いい子の内緒事 僕の全ては嘘でできている。 昔から、よくできた子ねなんて言われて生きてきた。勉強は授業を聞くだけで理解できたし、運動神経も悪くないのでコツを掴めばさほど苦労せずに活躍できた。大人にたいする反抗心なんてものもないので言われたとおりに動いてきたし、そもそも両親は僕のことは好きにさせている。 いい子ね。誰もが満足そうに言った。あなたと比べてうちの子なんて。あなたみたいな子どもが欲しかったわ。言いながら、その目は冷え切っていた。 僕はいい子だ。だから、いい子であるためには何の犠牲もいとわない。いい子は楽だから。手のかからないままでいれば、誰も気にとめないのだから。 だから、僕は嘘を吐く。僕の生きやすいように生きるために。 お邪魔しますと頭を下げると、そんなにかしこまらなくていいのにと笑われた。目じりに笑い皺が浮かんでいる。いらっしゃいという低い声が心地よくて、僕は腕を引かれながらいつまでも耳を傾けた。 「父さん、今日仕事休みなんだって」 僕の腕を離しながら、彼が溜め息を吐いた。心底億劫そうな言い方だ。けれど残念なことに、彼の父親が家にいるということは僕は初めから知っている。あの人がいるときにだけここを訪れているのだから当然のことだった。 彼の部屋はとても雑然としている。漫画本がたくさん置いてあって、僕にはよくわからないフィギュアのようなものが飾ってある。ゲームの種類も豊富で、彼はすぐさま、いつもと同じ対戦ゲームをしないかと誘ってきた。 彼は僕の友人だ。少なくとも、彼はそう思っている。 何度か対戦して、そのうちに僕ばかりが勝つようになっていった。彼はつまらなさそうに、別のゲームにしようかと言った。元来器用な僕は、何度かプレイすればゲームも簡単に強くなれる。 がさごそとソフトを探しているうちに、扉がノックされた。彼が返事をするより前に扉は開いて、あの人が嬉しげに顔を覗かせる。 「ジュース持ってきたよ」 「勝手に入ってくんなよ! 自分で取りに行くからいいって」 「だって、全然降りてこないから……。ゲームしてるの? 父さんも見てちゃダメかい?」 「ダメに決まってるじゃんか。早く下行ってよ」 父と子の口げんか。思春期まっただ中の彼の言葉に、あの人は渋々と扉の向こうに姿を消した。僕の手にオレンジジュースを残して。 本当、面倒くさい。 彼がぽつりと零した。その声に疲れこそ見えたけれど、嫌悪などは感じられなかった。 彼だって、父親のことが憎いわけではないんだろう。父一人子一人で暮らしてきたのだ。しかも彼は気が弱いところがあって、僕と話すようになるまでは友人の一人もなく、教室の隅で本を開いているような生徒だった。そんな彼に気をつかって、大切にしてくれたんだろう父親の存在は、彼にとってきっと心強いものだったに違いない。 ただ、高校生にもなると父親なんてものは疎ましくなるものだ。僕だって、好む好まざるにかかわらず父親の顔なんてたいして見る機会もないけれど、特別言葉を交わしたいなんて思わない。彼が父親と少し距離を置きたいと思う気持ちもよくわかる。 「ねえ、次はこれをしよう」 カーレースのソフトを手に持って、彼が笑いかけてきた。僕はいかにも物わかりのいい友人を装って、楽しそうだななんて笑う。 その、喉笛を、掻き切ってやりたいなんて思いながら。 「あ、お手洗い借りていいかな」 またいくつかのコースをプレイしたところで、彼に声をかけた。まだ僕が慣れないうちだからか、今のところ勝ち越している彼は、上機嫌にどうぞと言ってくれる。 僕は笑いながら扉に手をかけた。廊下は少し寒い。ばたんと閉めて、小さく溜め息を吐き出した。 なんて、面倒くさい。 遠回りで、もどかしくて、何の楽しみもない。彼の相手はつかれるだけだ。できることなら早く帰りたい。用事を済ませたならば、すぐにでもお暇しよう。 表情にも出すことなく内心で吐きだして、廊下を進む。この家のお手洗いの場所は覚えている。