10.二年生夏

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(間違いない……)

 自信を持って言える、あの影を見間違うことはない。早歩きは小走りになり、その背中が少しずつ大きくなっていく。その人は沖の方にせり出したコンクリートの架け橋の縁に腰をかけて、その長い髪を潮風にたなびかせていた。海側に投げ出された両足に力がない。近づくとき、自然と足が音を立てないように大地を踏む。

「左良井さん」

 下手に驚かせて波に落としてはいけないと思いつつも、波の音のせいで僕が近づいたことに気付いていなさそうな彼女を驚かせずに呼ぶには、少しの緊張が必要だった。
 しかし彼女はゆっくりと振り返る。振り返るために座る位置を少しずらしたそれだけで、僕の心臓は激しく踊った。立ち上がろうとする彼女に手を貸そうと思わずにはいられない。
 なぜこんなところにいるのか、バーベキューがあったことは知っていただろうに……。今日でなくたって話したいことは沢山あったけど、あえてここで話さなければならないことは一つもない。

「潮風が気持ちいいのは認めるけどそこは危ないよ。一緒に行くから浜の方に行こう、もうみんな帰るところだから」

 立ち上がるのを手助けしようと手を伸ばす。

「別れた、あの人と」
「え?」

 潮にまぎれてよく聞こえなかった。でも、彼女の方に伸ばしかけた腕の筋肉は少しこわばった。

「お別れした。もう、会わない」

 それだけを言い残して沖を離れる。コンクリートから砂浜に足が移るまで、僕らは終始無言だった。声をかけられなかったのは、彼女が声を出すことさえ億劫そうだったからだ。

「ちょうど去年の事ね、私がしばらく大学休んでいた事があったでしょう? あれね……彼に呼び出されてたのよ。
 不安定で、今にも死にそうだって言ってたから、放っておけなかったの」

 泡だらけの波が左良井さんの足元までぬるりと迫ってきて、引いていく。

「……はあ、包み隠したって意味ないわよね。
 ずうっと、身体ばかり求められてたわ」

 サーっという波の音が幾重にも重なって、僕らの間を飲み込んだ。

「越路くんの家で付き合ってる人がいるって言ったあの日、彼に別れを切り出そうか迷っていたときだった。あなたに全部打ち明けて、あなたの意見を聞いてから離れるかこのままでいるか決めようと思ってたの。
 でもそれは私が間違ってた。彼と越路くんは全く関係ないわけで、自分の事は自分で決めなきゃよね。越路くんにああいう風に言われて、結果的には良かったと思う」


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