(薄桜鬼羅刹沖田設定)(モブ視点)
沖田総司が死んだと聞いた。
あの沖田が死んだ。
呆然とする。
胸に震えが走り、息の止まった感覚に、私は暫し物も言えなかった。
しかし優しく肩を叩く彼の手に、ようやく私の瞳は涙を零し、喜びの笑みをもらしたのだ。
沖田が死んだ!
あの男が───ようやく────ようやく、死んだのだ!
信じられない報せだが、彼が言うのだから間違いない。
どきりどきりと大きく動き続ける心の臓に胸を当て、ほうと息を吐く。
あの男とは変わり、私は生きているのだと実感する。
見上げると、彼は───志士様は、目を細め頷く。
眩しい。
眩しいが、世界に、光が見えた気がした。
◎◎
親は沖田総司に殺されたと聞く。
攘夷の志を持つ、志士様が教えて下さった。
京の治安を守ると銘打って、日の本(ひのもと)の未来を指し示す攘夷派の人々を斬り殺す。
新選組の沖田が、正に顕著であった。
京にはかの天皇様がいらっしゃる。お膝元なのだ。
だと言うのに幕府お抱えの壬生狼が町中を闊歩し、京の人々の安らぎを守るだとか、そのようなことを言うのだ。
何ということか!
幕府によい思いを抱く人間は、あまり京にはいないだろう。
もし居たとしても、平気に人を斬り殺す、あやつらに。私たちはいつ癇癪を起こされ、斬り殺されるかもしれないのだ。
あのような者どもに、どうしてよい思いを持つものか。
市中見回りだと、私の親が営んでいた宿に奴らが来る時に、やはり私たちは顔を歪めた。
あの頃はまだ池田屋の事件は起こっておらず、志士様たちも新選組をさして厄介ともしておられなかったが、私たちは町中の噂や、夜中に響く恐ろしい叫びを耳にする。侍でも武士でもない。ただの商人である。そんな私たちが刀を持つ者をどうして恐れずにいられようか。
◎◎
親が殺されたのは、私が志士様の手引きをしていた時だ。
池田屋事件、禁門事変が起こり、奴ら───壬生狼の評が高まり、新選組として認める人間が出てきた辺りである。
それでも私や両親は壬生狼と呼び続けた。
あのような、平然と人間を斬り殺す奴らを、どうして認められようか。
私たちは沖田総司が人を斬り殺すのを、偶然、見た事があり、それ以来どうしても壬生狼には嫌悪の情しか持たなかったのだ。
丁度、会合を開かれる、その時であった。
頭を下げ部屋を後にしようとする私の頭を、次々に志士様が撫でていく。
恋い慕う男も居なかったし、さして恥じらうような、乙女のような性格でもなかった。
人払いを頼む、といつものように言われ、分かりましたと深く礼をし、静かに戸を滑らせる。
暗屋ではない、ただの宿であったから、別段怪しまれる宿ではなかった。志士様はそこを以て、私たちの宿をご贔屓して下さっていたのだ。
◎◎
恐らく何者かの報告であったのだろう。
街中を歩いて、さて友人に会おうか、それとも。
そう考えていた、矢先であった。
「沖田組長、この先です」
「確か…何の変哲もない、宿、だったよね?」
「はい」
「…、うん、じゃあ刀をちゃんと握っておいてね」
「はい!」
どきり、と、心臓が暴れ出した。
目に見えたのは、浅葱色───幕府に仕える意を持つ、私たちの敵の色。
じり、と、いつの間にか砂の重なる音で、後退さっていたことに気付いた。
気付いたと同時に、翻り、走り出した。
気付かれていた!
気付かれていた!
どうしようどうしようどうしよう。
頭の中に繰り返される言葉の数々は意味のないもので、動揺を誘うだけであった。
ぜいぜいと息をする私を、過ぎ行く人々が顔を歪めて見ている。しかし気にすることはない。女が走るのがいくらはしたないと言っても、それよりも優先すべきものがあることを私は知っていた。
志士様。
かかさん。ととさん。
逃げなければ、逃げなければ、逃げなければ…!
