玩具箱からの脱出



「君は勘違いをしているに過ぎないよ」

青年は、憮然と言った。心底馬鹿にしているような、全く興味などないといった口調だった。腹立たしさを感じてもいいはずだ。けれど言われた青年、この学園の生徒会長である男は憤慨することはなかった。俺様だと生徒どころか教師からも評価される男が、である。しかし彼は怒るどころではなかった。何か感情を抱く前に、彼はただ唖然としていた。
青年は、現生徒会副会長であり何年かぶりの外部生だ。入寮が絶対条件であるこの男子校は金のあり余った人間ばかりが集まる。自分の会社をいつか継ぐときのため、知り合いを増やしておきなさいと、似たような境遇のお坊ちゃんが寄り集められた学校。親は学園に教育を一任しており、初等部から同じ顔ぶれが通う。外部の、しかも家柄の良さなど関係もない庶民が入学するなどというのは、本当に滅多にないことだった。
彼は美しい男だった。栗色の柔らかな髪を涼しげに流し、切れ長の瞳と形のよい唇は温かい笑みを形作る。身長もそれなりにあり、何より性格が温厚。見目のよさもさることながら頭も、運動神経もよかった。いい男の典型のような人間。その容姿と波風立てない性格のおかげで、庶民といえど彼が理不尽な嫌がらせに悩むことはなかった。そのうえ、人気者の頂点のような生徒会にまで選ばれてしまうのだ。まさに異例のことだった。
俺様と名高い青年は口内に溜まった唾液を飲み下す。

「今、なんて」
「聞こえなかったはずがないよね。勘違いだと言ったんだ」
「俺の、先の発言がか」
「それ以外に何があるって」

鼻で笑われた音がした。会長は息苦しさに思わず俯いた。
副会長の人の良さは偽りのものだった。一年の頃から生徒会役員として側にいたからこそ分かる。笑顔は踏み込ませないため。いい人ぶれば面倒は起きない。しかし性格が悪いというわけではなかった。ただ、本当にただただ普通の高校生だっただけなのだ。それまで培ってきたある程度の処世術を発揮した結果が偽物のいい男。彼は進学のために選んだ学園に興味などなかった。そこに通う、家柄だけの生徒たちにも。
副会長は、普通の人。仕事をしなければという責任感はあるが、サボりも好き。漫画を意外と持っていて、月曜九時はドラマとお友達だ。苦手教科だってあるし努力も苦手だけれど成績が上がれば嬉しい。自分のせいで誰かがいじめられば、申し訳ないと思いながらも何もできない。ただその誰かから距離を取って、悔しさに涙を流す。
そんな彼を近くで見続けていた会長は、彼が好きだった。

「どうして」
「どうして、だって。面白いことを言うね。そもそも俺はノンケだと言っていたろう」
「っそこじゃない!」

好きだと告げた。フラれても構わなかった。いや、むしろフラれて当然だろう。この学園では同性愛がまかり通っているが、彼は外部生なのだ。異性愛しか知らなかった、外部生なのだ。いくら告白されても彼が断ることは、学園内の常識だった。
フラれることは構わなかった。諦めようと思っていた。男同士なんてありえない。そう突き放されてもよかった。どうせあと半年の付き合いだ、気まずさは否めないが、どうにかなる。
それが、どうだ。彼は勘違いだと言った。意を決して告げた気持ちを、どうでもよさそうに、勘違いだと。ここにきてようやく、視界が赤く染まった。

「ふざけんな! 何が勘違いだ、俺は真剣に、」
「真剣に?」
「……真剣に、お前のことが、好きで」

好きだった。その薄い体を何度抱き寄せたいと思っただろう。その唇を味わいたいと、指を嘗めたいと、足を絡めたいと、幾度願っただろう。
それを、勘違い。いくら何でも感情まで否定されるのは我慢ならない。

「お前にとっちゃ、同性なんて気色悪いだけかもしれない。友情の延長かもしれない。俺にとっては違う。好きなんだお前が。断るのはいい。だが間違いにするのは許せねぇ」
「……別に、間違いだとは言ってないさ」
「言ってるだろ!」
「勘違いだと言ったろ。君の感情は愛に近いものかもしれない。けど、勘違いだ。勘違いでなきゃならないんだよ」
「は」

ここで、やっと副会長は笑った。年下の親戚を見るような、しかたないなとでも思っていそうな苦笑だった。

「ねぇ、君達の世界は狭い。この学園は確かに、学校としては広いんだろ。でも世の中の広さに比べたら玩具箱みたいなものだね」
「……分かってる」
「分かってないから言ってるんだ。玩具箱にいても君は玩具じゃない。考えなければならないことがたくさんある。知らなければならないことがたくさんある。これから世の中に出て、さ」
「何が言いたいんだ」
「君は会社の後継ぎだ」

家。それはこの学園に通う大半の者にとっては絶対の存在。会長も例外ではなく、長男として次期社長の肩書を背負う彼は、その重さを理解していた。いや、理解しているつもりだっただけだと、栗色の髪を靡かせ青年は告げる。

「君、もし俺が告白に答えたらどうする? 俺も君が好きだって言ってたら、どうしようと思ってた?」
「どう、って」
「もしもの話だよ」
「……恋人になるんだから、キスして抱きしめて、……離さない。ずっと側にいる」
「それは学園での話だ。卒業してからは」
「卒、業」
「そう、卒業。君は副社長として経営の方法を叩き込まれるね。俺は大学に進学して医者を目指す。それで、どうする?」
「……」

