馬鹿馬鹿しい。
 ペンライトの仄かな明かりを頼りに夜の山道を進む田村仁美(たむらひとみ)は、今にでもはち切れんばかりの憤怒と侮蔑と自己嫌悪をその心中で持て余していた。

 膨れ上がったこれら負の感情の要因は、おおよそ1時間前に遡る。
 放課後に立ち寄った、ある友人の家。
 表向きは仁美を含む学校の仲良しグループでのテスト勉強会だった訳だが、生真面目に勉学に勤しむ者などあの場には皆無で、実際の所はただの女子会だった。

 そんな女子会の最中に、予想だにしないちょっとした事件が起こった。
 友人の1人が酔った勢いからか、買って来たシュークリームを使ってゲームをしようと仁美達に持ち掛けて来たのだ。
 提示されたゲームはいわゆるロシアンルーレットと呼ばれる類のもので、ランダムに山葵を注入したシュークリームを選んで食べてしまった者が負けとなり、更には罰ゲームまで課せられるという内容だった。

 正直、下らないと思った。けれど、盛り上がった場の空気を汲んで仁美も仕方なく付き合う事にした。そして、負けた。
 と、そこまではまだ辛うじて仁美の許容範囲内だった。しかしーー罰ゲームの全貌を聞かされるや否や、彼女は余りの衝撃に二の句が告げなくなってしまった。
 酔った友人はちまたで有名なとある心霊スポットに赴き、その証拠として写真を撮って来いと仁美に要求してきたのだ。

 お前は馬鹿か。そう言い掛けたものの、本当に口にしてまえば今後の円滑な学校生活に支障をきたす結果となり兼ねない。故に仁美は当たり障りのない程度に言葉を選び、やんわりと拒否する意向を固めた。
 仁美は作り笑いを湛え、主張した。
 幽霊などという非科学的なものが実在するとは、自分にはとても思えないと。この時間帯では寧ろ、変質者に狙われる可能性の方がずっと心配だと。

 だが、事は仁美の思惑通りには運ばなかった。至極真っ当な筈の彼女の訴えは、友人達には受け入れられなかったのだ。
 いや、受け入れられなかったどころの話ではない。友人達はあろう事か、皆一様に仁美を嘲笑ったのである。
 本当は怖いんだろうだの、根性が足りないだのといった定型文が仁美に向けて一斉に放たれた。理不尽にも程がある。

 とはいえ、最終的には折れてこうしてここまで来てしまった自分も相当な間抜けだと思う。自分は一体、良い歳をして何をしているのかと情けない気持ちになる。
 ポニーテールの髪とセーラー服のスカートが、草木と共に夜の微風になびく。
 まともな塗装もガードレールの設置も施されていない山道を暫し突き進むと、目的地は直ぐに見えてきた。

 深い森。心霊スポットとしては、廃墟と並んでお約束の場所と言えるだろう。
 幽霊なんていない。知っている。だから仁美は、傲然と歩き続けた。あるものを、見付けてしまうまでは。

「!」

 仁美の持つペンライトが、闇の中に溶け込む様にして立つ1つの人影を捉えた。
 流石にぎょっとして双眸を見開き、思わず足を止める仁美。彼女は恐る恐る目を凝らし、人影の正体を探った。
 人影は幸いな事に、仁美が危惧する様な変質者とは程遠い外見をしていた。
 人影の正体は、1人の少女だった。
 肩よりも少し高い位置で切り揃えられた艶やかな黒髪と、憎たらしいほど整った顔立ちが嫌でも目に留まる。隣町の私立高校のブレザーを着ている点から、年齢は仁美とほぼ変わらない事が推測出来た。

 闇の中に佇んでいた少女が、仁美の存在に気付いてこちらを振り向いた。
 目の前の少女に、表情らしい表情はない。それはそれで少々不気味ではあったものの、仁美はほっと胸を撫で下ろした。
 けれど、同時に沸々とした怒りも込み上げて来る。よくも驚かせてくれたなという、身勝手は承知の上の怒りだ。

