鍵をかけたらおやすみ

NL含





傷が痛むのは、死なないためだ。痛いと感じることができるから死を免れる。危険を遠ざけることができる。そうして生き残ってきたのだろう、人間も、また。
ならばたぶん、私はこの人につけられた傷によって淘汰されるのだ。

「今夜、彼女が訪ねてくるそうだから」

そうなんということもなしに告げられた言葉に、また傷を得る。私はすっと笑みを作り、軽く首を傾げた。

「かしこまりました。何時ころにお着きになるのでしょう?」
「さあ……。また後で確認して知らせるな」
「はい。あのお方は食べ物は何がお好きでしょうか」
「食事は済ませてくるらしいから気にせずともいいよ。お茶だけ用意してくれるか」
「はい」

満足げに微笑んで、主人はコーヒーを啜るのを再開させる。朝には随分とゆっくり時間をかけてコーヒーを楽しむこの人が、実はただ猫舌なだけであるのを、多くの人は知らない。
睡眠が大好きだから、朝もぎりぎりまで眠っていたいと思っていることや、ブラックを好みそうな顔をしているのに砂糖をティースプーン三倍も入れること。卵は半熟でなければ嫌がるし意外と好き嫌いが多い。
彼の幼少期からずっと共にいる私だけが知っていることだ。そしてきっと、これから彼女も知ることになるだろうことだ。

「彼女はこちらに越してくることになるのだけど、あちらも数人アンドロイドを連れて来たいと言っていたよ。うちにいるのはお前だけだし、彼らの指揮はお前に任せても構わないかな?」

主人は、何か楽しそうに話している。私が彼の言葉を一言一句聞き逃すことなどないことを知っているからだ。だから私はその低い声音に耳を傾けるし、彼の望む返事はどんな内容のものであろうとすぐにすることにしている。

「ええ、もちろんです。あちらの家のアンドロイドならさぞ優秀なのでしょうね」
「らしいね。最新型ばかりだそうだ。お前の型番を教えたら驚いていたよ、けれどぜひ会って話をしたいと。お前、変なことを言うなよ?」
「幼少期の旦那様をよぉく知っているのは私くらいですからね、話題には困らないでしょう」
「おいおい、勘弁してくれ。まあ、彼女もお前が俺の育ての親替わりだから挨拶をしたいというのもあるんだろうな」

くすくすと笑う主人。揺れる肩は、過去の記録よりもずっと大きい。
彼が言葉を覚え始めてくらいの頃、彼のご両親は病死された。私を使用人として買ってくださった心優しいご夫婦で、大変な資産家であった。主人には両親以外に親戚はおらず、金を狙った赤の他人が幼い主人をかどわかそうと何人もすり寄ってきた。私はそれらをすべて排除し、彼をこれまでずっと育ててきたのだ。
会社をご夫婦が信頼できると仰っていた人に任せ、遺産はきちんと管理し、ずっとそばで大切にお育てした主人。会社も遺産も正式に相続してからも、家に私以外を置こうとはしなかった主人。その主人が、この春に、結婚する。

「式の準備は進んでおりますか」
「そこそこにはな。こだわりは向こうの方があるだろうから、俺はうんうんと頷くだけだよ」
「しっかりお話合いしてくださいね。一生に一度のことなんですから」
「分かってるよ。大丈夫」

主人は幸福そうであった。血の繋がった親族をずっと持ってこなかった主人の、何十年ぶりの家族。嬉しいだろう、楽しみだろう。ご両親に似て心の優しい方だから、きっと温かな家庭を築けるはずだ、そう、確信している。
それは私にとってもまた喜びであるはずだった。
主人は、私の全てなのだ。私の中にプログラミングされた守るべき人間は彼ただ一人。ご両親が彼をあいしたように、私もまた、彼をあいするかのように守ってきた。

「式の日が楽しみですね」

アンドロイドは死なない。そもそも生きていないのだから死にようがない。けれど私は、そう遠くない未来に死を迎えるだろう。
私は、彼に殺されるのだ。

「ああ。はやく春になればいいな」

傷が痛むのは、死なないため。
私がつけられた傷は死に至るほどのもので、いっそ死んでしまいたいと思うほどに痛いもので、けれど私は決してその傷の大元から逃れようとはしなかった。痛みから逃げることを忘れた私は、野生生物として失格だった。飼いならされた家畜だった。もう外界に放り出されて生きていられるほどに強くはなくなってしまったのだ。
主人は、私に傷をつける。その言葉で、表情で、態度で、私を傷付けて傷つけてボロボロに破壊しつくす。私は痛みに耐えて、耐えて、それでも主人から与えられる餌を求めて彼から離れることはない。――なかったのだ。
彼が、結婚を決めるまでは。傷の痛みが餌から得る安らぎを、上回ってしまうまでは。
近づいても近づいても腹が膨れない。近づいたら近付いた分だけ痛みが増す。いつからか、主人の傍らに立つことは苦しみとなり葛藤となり、私は激痛の中で死を思った。安らかな死を思った。アンドロイドには与えられない、解放の死を思った。
コーヒーを飲み終えて、主人はいつものとおり上着を羽織った。時計は普段家を出る時間ちょうどを指している。家の前には、やはりいつもの通り迎えの車が主人を待っていることだろう。
にこりと笑う表情も、幼いころから何も変わらないというのに。

「じゃあ行ってくるな」
「お気をつけて」
「ああ。今夜が楽しみだよ、お前にあの人を紹介するのがさ」
「私もです」

玄関まで主人を見送り、テーブルへ戻った。残されたカップの底に、砂糖が少し残っていた。
カップの飲み口に、最初で最後の口づけをした。味は分からないけれど、きっと甘いのだろう。その甘さに隠された毒に気付いたうえで、私はコーヒーのカップを空けつづけてきたのだ、何杯も、何杯も、何杯も。
今日、私は死のう。私の中の不埒で下品で美しい彼への崇拝を、すべて殺してしまおう。致命傷を与えたのが主人であるのならば、とどめは自分で刺したいものだ。
目を閉じる。この何十年の間に蓄積された人間じみた感情のようなものだけ扉を閉めていく。アンドロイドはアンドロイドらしく、生きてもおらず死んでもおらず、ただ彼を守ればそれでいい。傍らに立ち、言葉を交わし、幸福な彼を見守るだけで、いい。
最期にちくりと傷が痛み、死が見えた。腹はやはり満たされなかった。





END.

2014/05/27

アンドロイドである意味とは


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