卒業は、半年後に迫っていた。副会長である彼は既に志望校に内定をもらっていたし、会長である彼は親から帰って来いと言われていた。彼らの未来は決定的に分かれている。
恋心のみを頼りに気持ちを告げた生徒会長は、目の前の青年の言葉に唇を噛む。浅はかだった。気付かされないはずがなかった。

「玩具箱の中でのみ通ずるルールは、外の世界では異端とされるね。同性愛? まだまだ世間じゃ白眼視される存在だ。社長となる君が男に現を抜かしているだなんて、楽しいことこの上ないじゃあないか」
「……」
「ねぇ、君はこれからたくさんの人と出会うだろ。俺より綺麗な人、俺より頭のいい人、運動のできる人、優しい人。当然みんな、君の子供を身篭ることのできる女性だ。そんな人達を差し置いて俺だけを愛するなんて、許されると思うの」
「それ、は」
「君の気持ちだって分からない。ここを出て女性と触れ合ったら、あっさりと男なんて抱けなくなるかも。俺への気持ちも勘違いだったと、」
「勘違いじゃ、ない」
「……とにかく、そんな様子じゃ、男同士で恋愛なんてしたいと思えないね。異性間と違うんだ、きっと取り返しがつかない。それなら捨てられて悔しい思いする前に受け入れないのが適当だろ」

未来が分からないのに、恋愛などしたくない。異性同士ならばいいのかもしれない。別れたところで何も言われない。しかし同性に手を出すならば、一生ゲイセクシュアルだというレッテルと共に生きていかなければならないのだ。側に愛する相手がいるならまだ堪えられるだろう。けれど、別れるのならば。
簡単な気持ちで好きだなんて言うな。青年は厳しい目をして告げる。同性というのはそれだけで覚悟を有することなのだ。それを分かっているか、その覚悟が、あるか。
息を吸い込む音がする。かつりという足音の後、副会長である男の細い肩が、強く捕まれた。筋張った、男の手だった。

「好きなんだ」
「ちょ、」
「それでも好きなんだよ、お前が」
「……」
「先のことは分からん。だが、ともかく今は、お前のことが好きで好きで眠れもしないんだ」
「……」
「それじゃ、駄目なのか」
「……君は、」

君は、馬鹿だ。
諦めを含んだ声音は、けれど拒絶を意味してはいない。ミルクティー色をした瞳が揺らぐのを、会長は陶然とした心地で眺める。副会長は普通の人だ。こんなにも感情をぶつけられ、縋り付かれて、突き放せはしない。普通に、ごくごく一般的に優しい。それを知っているのは、きっと彼の親友でもあった会長だけなのだろう。
優しさに付け込む。最低だと誰に罵られても構わない。それより彼をここで手放してしまうことの方が恐ろしかった。
副会長の顔からは、また笑みが消えていた。どこか冷たいそれが素の表情であるということも、親友であった男は知っている。

「三年だ」

三年。口の中で呟いた様子を捕らえたのか、副会長はこくりと頷く。

「卒業してから三年、時間をあげるよ。多くの人と出会い、接し、よく考えるといい。それで」
「それで」
「……それでも俺がいいっていうんなら、こっちとしても考えてやらないこともないさ」
「俺のものに、なってくれるのかっ?」
「そうは言ってない。あくまで考える、だよ。検討します、善処します。そういうこと」
「構うものか。最高の気分だ」

細い肢体を抱き寄せようとした不埒な腕は、思い切り抓られることで振り払われる。友情として以上の接触は許さないのだと細められる瞳が告げているようだ。いつか一つの会社をその背に背負うこととなる男は、久々に声をあげて笑った。ひどく愉快で幸福な気分だった。

「絶対、手に入れる」
「よく言う。君は必ず好きな人ができるよ、俺以外の。そうしたら俺も可愛い彼女を作ってダブルデートをするんだ。結婚式の仲人は引き受けてくれる?」
「冗談。そんな不愉快なもの、誰が引き受けるか。お前に愛を誓う言葉なら喜んで言わせてもらうがな」
「俺は、君に誓う愛なぞ持ち合わせていないさ」

つれない言葉に再度伸ばした腕。長いそれをするりと避け、美しい男は扉を抜けて行った。不満げな表情に笑顔を向けて。

「……は」

愉快なのはこっちの方だ。告白を一蹴した青年は、扉にもたれ掛かり笑う。
あの高慢な男は、きっと期待させるだけさせて、結局どこかへ行ってしまうのだ。やっぱり勘違いだったと苦笑して、いつか親友面を被って自分の隣に立つのだ。それを青年は予感していた。これくらいの年齢での恋などその程度だと、よく分かっていた。そのつもりだった。

「……勘違いじゃなきゃ、いいのにな」

捕まれた肩が熱い。頬も熱い胸も熱い。避けることなく、本当は抱きしめてほしかった。けれどそんなことをしたら、一度触れることを知ってしまったら離れられなくなることは必須だ。それだけは避けなければならなかった。何より自分が堪えられない。愛されることを知ってなお、親友面はできない。
三年。想いは薄れるのか否か。期待と切なさの異なった溜め息を吐く二人の青年は、それぞれの未来へ思いを馳せた。





END.


[*prev] [next#]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -