支部から鬼不B

2012/11/05 20:38

※別れ話系統


予感は、きっと、ずっと前からあった。


「いいか。ちゃんと、聞けよ」

そう言って不動は俺の右手を包み込んだ。
俺より少しあたたかい温度だった。
昼だ。暖房のついた部屋。あたたかい部屋の、ソファの上。視界の端に観葉植物。不動は俺の右手をなぞる。ぱちり、と睫毛が動いていた。俺は、誰でも知っているようなバラエティ番組から。不動に顔を向けた。

不動が口を開いたのは、それから少し経ってからだった。

「別れよう」

そう、言われて。

ひゅう、と息の呑みかけて、それが上手くいかなくて喉に、喉の奥の方に、何だか変なものが詰まった気がして、ぐ、と唸った。右手が動いたのに気付いた不動が、少し笑って、優しく力を込めてくる。少し首を傾げた不動から、ブラウンの髪がこぼれて、口が震えた。
俺は何も口に出さなかった。
何も分からなかった。そう思いたかったんだ。嘘だろう、聞き間違いだろう。でも不動の笑みは、俺の反応に対してで、いや、でも。嘘だろう。
そう思うのと。
お前が言うなんて。
まだ。まだ、待っていて、くれると。
自分が胸の内でそう呟いた事で、俺が何を考えていたかが分かって、愕然として。
不動、お前はすごいな。そんな一言で、こんなに、俺は混乱している。頭の隅でそんなくだらない考えが過ぎていく。そうして自分に情けなさや呆れが湧き上がる。

混乱で何も言えなかったのかもしれないし、臆病でずるかったからかもしれない。どちらもだったかもしれない。
俺が何かを言う前に、不動はまた喋りだした。

「今日でな、終わりにしようぜ」
「今日きっかり。本当に、今日」
「明日からは友達」
「親友がいいんだけどさ、お前の親友って言ったら円堂と豪炎寺って感じだから」
「まあ譲ってやろーかなって」
「俺も、お前ら見てると。あー親友ってこういうのだよなーって思うし」
「な?友達になるだけなんだ」
「それだけ。なあ、それだけでしかないんだ」
「友達になるだけで、ただバカやってりゃいいんだよ」
「友達が嫌なら仲間でもいーぜ。何か俺が誰かの友達ってのもクセーしな」
「なあ、鬼道くん」

引き攣る息が、まるで犬みたいに、フーッと出て行って、俺は今まさに興奮している状態だったのか。上手く言葉が出なくて、そんなままだときっと変な音しか出ない事は分かっていたから、俺はただ唸り続ける。は、かふう、か。変に息を吸ってしまって咳をする。手が震える。息をする度に、肩も震える。
やめてくれ。
やめてくれよ。口の奥で歯を互いに押し付けるようにしたら、顎が痛くなる。首を下げて俯いてしまったから、俺の視界にうつるのは、俺の右手を握った不動の手だ。骨ばっている、細い手首。ああ。女に比べたら太くて強張っているんだろう。知っている。けれど不動の手は白くて、俺のよりは少し細いんだ。
は、は、と息をする自分が情けなくて、左手で目元を覆った。
泣くんじゃないか。と、思って。

「鬼道くん。息はまず吐くといいぜ」

何を呑気に言ってるんだ。
お前がそんな事を言うからこんな事になっているんだ。
軽口すら叩けない。不動の言うとおりに、荒い呼吸を無理に吐き出し続ける。辛くなってきて、大きく息を吸ったら、本当に楽になる。でも駄目だ。駄目だ。

「分かってたんだ。気付いてた」

不動の声は、やさしい。
いつもよりずっと。慰めるように、やさしい。
左手に雫が落ちた。目が熱い。けれど体は寒く感じて、さっきまでは暖房のおかげであたたかいと思っていた筈なのに。覆い隠した目を閉じたら、左手から雫がこぼれていく。
分かってた。
俺もだ。不動が気付いているのを、俺も知っていた。

「ずっと悩んでただろ。苦しんでただろ?だったら、俺が言ってやんなきゃって思ってさぁ」

右手を引っ張って、抱きしめて、黙れって。
そうしようと思って力を込めたら、瞬間、負けないくらいの力を込められた。つりあって動かない体に、くそ。と悪態をつく。誤魔化されないぞって、不動は俺に示してしまった。俺は本気なんだと、不動は俺に言っている。




義父に。
結婚の話をされた時から、俺はずっと、気付いていた。
このままでいい訳がないんだ。
世間体を気にせずに、男同士、ずっと一緒にいられると思うほど、俺は無謀でも子供でもなかった。また押し通せるほど勇気も度胸もなかった。
それでも俺は不動と居たかった。不動と一緒に生きていきたかった。笑いあって触れ合って喧嘩してもいい。それでも俺は不動と共に過ごして居たかった。だから。ずっと、そういう事から目を逸らし続けていた、卑怯な大人だった。

けれどあの時。大事な息子に早く嫁が出来ないかとか、そんな風に笑っている義父さんを見たら。お節介とは分かってるんだけどなあ。そう呟いて、コーヒーを飲んで、恥ずかしそうにするあの人を見たら。
俺は。
いつになったら。口が開けるだろうと。

その前に、不動、お前が言うのか。




「覚悟はずっとしてたろ」

俺たちは昔から利口だったぜ?
そうやってからかう不動の口調はずっとやさしい。

覚悟はしてた?
してた。してたさ。俺たちはこんなのずっと続く訳ないって、ずっと分かってた。
でも駄目だ。痛い。苦しい。こんなに胸が詰まってる。覚悟してたはずなのに。こんなにも痛いのに。不動。お前は何で笑えているんだろう。

「そろそろ、苦しい関係はさぁ、やめねえと」

な。
そう言って不動は立ち上がった。ソファが弾む。
行くのだ。不動は今立ち上がった。歩き出すに違いない。不動は決めたらすぐに動くから。頑固だからここで止めないと、不動と俺はもう。
引き止めなければ。縋り付いてもいい。だって一緒にいたい。離れられない。左手を顔から外して見上げる。照明がまぶしくて不動の髪がきらきらしている。不動と俺のつながっていた右手が外れている。

「ふどう」
「……な。またね、鬼道くん」

あ。
ぼろぼろと零れる涙の向こうで、不動の笑顔。がんがんと頭が揺れる。いたい。熱でもあるんじゃないのか。看病してくれ。待って。不動。歩くな。待ってくれ。不動!









俺は結局、そこから立ち上がる事も出来なかった。









鳴り響く携帯電話を見て、その日の事を思い出した。
俺が鬼道くんに別れを切り出した日の事。

あの時ぼろぼろに泣く鬼道くんを見て、好きだなあ、なんて思いながらも、俺はずっと言葉を吐き続けていた。あんなに悩んでいた鬼道くんに、いっつも俺が言ってやんねえと、考えながら、行動もしてなかった俺が。あの時は何かに乗っ取られたみたいに、ぼんやりと頭の中で、驚いていた。俺はこんなに言えたのかよ、って。

家を出て行った後も俺は涙なんて出なかった。冬だったからかもしれない。あんなに寒いと目を乾く。
でも泣かない自分に薄情な奴って笑いながら、夜から明け方までずーっと歩き回ってさ。行く所もないから久遠の家に押しかけたら娘の方が泣き出して。俺は泣けねえのに何でお前が泣くんだよってな。でもあそこで「ああ俺今鬼道くんと別れてきた」って自覚してなあ。
ちょっとほっとしたんだ。
鬼道くんが、楽になれたかねえって。重苦しいあの悩みが、消えたから。