涙が零れたのは、店先に着いたその瞬間であった。
「かかさん!」
「あんた何やっとん、女子が走ってはしたないやないの」
「壬生狼が、きた!!」
さっと血の気を失った母の顔を、覚えている。
目に焼き付いて、離れてくれない。
「お前は志士様のご案内しな」
「かかさんは…っ?」
「おっとうと話してくんさかい、お前はそうや、志士様にご厄介なり。気に入ってくれとる方、おんやろ」
「かかさん、聞きたいん、そんな事ちゃう!」
店先で揉めていたが、私はその時にはうっすらと理解していた。
母は死を覚悟していた。
◎◎
「志士様、今日は連れてってくれはって、ほんにありがとうございました」
「礼を言う事か。俺はお前を気に入ってるのだ」
肩を抱いて、強く言う志士様を見上げる。
力強い眼差し、力強い手、力強い意志。
私を見るその顔は、優しかった。
好きではない。
愛も恋も、冷めて、感じられない。乙女のような気性ではないのだ。
ただ、この人がいないと生きてはいけないだろうと思う。
この人が自害を決意したならば私も首を切ろう。この人が望むなら心中しよう。
この人と共に運命を過ごすのだ。
今の世、恐らくは多くの女が私と同じ思いで男と連れ添っているのではないだろうか。そのような気がする。
両親が沖田に殺され、泣き崩れた私に胸をお貸し下さった志士様は、いたく私を気に入って下さり、愛妾(あいめかけ)となさった。
そうしていくらか経っただろうか。
沖田がいつぞやの、覚えてはいないが───死んだと報せがあった事件の日から、攘夷派の志士様方は活動を強くなさるようになった。
志士様は沖田の剣術を高く見ていた。
恐らく出会ったならば、殺されるのは自分であろうとも仰っておられた。今まで生きていたのは、間一髪の所で出会いを避けられたからだ、とも。
だからあの男が死んだこの今、新たな敵の阻みがない内に、会合をするべきだ。そうお思いなのだろう。
志士様は私をよく会合に連れて行って下さる。
私には分からなかったが、それで───それで、いい。
日の本が生まれ変わる瞬間を、目に焼き付ける事が出来るのだ。
この上ない栄誉である。
「変わらず仲の良い事だ」
「あら、そうどすか、…嬉しい」
「おやおや惚気かい!」
「愛い、愛い」
志士様と、そのお仲間方に、囲まれお話をぼんやりと聞く。
豪快にかかかと笑う志士様方に、こちらは控えめに笑みを零す。
壬生狼に見つかりはしないか、と怯えもしない。自然と勇気も溢れる。
「───あ、ねぇ、そこのお侍さん」
どこか和やかな声がして、私たちは振り返る。
網笠を深くかぶり、顔は見えない。
訝しげな声を、志士様が出した。
「何だ」
「もしかして、志士様ですか?」
その言葉に、志士様は大仰に頷く。
男は彼らの事を様と付け、問いかけた。
それだけの事だ。
けれど、そこらの年若い男ならば、決して敵方には敬意を嘘でも表さない。
───表すのは、誇りを投げ捨てても進む男と、同じ志を持った男だ。
声からまだ年若いであろう青年は、恐らく同志だ。
志士様は私の頭を一撫でし、男に向かい合う。お仲間方も同じように。
「何か用か」
「───ええ」
がちん、と、一瞬体が動かなくなった気がした。
ずんと腹の底に響いた、強い肯定。
志士様はその返事の強さに、笑みをもらして頷く。
恐らくはこの男の力量とかいうものを感じられたのだろう。
志士様は聡い方だから。
だが、何故、だろうか。
息が詰まって、苦しい。
胸を突き破りそうな程に、心臓が暴れ出す。
何かが。
何かが私を不安にさせている。
いや何かと言うまでもない。目の前の男にだ。
虫の知らせと言うのか。
息が、詰まる。
「、女を連れて?」
ぎゅっと志士様の裾に縋った私が目に入ったのだろう。男は訝しげな声を出す。
そうと目を細めた私を、志士様が抱く。不安というか嫌気というか、そのようなものを読み取って下さったのだろう。志士様は配慮に長けた方だった。
「頭の良い女よ」
そう言った志士様の腕に寄り添って、にこりと微笑む。
胸騒ぎは止まない。
しかしやらなければ志士様の面目が潰れるのだ。私がそのような事をする訳もない。
ただ上品に、艶やかに、何も知らない頭の弱い女を演じるのだ。
志士様の言葉に、男は黙った。
しかし志士様がそのまま、満足げに口を開くので、男は軽く頷く。
「して、貴様は何用か」
「はい、それは───」
「やっぱりあんた達には、死んでもらわないと、って思って」
やけに明るい声音に、その言葉に。
「何だと?」
訝しげに、志士様のお仲間が聞き返す。
低く、怒りを押し込めた声音に、本当は聞こえていたのだろうと知る。聞き違いなのだと思いたいのであろう。
しかし───しかし、志士様は私の腕を掴んで、口を寄せた。
耳にだ。
「志士様───?」
「口を開くな」
小さな声に頷く。
「逃げろ」
「ぐ、ああ、ああああああ!」
はっと振り向く。
頭が追い付かない。何が起こった。
何が起こったというのだ!
志士様が私を掴む腕が痛い。
しかし私は呆然とするばかりに、彼の腕を振り払いもせずに、目の前の事に目を見開いていた。
血が。
血が、湧き出ている。
苦悶に寄せられた眉に、噛み締める口に、震える体。
志士様のお仲間が、倒れていた。
「邪魔なんだもの」
聞こえた、色のない声にはっと顔を上げる。
「……あ、…」
赤い。
染まる血を、眉をしかめ見た男。赤い。あかい。
「ばけもの」
ふと目が合う。
瞳すら赤かった。
「おきたそうじ…」
網笠が音もなく地面に落ちる傍らで、男───沖田総司、は、佇んでいた。
瞳は赤い。
髪は白い。
しかし見間違うものか。
その男は、沖田総司だった。
「貴様、沖田の亡霊か!」
志士様の鋭い声が響く。見やればお仲間方も刀を構えており、志士様は静かな動作で私の前に立つ。
逃げろと。まだこの背中が語っている。
「亡霊、か。…うん、言い得て妙って感じかな」
「武士の恥であるぞ」
「そんなもの」
「あの人の為なら、そんなものいらない」
亡霊。
亡霊亡霊亡霊!
この世に未練がある故に亡霊となって現れた男。
あれだけの人を殺しておきながら、まだ殺し足りぬと言うのか!
ぎり、と唇を噛み締める。
逃げなければならないのは分かっている。分かっている。
しかし体が、動かない!
涙が滲む。
「恥知らぬの亡霊が!」
刀を構え、走り出す。
彼の最期の姿だった。
とある亡霊のお話
(20324再UP)