「……誰よ、あんた」
「堀江都子(ほりえみやこ)」

 不機嫌も露わに問う仁美に、少女こと都子は酷くあっさりと自らの名を明かした。

「何やってる訳? こんなとこで」

 自分を棚に上げ、仁美は続けて問う。

「少し違うけど、見張りの様なものよ」

 都子が、淡々と答えを吐き出す。

「見張り? あんたみたいなのが?」
「ええ」

 都子の挙動に、変化はない。

「一応、言っておくわ。この先には、立ち入らない方が良い」
「はあ? あんたには、関係ないでしょ」
「そうね。関係ないわ」

 無表情のまま、都子はすんなり認める。

「でも、この先は呪詛の聖地。一般常識は勿論、如何なる決まり事も通用しない」
「? 意味不明なんだけど」
「無理に、とは言わないわ。私の役目は飽くまで忠告であって、制止ではないから」
「……」

 心底、意味が分からない。らちが明かない。仁美は短く思考を巡らせた末に、都子を無視してつかつかと歩みを再開した。
 都子が擦れ違いざまに1度だけ、仁美の方を見た気がした。


 * *


 森の内部に漂うのは、確かに心霊スポットと呼ぶに相応しい淀んだ空気だった。
 気味が悪い。幽霊をまるで信じていない仁美でさえ、言い知れぬ不快感を抱かざるを得ない程度には。
 仁美は幽霊以外のものを警戒しつつ、疲労が始まった足を動かして行く。

「もう、マジで帰りたいんだけど……」

 適当な場所で写真を撮って、さっさと撤退してしまおう。無数の杉の木で覆われた森を進みながら、仁美は決意する。
 その時だった。

 カン……! カン……ッ!

 突如として聴覚を刺激した鈍い音に、仁美は不覚にも文字通り飛び上がった。

「な、何……?」

 若干顔を引きつらせ、呟く仁美。無論、答える者はいない。

 カン……ッ! ガン……!

 進めば進むほど大きくなっていく出所不明の音は、錆びた金属同士がぶつかり合う際に生じるものと酷似していた。
 やがて、仁美の歩みが止まる。

「……あ……」

 ようやく出て来た自分の声が、掠れている。一瞬にして凍り付いた全身から、大量の冷や汗が吹き出すのが分かった。余す所なく、一斉に鳥肌が立つのが分かった。
 仁美の視界を埋め尽くす光景は、にわかには信じ難いものだった。
 白装束を身に纏った年齢もばらばらな女の集団が、数多の杉の木を背景に立っていた。右手には金槌、左手には釘の刺さった小さな人形を握り締めて。

 ガン……! ガン……ッ!

 女達が手にした人形が藁人形である事は、ペンライトの助けで直ぐに把握出来た。だから、仁美は理解してしまった。彼女達が今ここで、何をしているのかを。

「嘘……こんな事って……」

 藁人形の腹部に釘で打ち付けられた、人間の顔が映った写真。同じく、人間の名前が書かれた白い紙。オカルトが嫌いで、オカルトの知識に乏しい仁美でもこれらの意味する所くらいは知っている。
 ぴたりと、音が止んだ。狂った様に藁人形を虐げ続けていた女達の手が、全くの同時に停止したのだ。

 おぞましい沈黙。しかし、それも所詮は束の間の出来事でしかなかった。
 白装束の女達が皆、全くの同時に振り返ったのだ。呆然とこの場に立ち尽くし、動く事すらままらなくなった仁美を。

「うっ……!」

 鬼の様な形相をした白装束の女集団に見据えられた仁美の心は、いとも容易く決壊した。自分の口から発せられたとは思えない、声にならない声が森中に木霊した。
 絶叫した。泣き叫んだ。
 怖かった。怖くて怖くて、堪らなかった。逃げ出したかった。でも、駄目だった。完全に竦んだ足が、言う事を聞かない。聞いてくれないのだ。
 仁美はとうとう腰を抜かし、ペンライトとバッグを冷たい土の上に取り落とした。

