「お前ら、後片付けはちゃんとしろよ」

たしなめるような声に続いて、おう、だとか、はあい、だとか大きく響いた返事があって、それから満足げにこちらを振り返ったその男に声をかけた。

「今日は残らないのか」

体育館の入り口に近いゴールポストでシュート練習に励んでいた手を止めて問うた俺に、そいつはああと小さく頷いた。

「用事があるから。残るならあいつらを頼む」

そう言って足並み早く歩き去る背中が体育館の重い鉄の扉を開ける。瞬間入り込んできた冷たい風にぎゅっとその小柄にみえる背中が縮こまった時、俺は咄嗟に声をかけていた。

「待て赤司、俺も今日は帰るのだよ」

体を小さくしたまま赤司は顔だけをこちらに向けた。それに構わずに青峰たちの使う遠い方のゴールに向けてボールを放つ。入るかどうか。入らなければ撤回するべきか。腕を下ろす途中にそんなことを考えながら、ざっと音を立ててボールがゴールを通って落ちてゆくのをみた。
驚いて体を止めたらしい青峰や黄瀬がぐるりとこちらを向いて不満を口にする。性懲りもなく1on1ばかりをしていたのを邪魔したらしいが、赤司が先に行ってしまうのではとばかり気にかけていた俺にはあまり興味のないことだったので、眼鏡をおさえて口にした。

「お先に失礼するのだよ」

そのまま背を向けた俺は、文句を言う大声も、無言でこちらを見ていた赤司をも気にしないように大きく歩き出して、外に出た所でどこを見ているかも分からずに告げる。

「途中までは一緒に歩いてやっても構わない」

一拍置いた後に聞こえてくる言葉と声音を、俺はすでに分かっていた。

「そうか、それなら、じゃあ緑間。眼鏡をかしてくれ」

ほんの少し弾んだような声色に、俺は小さく、ああ、と返した。



視線はずっと君のもの




赤司が俺の眼鏡をかすように言ってきたのはいつからだったか。それ自体は掘り返すならばよみがえりはする記憶だったが、いつも俺と赤司が2人で帰る時だけだった。楽しげな声で俺に話しかける赤司は、その冷たい手で俺の手を握って歩き出すのだ。引っ張られるようになりながら、おぼつかない視界の仲で一際色の強い赤い髪をみる。時に指を絡めてくる赤司に心臓が暴れるような気持ちをしながら、その冷たい指先が俺の体温を求めているのを知っていたから、その手を振り払うことなどできはしなかった。俺の背について風をしのげばいいものの、それをしないのは赤司のいつもの性分だった。誰よりも前に立って導くのを自分としているのが奴である。俺は何も言わずに赤司に手をひかれ、眼鏡のないまま歩いていく。
いつからか決まりごとのようになっている行為が一体何を示しているのか、俺には分からないことが満足ならなかった。けれどこうしていることが、俺は決して、嫌いでもなかった。

緑間、と背中を向けながら赤司が俺を呼ぶ。思い付きには大抵俺を付き合わせる、悪びれもしないその声に俺は何だとこたえる。

「怖くないのか?」

変わらず機嫌のよさそうなその声に溜め息を吐いた。
二面性でもあるかのように、赤司は俺の前では文字通りの我が侭を通してみせるし、かといえば他の奴らのいる前では大人びてみせる。そしてそれを本人が自覚しているからたちが悪い。

「みえにくいだけで、みえない訳ではないのだよ」

言うと目の前の赤い頭がぴたりと止まって俺を振り返った。

「なんだ」

気の抜けた声で呟く。

「目をつぶっていると思ってたよ」

俺と繋いだ手に力を込めて、赤司はそのままぶらぶらと揺らした。びゅうと風が鳴って、その冷たさに身を硬くしながら、この男は目を細めているだろうなと考えた。みえないが、寒い時に赤司はそうやっていた。まだ枯れきっていない木の葉がざあざあと音を立てていて、はやくこいつを帰さなければなと思った。そう思いながらも歩けとは言えなかった。