リビングを抜けて、その奥。あの人のいるであろうリビングを抜けた、奥。 「あ、城戸くん」 わざとらしくない程度に足音をたてて階段を降り、リビングに接する壁に手をついた。 案の定あの人はひょっこりと顔を出してくれて、うれしそうに僕の名前を呼んだ。この人に呼ばれるだけで、ただの名字だというのに何か大切な意味のある名前に思えてくるから不思議だ。僕以外の城戸なんてこの世に存在しなければいいのにと思えてきてしまうくらい。 僕はにっこりと微笑んで、優等生の顔をしてみせる。ほっと息を吐いて、相手もまたにこにこと笑ってくれる。 この人の、柔らかな笑顔が好きだ。お日様にたっぷりあてたふかふかの布団を思わせる、心地の良い笑顔。こっちまで、いい子の仮面もすべて放り捨てて子どもみたいに笑ってしまいそうなそんな表情だ。僕の両親やその他大人、クラスメイトの誰も持ち合わせていなかったふわふわ。 僕は、この人が好きだ。クラスメイトの父親で、昔に亡くした奥さんのことをいまだに忘れられないこの人のことが、欲しくて、欲しくて、夜中に泣けてきてしまうくらいに好きだ。 僕の目は、優等生でいるだろうか。恋を宿らせて、この人のことを焼き尽くしてしまうことのないよう、きちんと気持ちを隠せているだろうか。この人の息子の友人の顔になっているだろうか? 「あの子と仲良くしてくれてありがとね」 低音が僕に向けられる。息子のことを大切にしているこの人は、その友人である僕にまで親切だ。その親切に応えるように、僕もまた、この人の息子に親切にする。 「感謝されるようなことはしていませんよ。友人ですから、当然のことしかしてません」 「そう、だよね。でもあの子、城戸くんと仲良くなってから本当に毎日楽しそうなんだ。こうして家に遊びに来るような友人はほとんどいなかったし……。おっと、今のはあの子には内緒ね。また余計なこと言ってって怒られちゃう」 「ええ、ないしょ」 目を合わせて、くすくすと笑い合った。すました顔でいることなんてできなくて、本当に久々に心から笑った。この人の前でだけ、僕は心穏やかにしていられる。呼吸がしやすい。何を警戒するでもない。この人といる限り、僕は何も恐ろしいと感じないのだ。 「これからも仲良くしてあげてね」 「もちろん」 頭を下げて、階段を上っていく。背中に視線を感じる。息子の頼もしい友人として、信頼をもって僕を見ている、あの人が。 なんておかしいんだろう。笑いだしそうになって必死に我慢した。 僕はいい子だ。いい子だから、クラスで孤立している生徒に声だってかける。その子と親しくなって、家に招かれたならば、訪ねるのも吝かじゃない。でも、だから、そこで出会ってしまったりするんだ。人生で初めて、恋しいと思う人に。 出会ってしまったらもう、いい子でなんていられない。 たいして好意を持っていたわけでもない生徒とそれまで以上に親しく接して、家に呼ばれるようにしてみたり。退屈なゲームを抜け出して、僕の運命に会いに行ってしまったり。ついには、彼に僕とあの人との逢瀬の邪魔をされているなんて思いはじめたりしてしまう。 彼さえいなければ、あの人ともっと一緒にいられるのに、なんて思う。あの人の大切な子どもだから決してそんなこと口に出して言わないけれど、もうずっと、思っている。 僕はずっと、嘘をついている。いい子という嘘。そして、彼の父親に会うために彼と友人をしているのだ。 「遅かったね」 「うん、ちょっとね」 声をかけられて、何気なく返事をした。隣に座って、コントローラーを手に持った。いつ、そろそろお暇するよと切り出そうか、考えながら。 ずっと、楽しみにしている。息子の友人である優等生から求められて、どうしたらいいか分からなくなるあの人の姿を。いつか必ず、僕のものにしてみせるのだと、楽しみにしている。 そのときの僕がいい子であろうとなかろうと、もはやそんなことどうでもいいのだ。 END. 2014/05/27 |