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男性は、やっぱり出来損ないのような微笑を浮かべて、ゆっくりと、確かな発音で、繰り返した。
「信じる僕らの会。……だから、信僕会」
解ったかな?と男性は指で煙草をくるくると回しながらぼくへ訊く。
ぼくはと言えば、間抜け面で口をぱくぱくするばかり。
「サークルですらない、同好会のようなものだから……正式な入部届けというのはないんだけれど」
男性は中途半端に撫でつけた頭を掻いた。そのたびにはらはらと零れる髪のせいか、どこかアンニュイな雰囲気だ。相変わらず声の調子はくたびれているし。
ふと彼が僕の手元を見る。漏れる吐息が笑い声だと気付くのに数秒。
――ぼくの両手はカバンのベルトをぎっちりと握り締めていた。
「ぅわあ! や、あの、別に怖いとかじゃなくてですね……!」
思わずホールドアップした両手は見事に真っ赤っ赤。これではどんな言い訳したところで無理だ! ぼくは瞬時に悟った。
「きっ、ききき緊張してて!」
「入部届けはないけれど」
ぼくの繕いは華麗にスルーされ、男性は続きを口にする。
「君が入部したいと思ったなら、またここに来るといい。今日はみんな出払っているけど、普段は誰かしらいるから」
いえ誰も入部したいなんて一言も言ってません!
後退る背中に当たったのがドアノブだと察するやいなや、
「しっ、失礼しました!」
それだけを言い置いてぼくは退室する。
なんだろう、これ。
ぼくは何でここに来たんだっけ?
もしかしたらぼくが訪れたのは、俗に言う「近づいちゃいけないナニか」だったのかもしれない。うん。君子危うきに近寄らず。そう。別に君子じゃないけど。
混乱の治まらない頭を数回振る。余計こんがらがっただけだったけれど、ふとある物が目にとまって、ぼくは一気に冷静になった。
――バラバラリコーダーの植木鉢。
隣にさっきは気がつかなかった付属物がある。
『四月用』
プレートにはそう書かれてあった。
「”用”って……」
道具だったのか、これ。
釈然としないものを感じながら、ぼくは人気のない廊下を戻る。外はまだ喧噪の渦。海鳴りのようなざわめきに耳を傾けて、ぼくはもう一度あの部屋を振り返った。
信じる僕らの会。
究極に意味不明。
だけど――
これまでとは違う毎日に出会えるんじゃないか、なんて。
そんなありふれた願望が、ぼくを突き動かしたんだ。
いつもと変わらぬ日々からの脱却。始まりの日くらいは、そんな陳腐な夢を見ても許されると思いたい。
「信じる僕らの会」って、一体何を信じるんだか。
……とりあえずは、自らあの部屋へ行ったぼく自身を、信じてみようか、とか。思ったりして。
誰もいない踊り場で、ぼくは人知れず拳を握り締める。大きく深呼吸して、また歩き出す。
今度は、もう一度、自分の手で、始まりのドアを開けられるように。
Fin.