今様歌物語
〜うまく言えない〜
05
(……灯火野くん)
この声に反応して、いつの間にかつむっていた目を開いた。陽瑞さんが、僕を呼んだんだと思った。それはそのまま彼女の声だったし、さっきまでこの場所には僕と彼女しかいなかったから。
でもこの部屋には今、僕しかいない。
「陽瑞……さん……?」
どこに行ってしまったんだろうというよりも、何が起こっているんだろうという不安が僕を襲った。
「何をそんなに迷っているの?」
声は、小雪の降り続く窓の方からした。
「もう私のこと忘れちゃった? 意外と薄情なんだね、灯火野くんって」
軽口はあくまで軽やかで、僕の頬をぴしゃりとはたくようなキレがあった。それはとても懐かしかった。
「緋穂さん……!」
僕の目の前に現れた君は、1年前と全く変わらぬ姿でそこに立っていた。
目を泳がせ口を無意味にぱくぱくと動かし、最初に出てきたのは平坦に乾いた笑いだった。
「また……突然に現れるんだね」
思い起こせば、最後に彼女に会ってからもう1年が経っていたんだ。時の早さ、季節の移ろいの早さに今更ながら驚きを覚えた。つまり僕は、1年間ずっと文学に対する心を胸にひっそりとしまってきていたのだ。
「今、どんな話を書いてるの?」
彼女に聞かれて、僕はいきさつから今に至る全てを話した。新入生の勧誘、僕が提案した冊子作成の企画、そして思いがけないスランプ。思いが溢れすぎて文字にならない苦しみ。
「どんな出会いも、大切にしてほしい。世界には沢山の人がいて、その人それぞれの考え方があって、それらに影響されながら僕は僕であることが出来るんだって……それを僕は新入生に伝えたいんだ。でも、どうしても……」
岡田さんや榛紀さんのような先輩に会えたのも、陽瑞さんのような同輩に会えたのも、偶然で終わらせるにはもったいない。それは僕にとって、「出会い」と言うに相応しい出来事だった。僕が新入生にとって彼らのような存在になれるかは自信が無いけれど、僕は一年前の僕よりも僕を見つめる事が出来るようになったと思う。自分を表現する事は自分を受け入れる事、そしてそれはとても素晴らしい事なんだと、僕はこの一年で感じるようになったと言うのに。
「そう……じゃあそれでいいじゃない」
「でも、どうやっても言葉が出てこな」
「見えない? 今の灯火野くんの言葉から広がる世界が」
僕の言葉を遮った君の口調はより強かった。
「君が立ち尽くしている砂漠に、たった今『景色』や『道標』が打ち込められたのが、君に見えてないはずがない」
強すぎる思いは言葉にならないんだとばかり思っていた。なぜ僕は、言葉を『選ぼう』としていたのだろうか。書きたい言葉はいつも歩いてきた足跡の脇にそっと置かれていて、僕はいつもそれらを慎重に拾っていただけじゃないか。
……何を焦っているんだ僕は。
「水鳥の発つこの場所に刻まれた君の足跡道の始まり」
君はまた、部屋に僕と歌を残して雪の降り止んだ窓の景色に消えた。
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