「こけるのだよ」

俺たちをみた人は何を思うだろうか。男2人が向き合って手を繋いでいる。
一度そう考えると途端に周りの目が気になって、けれどやはり俺にその手を振り払うことはできなかった。面白くはなかった。
ずっと棒立ちで固まっている俺に赤司は振り子のように動かしていた手を止めた。そのまま手が離れてしまって、俺は何も言えずにそれをみつめる。躊躇いもなくはなすものだな。心の中で呟くと、赤司の声が聞こえた。

「今どのくらいみえてるんだ」

それが俺への問いかけだと理解するまでに時間がかかった。ぼんやりとしていた俺は、気付くと赤司の手が俺の頬へ伸ばされているのをぼやけた視界の中でみつけた。そっと目元をなぞる、かわいた指が少しだけくすぐったく感じた。

「赤司」
「何だ?」

同じように、テーピングの巻かれていない右の手で、赤司の目元にそっと指を伸ばした。伸ばして、そして躊躇う俺の手を、目元が分からないと勘違いでもしたのか、赤司は自分の手で俺の指を導いた。触れて、目がみたいと思った。たまにでしかないけれど、その目が楽しさや好奇心かららんらんと光っていることがあるのを、俺は知っていた。

「俺は今どんな顔をしている」

聞くと目元をなぞっている手が眉へとうつった。
そうだな、とやはりまだ機嫌のいい声が告げる。

「眉を寄せていないから、あまり俺をみようとは思ってないだろう。いつもよりちょっと穏やかな顔をしてる」

そうしてくすりと笑った赤司に、そうか、と俺は返す。

「俺はお前がどんな顔をしているか分からない」

ど近眼だな、とおかしそうな声で赤司は言った。

「だからそろそろ返してくれえないか」
「どうしようか」
「赤司」

ころころと笑う赤司に、眉を寄せて目を凝らした。それでもぼやけた視界は赤司の顔をうつしはしない。悔しくなって唇を引き結んだ。そうすると俺の顔に触れていたてのひらが遠ざかって、赤司は俺に尋ねてきた。みえないことはそんなにつらいか、と。
ああつらいと俺は頷いた。

「お前に好き勝手にされているのは不服だ」
「そんなこと言って、緑間は俺の我が侭をきくのは嫌いじゃないだろう」
「好きでもないのだよ」
「何がつらいんだ?」

やはりこの男は酷な奴だなとぼんやり俺は思った。
何においても人を追い詰めるのだ。そうして苦しめておきながら、離れがたいと思わせる。赤司はその自分の本性を知っているのか。全てを知っているような顔をして、しかし潔白であるようにもみえるこの男は、分かって俺を追い詰めているのだろうか。

「お」口が震えた。

「お前が笑っているのを何故みせようとしない」
「え」
「理不尽なのだよ。大体お前はいつもそうだ、人の弱みやら何やらは何かしら持っている癖に、そのお前に不利であるだろうことは何一つみせようとしないだろう、いやそもそもお前の考え込んでいる不利な事柄が真実本当に弱みであるかどうかは他人を以って初めて分かることもある、赤司、お前はそれより先に俺がそれを見極める手段を奪っている」
「緑間」
「……何だ」

いたたまれなくなって口を再び引き結んだ俺に、赤司はいや、と口にした。

「緑間は」

ぽつりと言う赤司に、今度はまた何を言って追い詰めるのだろう。心なし構えたであろう俺に、けれど珍しく気付かなかった赤司は続ける。

「緑間は分かっているのか?」

ひそめられた声だった。
やけに真剣な、重苦しいそれに、ぐっと俺は声を詰まらせた。何を分かっている、だと。俺がか、と問いかけそうになって、けれど口をつぐんだ。何を言われるのかと恐ろしくすら思えてきた。瞬間赤司は呟いた。恥ずかしいな。
俺は息を呑んで固まった。それは衝撃にも似ていたし、困惑でありながらも歓喜でもあった。赤司がそうやって俺の心を揺るがす度に押し寄せる感情だった。

