ルルルルルルルルルルルルルルルルルル。
 枕元で鳴り響く無機質な音。
 私は重い瞼をゆっくりと開けて、一旦閉じて、また開ける。
 携帯を手に取ればディスプレイには知らない番号。市外局番044……公共機関?

「……はい」

 回らない頭でそれを手に取り短く答える。勿論、電話は充電のコードにぶら下げたまま。

「こんにちわ、水道局の者ですが、四ッ谷様でいらっしゃいますか?」

 ああ、やっぱり。
 適当な相槌を返してとっとと切り抜けてしまえと私は枕に頭を埋めたまま天井を見上げて答える。

「三月、四月分の水道代の方なのですが、もうお支払いになられましたでしょうか?」
「ええとー……、払ってませんでしたっけ?」
「払ってないですね」
「そうですか」
「今週末までにお支払い戴けますでしょうか」
「善処します」
「よろしくお願いします。では失礼しますー」

 ガチャリと受話器を置く音。
 朗々とした職員の事務的な「失礼しますー」が頭の中で二、三回リピートする。

「ああああああああああ、めんどくさいなー」

 ワンルーム一人暮らしの良い所は大声を上げても誰一人文句を言わない事だ。それにしたって目覚めは最悪。誰が好き好んで水道代の請求をモーニングコールに聞きたいんだか。携帯をもう一度手に取り時刻を確認すると午前11時8分。昨夜というか昨日というか今朝というか、4時半に寝たにしては6時間程度の睡眠を取れた分マシか。
 半開きのカーテンからは梅雨の合間の青空が見える。差し込む日差しが窓際の金魚蜂を照らしてキラキラと光る。

「おはよーさん。メメント、モリ」

 水槽の中でふわふわと泳ぐ二匹の金魚に挨拶をして、私の一日は始まる。





 四月。在学生及び教職員全員に義務付けられている健康診断をパスした後、私は大学に行かなくなった。

 きっかけはとっくに忘れたが、昨年後期の成績表の進級是非欄に「進学を許可します、新三年生として頑張ってね」を示す丸印が付いてるのを見た途端、何か大事な何か、男子でいうほとばしるリビドー的な何かが、音を立てて萎えていったのです。そんな気がする。ちなみにそれまでは自分でいうのもなんだけど成績優秀、皆勤賞な人間だったものだから、もう六月が終わろうとしているのに時々大学の知人から安否確認のメールやら電話やらが来る。

 日光が大嫌いなものだからカーテンは金魚蜂に日が当たる分しか開けないで、パソコンの起動ボタンを押したら真っ直ぐトイレへ。要らん水分を排出したら、そのまま体重計に乗る。50.2キロ。もう少し飯を食わないとそろそろ献血を断られるなという気分と、昨日より0.4キロ痩せてるわという気分が交差して結果的にまぁいっか。冷蔵庫から買い貯めていた1リットルの紙パック緑茶に長いストローを指して、これが本日の水分兼朝食である。

 ベッドと炬燵の間の狭いスペースが私の活動拠点。
 緑茶を床に置いて今日も無事にディスクトップが表示されてるのを見ては「あー、またくだらない一日が始まったー」と、次の行動を考えながらツイッターのクライアントを起動してログを漁るのだった。
 ざくざくと読み漁っていると友人の何気無いツイートが目に付いた。

『今日のお昼はおにぎりー。ちょっと豪華w http://〜』

 添付されてるリンク先にはおにぎり……? の画像。「スプーンで食べるおにぎりカルボナーラ風」。丁寧に先割れスプーンも添えられてある。

「……なんでもかんでも『スプーンで食べる』って付けりゃいいてもんじゃねーぞ……?」

 おにぎりというのは茶碗二杯に山盛りの飯を用意して、ていやとその二つを豪快に合体させてぎゅっぎゅと握り、塩と海苔で食うものだ。少なくとも私の中では。「スプーンで食べるロールケーキ」とか「スプーンで食べるどら焼き」が流行ってる世の中でそろそろ「スプーンで食べるラー油」とかが出そうでなんか嫌だ。

『@XXXXXXX それは…おにぎりなの…?』

 と、色々と簡潔にまとめたリプライをして、クライアントを最小化。
 おにぎりについて考察してたら握り飯が食べたくなってきたので久しぶりに米を研ぐ事にした。ああ、米がこれで最後。

