2015年7月20日をもちまして、文藝屋「翆」は創立4周年を迎えました。
日々のご愛顧、誠に感謝申し上げます。
これからもよりよい文芸サイトを目指して運営していく所存です。
どうぞ末永くよろしくお願いいたします。
●創立記念企画●
「戦後70年に寄せて」
校長の話は短い方がいい
●店長挨拶
●黒曜石翡翠
副店長の話が長いので。
4周年を迎えました。10万ヒットです。年間に25000人もの方が見に来てくださっているということですね。運営としてはうれしい限りです。感想をいただける機会も増えてうれしい限りです(僕の所にはまだ来ておりませんが)
さて、校長先生は話が短ければ短いほど好かれるといいます。なぜ偉い人は話が長いのでしょうか。
教えて偉い人!
誰かのために死にたい。
●副店長挨拶
●灯火野
4週間の教育実習を終えた。学級活動の時間の半分を貰って、受け持ちのクラスの子たち向けの自由質問タイムを設けた。大学に関すること、母校に関すること、私に関すること……とにかくなんでも質問していいよ、という時間だ。
ある生徒が手を挙げた。
「先生の座右の銘って、なんですか?」
その、たった一言で、生まれてこのかたちゃんとした座右の銘を心に据えて生きたことがないことに気づかされた。色々考えながら生きているつもりではいる。でも、簡潔に言葉にしようとしたことがなかった。少し時間を貰って私は考えた。
幸いにも、言葉を探すのは苦手じゃなかった。
「座右の銘は、『誰かのために死にたい』です」
一言とともにチャイムの音が教室に鳴り響いた。質問タイムは終わった。
誤解を招かなかっただろうか。
他人のために命を抛つような生き方は、一見美しく見えるかもしれないけど私はそれは愚かだと思う。そして私はそんな生き方を若い彼らに勧めたかったわけではない。
実習最終日、生徒が私の周りに集まって感謝の気持ちを綴った手紙をプレゼントしてくれた。クラスを代表して級長が述べる。
「僕も、先生のように『誰かのために死にたい』です」
嬉しかった。でも、言い直さずにはいられなかった。
「『誰かのために死ぬ』っていうことは『誰かのために生きる』ということですよ」
伝わったかなあ。大事なときに正しい言葉は出てきてくれない。
『誰かのために死ぬ』、その心は。
命の灯が消えかかるその瞬間まで誰かのために生きるということ。
いつどこで終わるか分からない命の旅路を、誰かのために歩きたいということ。
本当は正しく伝えたかった。
でも生徒たちはきっと彼らなりに私の言葉を消化して、生きるということを見つめてくれるに違いない。
文藝屋4周年に関わらず、関係のない話を長々としてしまった。
4年間、誰のために文藝屋という場所があるのだろう。記念日を重ねるたびに考える。
少なくとも私1人だけの場所ではない。運営する我々2人だけの場所でもない。
ひとときもそのことを忘れずに運営を続けていけたらと思う。