第3話
(捨てたものは君への手紙)
(さよならを告げた、あの手紙)
(何処へ捨てたのか もう思い出せやしないんだ) 普通、異世界に来たら、悪人に襲われたり文化の違いに戸惑った挙句捕まったり、……そこまでいかなくても、多少のすったもんだはあるんじゃないだろうか。僕はあまりそういうゲームとか漫画とかに縁遠い人間だから、よく判らないけれど。
例えば、王様とかお姫様とか偉い人達がずらりと並んで迎えていて、「お待ちしておりました」というような?
例えば、得体の知れない不審者にやたらもったいぶられて大袈裟な運命を告げられたりだとか……?
そう考えていたら、背筋に悪寒が走った。冗談じゃない。そんな始まりじゃなくて良かった……。無意識に両腕を抱きこみ、自分の体をさする。
「葉月、寒いの?」
キッチンでお玉杓子に似たものを片手に、リーレイが尋ねてきた。鍋からは温かい湯気がゆらゆらと立ち上っている。
「いえ。ちょっと、考えごとを」
本当に、どうして僕はこんなにまったりとした日々を送っているんだろう。リーレイは小首を傾げて、そう? とだけ言うと、また鍋の方へ視線を戻した。
……そういえば。僕は背中でひとくくりにされたリーレイの長い髪を眺めつつ、彼女に聞こえないように溜め息混じりで呟く。
「この人もそうだったな……」
僕の異世界生活はなんらセオリーはずれじゃないってことだ。……ただ、どうしようもなく毎日がまったりしているだけで。
「待ってた」とか言われるし、救世主もどきに祭り上げられるし、そう思うとたいして変わりはない気がする。
僕はキッチンの入口の柱にもたれかかり、軽く腕を組んだ格好で、料理にいそしむリーレイを見つめていた。
「――葉月」
「…………」
「葉月?」
「……、何?」
気付けば少しむくれた顔で、リーレイが僕をじっと睨んでいる。
「なにをぼーっとしてるの?」
「……別に。なにも」
さりげなく視線をそらして、僕は当たり障りのない応えを返した。途端に、右の頬がむにっとつねられる。
「そんな場所で立ってるだけなら手伝ってくれてもいいじゃない?」
「……痛いんですけど」
目線だけで僕は訴える。
「それを自業自得って言うのよ? 葉月はお皿用意してね」
「……わかりました」
「あ。溜め息禁止! 気分が沈むからダメなのよ」
「…………」
どうやらここでも、「溜め息つくと幸せが逃げる」みたいだ。解放された右頬をさすりながら、僕はリーレイと並んでキッチンに立った。
ふと、コンロに置かれたフライパンもどきが目に入る。円形の浅い底に、棒状の取っ手がくっついた、元の世界でもおなじみの形。たぶん、用途も同じ。
僕はそれを手に取ってしげしげと眺めた。
……文化が、似ているのだろうか。それとも、こういう日用品はどこでも似たような形状になるのだろうか。それにしたって、あまりに似すぎている気がする……。似てるというより、まるきり同じだ。
「葉月、なにしてるの?」
「え? ……いや、なにも……」
フライパンもどきを、僕は元のようにコンロの上に置いた。
「それが珍しいの?」
「元の世界にも、似たようなのがあったなぁと思って」
「そうなの? 不思議ね、全然違う場所なのに。それはね、炒めるときに使うの」
「……やっぱり」
――そう思えば、こっちに来てからというもの、用途が全く想像出来ないもの、に出会ったことがなかった。少なくともこの家にあるものは、みんな何かしらに似ていて、かつそれとほぼ同じ使い道だ。
まるで模造品か何かのように。
もちろん、それが悪いわけじゃない。でも、こんなことって、あるんだろうか……。
「……葉月。手伝う気がないならご飯あげないわよ?」
見ればけっこうな凄みをきかせて、リーレイが仁王立ちしていた。
これは……まずいかもしれない。話を聞いていなかったのはこれで何度めだっけ。
「……まあ、ご飯がなくてもそれはそれでかまいませんけど」
「! わたしのご飯、美味しくない?」
「どうしてそこまで話が飛ぶのかがわかりません」
おたまを持ったまましょんぼり俯く彼女に、僕は宥めたらいいのか励ませばいいのか判らず、ただやり場のない両手だけが出たり引っ込んだりするばかりだった。かなり情けない。
「そうだ、葉月」
「はい」
「禁止事項がもうひとつあったわ」
ちらりと上目遣いにこちらを見上げてリーレイが不敵ににっこり微笑む。僕ははもう半ば呆れまじりだ。
「……なんですか?」
リーレイはびしっと僕の顔面めがけておたまを突き出し、
「敬語は禁止!」
