花火咲く、君の旋律


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「どうでもいいけどさ。あんたどいてくんない? 気が散る」

 このうえなく怠そうに言う王子は、あたしの方など見向きもしない。
 あたしはゆっくりと後ずさりながら、

「音奏者なの?」

 尋ねた。
 返ってくる台詞はあまりにも素っ気なく、そして冷たかった。

「だから何?」

 睨むように見つめるその先で、白い指が鍵盤の上を遊ぶ。
 王子はあたしの視線を察したのか、呆れ気味に言葉をついだ。

「あんた、音奏者嫌いなんだ。ノーマル?」
「どうだっていいでしょ」
「ああ、どうだっていい」

 さらりと返されて、あたしは返答に窮した。
 王子は相変わらず鍵盤だけを見据えたまま、

「今の俺にはどうでもいい。――さて、仕事の時間だ」

 鍵盤に両手を添える。
 ――仕事?
 こんな野外で、ピアノの音なんて響かないのに。
 首をひねるあたしに向かって、王子はそれはそれは自信満々にこう言ったのだ。

「あんたに、『とっておき』の花火を見せてやるよ」

 そして優しく、だけど力強く鍵盤を叩き始めた。


 それは、確かに花火だった。
 一音一音、彼の指が鍵を叩くと同時に織られる旋律。
 一音一音、それが解放の合図のように天へ翔ける光の花。
 キーが変われば花の種類が。
 テンポが変われば色合いが。
 強弱が変われば花の大きさが。
 すべてが共鳴し合って夜空一面、花畑に塗り替えた。
 星々を隠して、藍染めの空に虹の花が咲く。軽やかに、舞うように。
 音の余韻が花びらとなって降り注ぐ。あっちにも。こっちにも。

「あんたさぁ、本当は音奏者になりたかったんじゃないの?」

 花降る川辺に、王子の声が響く。
 その声音すらも、蝶となって天の花畑へ羽ばたいていった。

「……あたしが? なんで」

 震えるあたしの声は、ただ花を枯らすだけ。蝶になんて、なれやしない。
 音奏者なんて、大嫌い。
 だからそう答えたのに、王子はぶっ、と吹き出した。

「……なによ」

 不機嫌まるだしの顔で問いかけるあたしに、王子は笑った。初めて。
 嘲りも憐れみもない、蕾が僅かにほころぶような微笑。

「だってあんた、泣いてるからさ」

 ……え?
 あたしは慌てて目許をごしごしこする。
 やだ、なんで初対面の男に涙なんて見せてんの。

「俺のピアノ、そんなに良かった?」
「よよよ良くない! だいいち音なんて聴こえないし!」

 目を細める王子は、さっきの微笑みなんて嘘みたいに意地悪そうな表情。
 詐欺だ! 詐欺だよ!

「嘘言うな。俺のピアノが良くないわけないだろ」

 しかも何この自信過剰っぷりは!
 綺麗な顔にじろりと睨まれて、あたしはつい余計なことを口走ってしまった。

「で、でも花火は綺麗……だった」
「つまり俺のピアノが良かったと」

 至極冷静に言い直された。反論出来ない。
 あたしは……。
 あたしは、音奏者になりたかった?
 自問の答えは、とうに知っている。
 ただ、悔しくて。
 別に世界を書き換える力が欲しかったわけじゃない。
 あたしの手が。あたしの足が。あたしの声が。不協和音にしかならないのだと思ったら、酷く悲しくて、羨ましくて。
 だから大嫌いなふりをしていた。
 拭ったはずなのに、目頭が再び熱くなる。

「音奏者である俺のことはどうでもいい。でもあんたは俺のピアノ好きだって言ったじゃん。それでいいだろ」
「いや、ピアノが好きとは言ってな……」
「言ったよな」
「…………」

 渋々頷くあたし。何故だ。何故言い返せないんだ。
 王子は鍵盤に指を這わせて、

「これでラスト。しっかり見とけよ」

 再び花火を打ち上げた。
 王子が奏でる音色が、眠れる花を呼び覚ます。
 しなやかな指は、踊るように跳ねるように鍵盤を叩いて滑る。
 真剣な眼差しで、でもとても楽しそうに王子はピアノを弾いた。
 ああ、好きなんだ、ピアノ。
 王子が最後の音を解放した。
 夏の夜空を大輪の花が彩る。

「あんたやっぱり俺のピアノ好きだろ?」

 そう、王子が笑うから。
 あたしは素直に頷いた。

「うん。……音奏者も、悪くないね」

 大嫌いなんて嘘。
 あたしの心に花火があがる。鮮やかな色が弾けて、花開く。
 それは王子が咲かせた、始まりの花。

 ――君という、恋の花。

fin…

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