「見たな」

 鬼の形相をした女の1人が、鬼の様な恐ろしい声音で言った。

「見たな」

 今度は、別の女が言った。

「見たな」

 更に、別の女が言った。
 女達は1歩、また1歩と仁美の元に近付いて来る。その間も、仁美は動けない。

「い、嫌……やめて……お願い……」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにして、仁美は必死に許しを請うた。

「見たな。お前、いけない子」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 仁美は謝った。何度も何度も、謝罪の言葉を連呼した。謝るしか、なかった。
 すると、ここで新たな異変が起こる。
 仁美の直ぐ目前まで迫った位置で1人の女が立ち止まり、連鎖する様に他の女達もが歩みを止めたのだ。
 許して貰えたのだろうか。ほんの僅かな希望を支えに、仁美は女達を見た。だが、女達は既に仁美など見てはいなかった。

 意識の外で女達の視線を追った仁美は、涙で歪んだ視界にある『物』を収めた。
 土の上に落下した、通学用のバッグ。どうやら、ファスナーを閉め忘れていたらしい。バッグの中からは筆記用具や教科書類に加え、1枚の学生証が飛び出していた。

「タムラ、ヒトミ」

 躊躇う事なく、女の1人が学生証に細く血色の悪い手を伸ばした。学生証には、当然ながら仁美の名前や顔写真がーー。

「……ひっ!」

 女達の意図に思い至った仁美は、絶望の底に突き落とされる事となった。

「タムラヒトミ、タムラヒトミ、タムラヒトミ、タムラヒトミ……」

 呪文の様に、口を揃えて繰り返す女達。彼女達の顔は間もなく、怖気が走るほどに邪悪で醜悪な笑みに彩られた。
 学生証を手にした女がゆっくりと懐から取り出したのは、藁人形だった。まだ写真も何もない、真新しい藁人形である。

「お願い! 許して! なんでもするから、許して! お願いします!」

 仁美の訴えに、返答はない。
 新しい藁人形に、仁美の学生証が宛てがわれる。女はこれを杉の木と釘の先端で固定し、無慈悲にも金槌を振り上げた。

「タムラ、ヒトミ!」

 金槌に打たれた釘が、学生証と一緒に藁人形の腹部に音を立ててめり込んだ。

「ごぼっ!」

 おおよそ人間の発したものとは考え難い悲鳴を伴い、仁美の口内から大量の鮮血が飛沫となって吐き出された。

 ガツン……! ガツン……ッ!

 痛い。熱い。苦しい。横倒れになった身体のあちこちが、凄まじい熱に苛まれる。
 けれど、その熱もやがては鎮火を遂げ残されたのは、冷たい暗闇だけ。

『この先は呪詛の聖地。一般常識は勿論、如何なる決まり事も通用しない』

 都子の言葉の意味に、仁美はようやく思い至った。遅過ぎる、後悔の念と共に。


 * *


 呪いの藁人形は、幾つもの決まり事を厳守した上で成立する儀式の1つである。
 そう、本来ならば。しかし、あの森は違う。あの森だけは、違うのだ。

「……だから、言ったのに」

 雲1つ見当たらない夜空を無表情に見上げながら、都子は誰にでもなく言った。


 * *


 全国各地で相次いで発見された数多の遺体は、いずれも極めて凄惨かつ人間の認識と常識を超越した状況下にあった。
 発見された全ての遺体には頭の先から足の先までびっしりと筒上の穴が開けられていて、今まで人間の遺体を何度も鑑定してきた立場にいる者達さえをも震撼させた。
 けれど、最も多くの謎を生んだのは田村仁美という女子高生の遺体。並びに、殺害現場となった深い森の奥だった。

 仁美の遺体の周辺には彼女の持ち物の他におびただしい数の藁人形が残されていた上に、それらはいずれも遺体と変わらず全身が穴だらけだったと報じられたのだから、世界中で数々の憶測が飛び交った。
 事件から早くも数日が経過した、本日。未だに犯人や凶器の行方は分かっておらず、捜査は難航を極めている。


‐終‐
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