今様歌物語
〜忘れられない〜


終章 忘れじの二人の記憶射影する花に光るは朝露の玉

 そのひとときだけで僕たちの間の気まずい雰囲気が消えたわけではなかった。でも、あの日がきっかけで僕は雨掛さんとよく話すようになった。初めは岡田さんが仲介に入って話を盛り上げてくれたりしてくれたけれど。

 そもそもあの日の事前に岡田さんは、会話がスムーズに進むようにと僕のことや僕の話の概要を彼女に話し、そしてあの二つの作品を渡したのだそうだ。彼には感謝してもしきれない。

 先日、彼女にこんなことを聞いてみた。


「どうして僕の言うことなんか信じたのさ? 僕は君にとってもはや変質者の域にいた人間だったのに」


 これは自嘲でも何でも無い。僕のあの言動は実際、文字通り変態だったと思う。


「灯火野くん、『どうして』が多いですね。……うーん、上手く説明できないです。サークル長に説得されて納得した部分もありますし」


 彼女は照れたように笑った。彼女は君よりも曖昧で柔らかな表情を見せる。


「ただ、変質者だなんてこれっぽっちも思ってはいませんでした。あなたの真剣さは伝わっていましたし、何か行き違いが起きているな、くらいは気付いていました」


 冷静になれた今、彼女の言葉の節々で彼女と君との違いがにじみ出て分かる。


「ただ、どうしていいか分からなくて、怖かったんです」


 僕にはかける言葉が見当たらない。


「早く、忘れないといけないのかもしれない。僕はあまりにも過去のことを引きずりすぎてる。……それがよく分かった気がするよ」


 自分の拳で自分の頭をゴンゴンと叩いてはみるが、そんなことであの眩しい記憶は消えない。


「無理に忘れることはありません。無理なことをするから歪むんです」


 歪み。確かにそうかもしれない。


忘れじの二人の記憶射影する花に光るは朝露の玉


 君の歌が君のものであったように、彼女の歌は彼女のものだ。それ以上のところに僕が踏み込む余地はない。


「雨掛さんの歌は、静かに寄り添ってくれる優しさがあって、好きだ」


 そう言って僕が笑うと、彼女も微笑んでくれた。

 君に会いたいと思う気持ちには変わらないけれど、僕の中で何かが変わった。一人暮らしの引っ越しはとっくに終わっていたけれど、心の引っ越しと整理は今ようやく終わったのかもしれない。

 『春は別れの季節でありまた、出会いの季節』。古人は上手いことを言ってくれたものだ。

表紙

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