でもそんなんで終わる訳なかった。

鬼道有人ってのはしつこい奴だった。

ずっと前から気付いてたのに、まさかそれが俺にも適用されるなんて考えてなかったから、俺はとんだ間抜けだ。

鬼道くんは疑っては慎重に進んで気が緩んだかと思えば、振り返ってまた疑いだす。慎重に進んでいく。橋を何度も叩きながら歩いて行くのに、歩いて大丈夫だった後ろを見て、本当に丈夫なのかってもう一度叩き出す男だ。
影山の時だって、そうだ。悩んでは吹っ切ったようにして、でもやっぱり苛々して考え込んで、知らない間に吹っ切る。俺と佐久間は振り回されっ放しだった。自分の世界に入り込んで、執着して。しかも影山さんなんかは勝手に死んだから、余計に引きずって。分かり合ってから亡くなった事が、鬼道くんにとって救いだった、のかも。振り返るけど、後ろには微笑んだ影山さんが居たから。安心して進めた。
鬼道くんのその性質は、厄介だ。
もとを言うなら俺が鬼道くんを好きになってしまったのも、鬼道くんがネチネチしつこく疑っては信じて、突き放しては手繰り寄せてきて。そうしていく中で鬼道くんが俺の事を理解してしまったから。鬼道くんが俺を大事にしてしまったから。

鬼道有人ってのは、しつこい奴だ。

鳴り響く携帯電話。
一度手にとってしまったからには、もう電源を切ったりしちゃいけなかった。

初めに出てしまったのは、何でだろう。諦めような、俺たちなら大丈夫だって、なあ、今俺たちは友達だぜ。そんな慰めなんかなしで、通話を切って、しまえばよかったのか。
でもそんな事して鬼道くんが傷付かないか心配になって。
馬鹿だろ。
別れようって言ったとき、じゅうぶん傷付けたってのに。

通話状態にすると、堰を切ったように、鬼道くんの声が溢れてくるんだ。

「不動」
「俺は、嫌だ。嫌なんだ」
「お前が居ない未来なんて、絶対に嫌なんだ」
「どうして分かれなきゃならないんだ」
「愛してるのに。こんなに離れたくないのに。何でだ。どうして俺たちは」
「友達って。不動。友達って抱きしめられないんだぞ」
「明王」
「なあ。俺はお前が好きだ。ずっと好きなんだ。お前じゃない誰かと生きるなんて、嫌だ」
「明王。離れないでくれ」

「駄目だ」
「っ何で」
「鬼道くん。会社継ぎたいだろ。それで俺と一緒に居たいって言うなら、そりゃ単に我が侭だぜ」

駄々っ子みたいだ。心の中で呟く。融通利かないねぇ。
何でも手に入れる事は出来ないのは、分かってるだろ。

「…明王」

そんな震えた声出すなよ。

「なあ」

あ。俺も声、震えた。
ついでに俺の視界が潤んできて、ようやく俺も泣き出すのか、なんてぼんやりと考えた。かっこわりい。鬼道くんと話す時は、弱った所見せたらやばいぞって思ってたのに。付け入られらたら駄目なのに。
でも口は続ける。







「俺死んだ方がいいの?」







「っやめてくれ!!」

焦った大きな声に、思わず携帯電話を耳から遠ざける。ず、と鼻を鳴らして、少し落ち着いてから、もう一度口を開く。

「影山さんと分かり合えてから死んで、でも分かり合えたから鬼道くんは前に進めてんじゃん。俺と鬼道くんも、もう分かり合えてる。ここで俺が死んだらさあ、あんた、前に進めるような気がするんだ」
「ちが、…違う、明王」
「駄目だ。やっぱ駄目だった俺たち、最初から仲良くなんてしなけりゃ良かった」
「っ不動、不動、分かった、…不動」
「鬼道くん」
「もう止める、もう電話しない、もう会わない、諦められるまで、友達になれるまで、もう何もしない。だからそんな、…そんな事、言わないでくれ。止めてくれ。死ぬなんて、そんな」
「…鬼道くん」

こんな、携帯で話しててさ。
ぼっろぼろに号泣してるんだぜ。俺たち。馬鹿みたいに鼻すすってよ。声震わせながらよ。
馬鹿みたいだ。

いま俺、すっごい苦しいんだ。









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