「仕方ないから返すよ」

苦笑した雰囲気でそう言って、赤司の頬に触れていた俺の手を掴んで、そのてのひらの上に冷たく細い、俺の眼鏡が乗せられた。きんと冷えたそれが何という答えであるのかを図ることができない悔しさを味わいながら、俺は無言で眼鏡をかけた。いつまでも同じ場所に立ち続けているうちに、秋の夜長、あたりはもう暗くなっていた。住宅街の家々の影が濃く長く伸びている。合わない焦点をずらすようにゆっくりとクリアになる視界の中、俺はずっと目の前の男をみつめていた。そうじてずっと寄せていただろう眉から力を抜いて、俺は、赤司をみた。

笑う赤司がいた。
楽しげとも、いたずらげとも違う、いつもはしっかりと吊り上げている目元をやわらかく綻ばせて。
笑う赤司を見て、俺は思わず視線を逸らした。

「ほら」

赤司が言う。

「こんな情けない顔、見るに耐えないだろ」
「ちが」

声が詰まった俺の目に、今度ははっきりと苦笑した赤司の顔がうつった。それから少し俯いたせいでまるい頭のつむじが見えて、身長差がありすぎて顔を正面からみれないのも不便なことだと思った。これを知られる訳にはいかないが。
そうして俯いていた赤司に何を言えばいいのかとうろたえている俺に、見兼ねたように赤司が白状した。

「確かに緑間の前だと子供っぽく振る舞っている自覚はあったけど、こんな浮かれてるのはみせられたものじゃないだろ」

 そう言ってそのまま背を向けた赤司に思わず声をあげようとして、しかし俺の口はうまく動かなかった。口下手であることを少し憎らしく思った。咄嗟にずっと繋いでいた手を絡めようとして、それが眼鏡を奪われた時だけの特権であったことを思い出して身がすくんだ。そんな俺など気にも留めずに歩き出してしまう無情な背中に、何か何かと俺は言葉に迷って立ち尽くす。

「赤司」

呼んだ声は硬い。これでは勘違いする奴の考えを助長しているようで歯がゆかった。普段はとても聡いというのに、一度自分がこうだと思うとなかなか覆すことのない赤司は、もう笑顔も出さずに、それでも俺を振り返った。

「お前はなぜ笑っていたのか、教えてくれ」

止まっていた足を踏み出して問えば、ぐっと眉を歪めた。

「分からないのか」
「分からん」
「鈍いぞ」
「早とちりを起こすよりは良い」

お前のようにだ。心の中で呟いて、明瞭になった視界の先、俺の目をとらえてやまない強い赤色は、はあと根負けしてみせる。そうしてぎっと睨むその目元は、目元、は、

「嬉しかったから笑ったんだこの鈍感」

眼鏡をかけてやっとみえるくらいに薄く色づいていた、ものだから。

「緑間?」

冷たい赤司の手は、それでも俺の胸を熱くさせた。帰るのだよ、そう呟いて俺は握った手にゆるく力を込めて歩き出す。引かれた赤司は少しだけ足をもつれさせて、それから何も言わずに俺の横に並んだ。風は寒くて相変わらず赤司は身を縮めている。冬になると防寒着で分厚く体を覆う赤司が、多分そろそろみれるのだろう。青峰たちはまだボールと向き合っているのだろうか。

「…俺も」
「…何だ」
「俺も、ないと不便な眼鏡を奪われても、お前と帰ってきたのだよ。お前は鈍くないのだから、分かるのだろう」

珍しく素直に動いた口に、赤司は無言を通した。

隣で風に吹かれて赤くなっている鼻先を横目でそっと覗きみながら、俺は人知れず微笑んだ。



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