる。それは二人の間で交わした約束事だった。付き合う内に何度かそういう雰囲気にもなったが、恐怖心が勝った自分がとっさに言ってしまった一言。
『卒業するまでこういうことはしません』
『……ん、分かった』
その約束どおり、黄瀬からのスキンシップは軽いキス程度に留まっていた。我慢をさせていた自信はもちろんあるし、こんな自分に嫌気が差して黄瀬から別れを告げられる覚悟もしていた。それでも黒子を待っていてくれた黄瀬に何かお礼がしたい。そう考えて今日のこの行動だ。もっと恥ずかしいものかと思ったが、黄瀬を押し倒してみると案外楽しい気分になっている自分に気付いた。
(ボクも我慢していたのでしょうか)
「ちょ、あの黒子っち……オレはまだ卒業してないんスけど……」
「ボクが卒業したから問題ありません」
「そんな無茶苦茶な……って何してるんスか!?」
「何って服を脱がせていますが」
「ちょ、ちょちょちょっと待って! ま、マジっスか?」
「冗談は嫌いです。本気ですよ」
黄瀬のネクタイを首から抜き取り、シャツに手をかける。一つ一つのボタンを外すたびにあらわになる肌に、自分の呼吸が熱くなるのを感じた。ズボンから裾を抜いて大きく肌蹴させる。観念したのか抵抗がなくなったのをいいことに、ベルトのバックルに指を伸ばす。
「黒子っち、オレも……」
「……お願いします」
少しだけ震えていた指先を落ち着けるために、自分のシャツに伸びた黄瀬の長い指を見つめる。これから何をするのか、誘ったのは自分だ。この日のために調べていたし一応準備とやらも済ませた。ふう、と呼吸を吐き出した瞬間、ばさりとシャツを脱がされる。素肌に触れる空気が冷たく、震えたところを黄瀬に抱きしめられた。
「人肌って温かいんスね」
「……はい」
「あの、黒子っち」
「はい?」
「その……オレ今日こんなことになるって思ってなくて、えっと、何の準備もしてないって言うか」
「……? はい」
「ぬ、抜いてきてないんス……」
真っ赤な顔でごにょごにょと言う黄瀬に拍子抜けする。何も言わない黒子を見上げて、更に真っ赤な顔で俯いた。
「今日久しぶりに黒子っちに会えるって思ったし、それで家帰ったら抜こうって思ってて……っスね……」
「……黄瀬君、いつもそんなことしてるんですか」
「え! オレはいつも黒子っちのこと考えてしてるっスよ!」
「だからそんなに元気なんですか」
すいと下ろした視線に黄瀬が慌てて股間を隠す。制服の布を押し上げているそれに小さな溜め息を吐き、黄瀬のベルトに指をかける。
「く、黒子っちー!」
「明日、卒業式でしょう? 汚れたら困るじゃないですか」
「な、何でそんな積極的なんスかぁ」
明日でもいいじゃないっスか、ね?
そう何度も繰り返す黄瀬に苛立ち、半ば無理やりにベルトを引き抜いた。そのままズボンを下ろし、ついでに下着を掴む。
「ほ、本気っスか……?」
「はい、往生際が悪いですよ黄瀬君」
じっとりと睨み上げるとあわあわと焦る綺麗な顔がある。いい加減諦めろという意味を込めて唇にキスをすると、長い溜め息の後にぐっと肩を掴まれた。
「……悪いけど、たぶん途中でとまれねぇっスよ」
「そんなの百も承知です」
「嫌だって泣いても聞かないよ?」
「泣きませんよ」
むっとして尖らせた唇に黄瀬がキスをした。そのままゆっくりと押し倒されて、素肌に黄瀬の手の平が這う。時折掠める刺激は胸の突起を弄るたびに訪れていた。
「ん、黄瀬くん……」
「……ごめ、一回抜かせて」
「え……っ、あっ、んんっ……!」
ずるりと黒子のズボンと下着を一気に脱がし、現れたものを一緒に握る。既に零れていた先走りを指に絡めてお互いをすり合わせる。小さかった水音がだんだん大きくなってくる理由を知りたくなくて、ぎゅっと目を閉じた。
「…っ、は…、黒子っち……は、はぁ……」
「う、う……っ、黄瀬、く…ん」
「ほら、黒子っちも手貸して?」
「え、あの……」
「は……気持ちいいっス……」
ぐちゅぐちゅと少し乱暴なくらいに擦られ、手に触れる熱に顔を赤らめる。短い呼吸を吐き出した黄瀬が小さく呻くと、手のひらにどろりとしたものが触れた。
「………」
「ちょ、無言はやめて欲しいっス! ティッシュ! はい!」
