11.不可解

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 会計を終えた可那子さんが買い物かごをよいしょっと声をかけながら持ち上げて、こちらの方にとたたた、とやってきた。二人で食材を袋に詰め込み、僕がかごを返しているうちに可那子さんは自動ドアの外で僕を待っている。
 深い茶色のトレンチコートのポケットから両手を出して、少し重たそうにする両手の荷物を彼女から受け取ると、可那子さんは少し驚いたような顔をして「ありがとっ」と笑った。袋の片方には2リットルのミネラルウォーターが入っていて、ずしりとレジ袋の持つところが指に食い込ませる。ちらと見やると、可那子さんの指が少し赤くなっているのが分かった。

「かごを返すんじゃなくて僕が荷物を持てばよかったね、気づかなくてごめん」
「そんな、謝ることじゃないよっ」

 細かく首を振る彼女の揺れる瞳に綺麗なハイライトが映りこんだ。こういうあどけない可那子さんの表情は、何度でも見ていたい思える。

『今日は実家からネギがたくさん届いてね、もうすぐ寒くなってくるし、シーズン初の鍋作ろうと思ったの。それにその……たくさんあるから、謙太くんも一緒に食べるかなって思って……』

 そう電話口で言われたのが、なんでもない今朝。土曜日だということに甘んじて惰眠を貪っていた僕は、呼び出し音で目を覚ました。

「お言葉に甘えて。作るのも手伝うよ」

 安心したため息のあと、話し声で寝起きなのがバレバレだと笑われた。

「あの、やっぱり半分はあたしが持つよ」
「いいって、重いよ」
「そーじゃなくて……」

 どちらかというと重くない左手の荷物を渡すと、可那子さんはそれを左手で持った。そうして空いた僕の左手を、彼女は右手で控えめに握る。

「こっちの方が、いい」

 顔を真っ赤にしてポツと呟いた。目も合わせられずに僕の指先を弱く握る姿は、きっと学科の誰も知らない可那子さんだ。

「……女の子ってそういうことを考えながら過ごしてるの?」
「『そういうこと』って?」
「きっと今、荷物が半分なら手を繋げるって思ったんだと思うけど、僕なら絶対に思いつかないや。ただ、荷物を持ってあげることくらいしか」

 車道側を歩くとか、階段を降りるときは少し前を歩くとか、いわゆるどこかで聞いた教科書どおりのことなら僕にもできる。でもその範疇を超えるとどうしても僕は配慮が足りなくなる。

「いつも考えてるって言うとすごく変な感じもするけど、そうだな……。近くにいられる間だけでも、好きな人のことを感じていたいとは、思ってるかなぁ」

 手を繋ぐのはこんなに恥ずかしがるのに、好きという言葉は惜しみなく口にする。それも不思議だった。
 ただ、化粧っ気のない可那子さんの顔を見ているのはとても気分が落ち着く。




 座っているだけではさすがに手持ち無沙汰だったけれど、なんの役にも立たないのだから静かにしていようと観念してあぐらをかき直した。部屋をまじまじと見回すのも失礼だろう、僕はエプロンをつけた可那子さんの後ろ姿を見ていた。

「うふふ、謙太くん、あんまり料理しないでしょ」
「面目ありません」

 可那子さんの包丁捌きは、素人目からも見事なものだった。トントンという心地よい音とともに手際よく刻まれた食材が次々とトレイに盛られていく。

「ううん、でも謙太くんにも出来ないことがあるんだなって。少し安心した」
「そんな、何でもできると思われてたのか……参ったなあ」
「だって謙太くん、一人で生きていけそうな感じがするんだもん。信じられるのは自分だけっていうか」

 でも、安心したのは本当だよ、と可那子さんは振り返って優しく笑う。

「だから……あたしにできることがあったら、なんでもするよ。あたしにできることなんてたかが知れてるけど……」

 誰かのために生きるなんて、誰かを幸せにするなんて、おこがましい言葉だ。自分の事だって幸せにできてるかどうか疑わしいもんだ。
 ……今までの僕だったらそう悪態づいていたかもしれない。でもなぜだろう、可那子さんが口にするその言葉は、今までの僕が毛嫌いしてきたものとは違う響きを持って聞こえる。


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