 金魚を見ていると他人の様な気がしない。炊飯器がシューシューと蒸気を吹き出している間、私はベッドに横たわりメメントとモリを眺めていた。彼らにはこの狭い水槽の中だけが世界なんだと思う。私にとっての、このワンルームみたいな。彼らが外に憧れを抱いているのか、それとも知らないのか、それは私にはわからないけど。

 ただ、私にとっての「外」は、虚しく煩雑としただけの世界でしかないんだ。
 ルルルルルルルルルルルルルルルルル。
 無機質な携帯の音。
 今度はディスプレイに名前が表示されていた。

「やあ、引きこもり」

 出るとこちらが言葉を放つ前にお決まりの文句が飛んできた。
 こういう歯にモノ着せぬ云い方をする友人は一人しかいない。そして二人目はいらない。

「うるさい、就活難民が。今日は学校じゃないの?」
「面倒だからサボった」

 反省するそぶりなど微塵も出さずに云い放った彼は、もうかれこれ数年来の幼馴染である。大学四年であるくせにろくに就職活動もせず、ひなが文芸活動に励む。かといって、文芸系のサークルには属さぬ、つまり要するに変人だ。

「なんの用?」
「ツイッターでなんか書いてたから、起きてるんだと思って電話した」
「なるほど、つまり意味は無いのか」
「うん」

 プチ。
 私は迷わず通話終了ボタンを押した。
 間髪入れずに再び鳴り響くルルルルルルルル。

「やあ、引きこもり」
「……だからなんの用だよ」
「暇なんだ」
「切って良い?」

 気が知れた相手と行う、次の行動が読める遣りとりというものは何度やってもおもしろい。今もう一度切ったら、もう今日電話は鳴らないだろう。特に用事もないが、暇なので相手をする。してやるなのか、してもらうなのか、その辺は割とどうでもいい。

「今朝」
「ん?」
「水道局から電話来て起こされたんだけど、なんかね、『三月、四月分の水道代はお支払いになられましたでしょうか?』って聞かれたから、『払ってませんか?』って云ったら『払ってないですね』って云われたんだよ」
「ほう」
「これ、『三月、四月分の水道代、払ってないので早く払ってくれませんか?』って単刀直入に云えないもんかね? って思った」
「ああー。さすが日本のお役所的な対応だな」
「私、外出したくないから今度代わりに払いに行ってくんない?」
「君はもう少し外出した方がいいと思うんだ……。コンビニ、徒歩2分じゃん……」

 全く以て彼の云う通りなのだが、公共料金の請求書など、もう彼是一ヵ月くらい見ていない郵便箱の中でポスティングのチラシと一緒にごった返している事だろう。それを確認しに部屋を出て、マンションの入口まで行くのも億劫だ。いつからこんなに怠惰な人間になったのだろうなと頭の片隅でぼんやりと思う。

「そういえば、あのさぁ」
「うん?」
「いや、すごくどうでもいいんだけど」
「どうした?」
「毎回、引きこもり呼ばわりする事やめてくんない?」
「引きこもりじゃん」
「いや、そうだけど」
「じゃあなんて呼べばいいの」
「引きこもりだと根暗な感じがするので『家ガール』」
「なにそれ新しい」

 先程ツイッターを漁った時に何気なく目に付いた単語。

 「家ガール」。

 森ガールとかバンギャなどが持つ独特の語感を醸し出してる。
 私がまだガールという年齢なのかどうかは知らないが、取り敢えず今日から「家ガール」と自称しようと宣言する。かと云って何か行動を起こすつもりは何も無い。

「さて、私はそろそろ何かするよ。作曲でもする」
「家ガール的だな」
「MIDI制作ソフトに音打ちこんでMIDIファイル作ったらそれをMML変換ソフトにぶちこんでMMLに変換して最適化掛けて圧縮すると私のオリジナル曲がネトゲの演奏スキルで演奏出来るようになるんだよ」
「このネトゲ充め」
「君も電話してる暇があったら生産的な活動に身を置いたらどうかね」
「順調なので問題は無い」
「お互い将来が不安でいっぱいだな」
「一緒に五年生になって卒業はしようぜ」
「まぁ、そのつもりだ。で、私は真面目に作曲するよ」
「そうやって曲を作る君は、夢の欠片を内に秘めて大人になっていくんだな。悪く言えば可能性ばかりの器用貧乏」
「お互い様だな。それではサラダバー」
「俺も何か書くよ。ではね、家ガール」


 
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