1.入学式

05

 大学生活の滑り出しは、おおむね順調と言えた。分からないことや不安なことはあっても、それは全てが初めてのことであるからで特に心配はしていない。講義の内容は期待通り深く、それでいて狭さを感じないのが不思議だった。

「えー、またエラー? もうマジ意味分かんない!」

 一年生のうちは必修の教養科目が専門科目よりも多くて、得意分野とはほど遠いそちらに四苦八苦する学生も少なくない。講義内容は教授の裁量だけで決まるものだから、講義によってその難易度もまちまちだ。今履修しているコンピュータとプログラミングの講義は簡単だという噂を鵜呑みにして学科のほぼ全員が受講しているが、今年から教授が変わったらしく四回目にして早くも音を上げる学生が出てきた。

 一通り課題の説明をし終えて教授が早々に講義室を後にしたその直後、室内はざわつき始める。

「だいたいさあ、あの教授の説明早いし分かりにくいし最悪! 説明一回聞いただけじゃ分かんないよ。もっと大事なところを強調してほしいっていうか。もっと面白かったらちゃんと聞くのにさ……」

 教授がいないことをいいことに、みな口々に言いたい放題である。僕もこの方面に関しては得意ではないが、配布された資料を読めば今日中には出来そうな課題だとは思った。半分くらい仕上がったところで両腕を頭上に伸ばすと、右肘がどん、と誰かの身体に当たった。

「あ、悪い」

「どの辺まで進んだ?」

 ぶつかったことに関して全く気にする風でもなく、僕が対峙しているディスプレイを覗き込む細身の男子。目がチカチカする明るい金髪がとても特徴的だが、まだ名前がわからない。

「半分くらいかな。今日中には終わると思う」

 すげーな、と呟きながらまじまじと文字列を目で追っている彼。くっきりと黒い瞳に目力がある。

「ここんとこ、説明にあったか?」

 その至極真面目な目つきに僕は軽い安心感を覚えた。

「それは資料にあったのを参考にした。説明された構文で書けないこともないんだろうけど、こっちの方がきっと簡単に書けるよ」

 説明をしているうちに、周囲には四、五人が集まっていた。

「すごいね、越路くん! 私も見ていい?」
「やべーな、ちょっと最初の方だけ写させて」
「写した奴、後で俺にメールしといて!」

 中にはぶつぶつと僕が書いたプログラムを呟いて暗記しようとしている奴もいる。教授が去った直後とは違った騒がしさが再びやってきた。安堵の笑みもちらほらと見え、僕にはただ居心地の悪さだけが残る。

「……まだ半分だし、写すほどのもんじゃないよ」

 僕の声は果たして何人に届いたのか。その間も僕は写したい人のために作業を中断せざるを得ず、携帯で撮影された画像は学科内で次々と共有されていく。自席で作業を再開した金髪は、ただ静かにディスプレイを見つめながら両手を動かしている。

 ガタンと後方で音がして、手持ち無沙汰な僕はそちらを振り返った。左良井さんが荷物をまとめて講義室を出ようとしている。

「まーちゃん、どこ行くのー?」

 「真依ちゃん」が省略されて最近はまーちゃん=i発音はちょうど麻雀≠ニ同じだ)と呼ばれるようになった彼女の声はいつもと同じ調子で単調だった。

「終わったから、帰る」
「えっ、終わったの!?」

 驚きの声には耳を貸さずに、ドアの向こうに消えた左良井さん。彼女の退室と引き換えに時が止まったかのような静けさがやってきて、室温も一度くらい下がったような気がした。

「左良井さんって頭いいんだな。印象通り」
「でも、ちょっと冷たいな。印象通り」

 戸惑いを隠せない男子達のささやきを、僕はどこか爽やかな気分で聞いていた。

「冷たいっていうか、ちょっと怖くないか?」

 そうだっただろうか? 僕は同意しかねる。今の左良井さんの、一体何が怖かったのだろう。


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