差し出されたティッシュで手を拭い、まだ元気の衰えていないそれをちらりと見る。溜まってるといったのは嘘ではなかったらしく、濃厚な精の匂いにずくりと腰が疼いた。まるで自分がはしたなくなってしまったかのようで恥ずかしい。それでも熱を欲している身体を抑えることはできず、ベッド下に手を伸ばした。
「……黒子っち?」
「ちょっと待っててください……んっ」
「え、まさか……」
「いち、おう……勉強はしたんです、けど……」
黄瀬の胸に手を置いて必死に呼吸を整えている黒子の右手の先が見えない。腕を撫でて辿ると、ローションをまとった指に触れた。ベッドに転がったボトルと黒子の顔を交互に見る。何見てるんですか、なんて、そんな。
「……手伝うっスよ」
「え、あ……っ、黄瀬、く……!」
ぐっと指が押し込められ、濡れた音がする。たっぷりのローションをまとった指が奥に進むたび、何ともいえない感覚が襲い掛かる。自分で触ったことはあるが、指を入れるのは初めてだ。黄瀬に抱きついて蠢く指に小さく声を漏らす。
「……もう一本入れるっスよ」
こくこくと頷いてぎゅっと抱きつく。結局手伝うといった黄瀬に甘えた黒子は両手で黄瀬にしがみついて必死で呼吸を整えていた。探るように動いた指が前立腺に押し当てられて体がしなる。口からひっきりなしに漏れる声は女の子のように高くて恥ずかしい。しかしそんなこともどうでもよくなってしまうほどの快感に頭を振って黄瀬を止めた。
「だめ、駄目です……黄瀬君」
「止まれねぇって言ったっスよね」
「や、やだ……っ」
「泣いても聞かないって」
「うぁ、あ……っ」
ずるりと抜けた指に入れ替わる形で入り口に熱い塊が押し付けられる。慣らすように前後に動いた後、ぐっと強く押し当てられる。狭い入り口を無理やりこじ開けて中に入ろうとする痛みに、つうっと頬に涙が流れる。黒子の涙に一瞬動きを止めた黄瀬は、しかし小さな舌打ちをして更に腰を進めてきた。丹念に慣らしたお陰か切れてはいないが、ピリピリとした痛みがずっとある。少しでも動かれたら裂けてしまいそうで怖い。震える黒子と、すっかり萎えてしまった彼自身に小さく謝る。
「ごめん、黒子っち痛い? 痛いっスよね、ごめん」
「ふ……、黄瀬、く……」
「ごめんね、黒子っち」
「……さそ、ったのは……ボクです……」
そろりと伸ばした腕を黄瀬の首の後ろで交差させ、申し訳なさそうな顔をしている頭を引き寄せた。さらさらと流れる金髪からシャンプーのにおいがしてきゅうっと胸が締め付けられる。
「後悔なんて、しませんよ」
「……黒子っち……っ」
「……やっぱり泣き虫ですね、黄瀬君は」
ぽつぽつと肩に落ちる涙に小さく笑い、ようやく慣れてきた異物感にほっと息を吐く。ゆるりと自身に絡んだ指が緩急をつけて動くのに声を漏らし、中にいる黄瀬を締め付けた。
「……それ、や、です……」
「ん、これっスか……?」
軽く腰を動かしながら親指で先端をこねる。確認のために問いかけると、また新しい涙を零しながら左右に頭を振った。お互いに手探りで、気持ちいいのか悪いのか分からない。それでも心に満ちる充足感に従って快感を追いかけた。
「う、ぁ…あっあ、あ……はっ……」
「……ふ、っく……うっ」
「きせ、く……っ、や、も……だめ、です……っ」
「オレ、も……っス……! っ、は……くっ……!」
「んんっ……あ、あ、う……っ」
ぎゅうっと抱きついて黄瀬の背中につめを立てる。足の指が丸まって小さく震えた黒子自身からも、とろりとした白濁が零れていた。身体の奥に叩きつけられた熱にほろりと涙が頬を伝う。黒子の上に覆いかぶさった黄瀬はゆっくりと起き上がると、汗で張り付いた前髪を剥がしてキスを落とした。
「すっげー……幸せだったっス」
「……ボクもです」
気持ちいいとか悪いとかは正直分からなかった。それでも隣に彼がいて、満たされるこの気持ちは幸福だと胸を張っていえる。
二人でまどろみながら、黒子は明日の黄瀬の卒業式には海常まで迎えにいこうとひっそり考えていた。

それから手を繋いで、一緒の家に帰ろう。
同じ家で暮らして、キスして、家事は黄瀬に任せて。
時々くらいは手伝ってもいいかなと考え、黒子も眠りの中に落ちていった。

20121030
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