と言い放った。
「……は?」
「だから、敬語を止めてほしいのよ。判る?」
「ええ、まあ……わかりまし


」
「あ、ほらそれ。禁止よ」
さっそく注意を受けてしまった。僕は仕方なく、彼女の要求どおりに口調を変える。
「わかったよ。これでいいの?」
僕の言葉に、リーレイが嬉しそうに笑った。そんなに喜ぶものかなぁ。
「よし、じゃあご飯にしましょう!」
スキップでも始めそうな勢いで、リーレイはことこと煮立つ鍋の方へ向かった。すでにさっきから美味しそうな匂いがたちこめている。
「……それ、僕ももらえるの?」
確かあげないとか、言っていなかったっけ。
「こんなにたくさん、ひとりじゃ食べられないわ」
そう言って、リーレイはふたりぶんの皿に鍋の中身をよそっていく。
見た目は、ビーフシチュー。……たぶん、味もビーフシチュー。そんなことを思いながら、僕も自分のぶんを持ってテーブルについた。
それほど大きくない木製のテーブルの向かいに、リーレイが座る。くくっていた髪はもうほどいていた。
「いただきます」
「……いただきます」
挨拶をして、僕が木製のスプーンを手に取っても、リーレイは黙ってにこにこしたまま、僕の顔をじっと見つめていた。僕はぴたりと動きを止めて、彼女を見返す。
「あら、食べないの?」
「……そっちこそ、食べないの?」
「葉月が食べたら食べるわ」
「…………そう」
素っ気なく答えて、僕はスプーンを口に運んだ。見つめられているので、なんだか気恥ずかしい。
「おいしい?」
ちょこんと小首を傾げて尋ねるリーレイは、とても楽しそうだ。
僕は直感的に悟る。


これは、「おいしい」と言わなければいけない状況だ。
もちろん、彼女の料理はとても上手で、おいしくないなんてことはひとつもないのだけれど。でも、今までこんなことは一度も聞かれたことないのに。
「おいしいの? おいしくないの?」
僕が答えあぐねていると、リーレイが少し怒った様子で身を乗り出してきた。
「……おいしいよ」
そっくりビーフシチューの味。
「ほんと!? よかった!」
僕の答えを聞いてにっこり笑うと、リーレイはやっと自分もスプーンを手に取った。
――たとえば、この料理を作るのが初めてで自信がなかったとか。……たとえば、何か入れてはまずいものを入れてしまったとか。どっちにしろ僕は毒味係か。
「葉月、なんにも言わないからちょっと不安だったの」
「…………なにが?」
「何って、ご飯が」
……何の話?
僕が訝しげに眉根を寄せると、きょとんとした顔で彼女は言った。
「だって、今までおいしいともまずいとも言ってくれなかったじゃない」
…………………。
「そう、……だっけ」
「そうよ?」
ていうことは、つまり……。
「言ってほしかったの?」
口にした途端、しまったと思った。地雷を踏んだ、気がする。ちらりと様子を窺うと、案の定リーレイは口をへの字に結んだまま、むっつり黙り込んでいる。
僕はさりげなく目を逸らして、はぁ、と溜め息を――
「葉月」
「……はい」
「溜め息禁止」
「……。ごめん」
僕がうなだれると、リーレイはいくぶん声音を弱めた。
「……葉月?」
「なに」
「これ食べ終わったら、出掛けましょうね」
「何処へ?」
また木の実採集にでも行くのだろうか。しかし答えは違うものだった。
「北の扉よ。もう一度あそこに行けば、何かてがかりがあるかもしれないでしょ」
「てがかりって、なんの?」
「あなたが本当にアースマスターかどうかのよ!」
そういえば、そんな話だったっけ……。まったりしすぎてすっかり忘れていた。
確か北の扉というのは、僕がこの世界にやってきたときにくぐったものだ。見た目は、とてもサイズの大きいどこにでも行けそうなドア。
「忘れてたのね! ひどい」
恨みがましい目つきでリーレイが睨んでいる。
僕はあさっての方向を見ながら、
「そう言われても。僕はアースマスターじゃないし」
……確かに忘れてはいたけど。と、心のなかでそっと呟く。
「それでも行くのよ!」
僕の意向はまるっきり無視して、リーレイはきっぱり言いきった。そして、いからせていた肩を急にすぼめると、ごくごくちいさな声で、「葉月のバカ」と言った。
馬鹿って……。そんなふうに言われる所以が解らないんだけど……。因果関係のまったく判らないリーレイの言動に、僕は閉口するばかり。
――僕は何の取り柄もない、ただの高校生だったのに。十七年も、生きる意味を見出せずにいたというのに。
……自分が暮らしていた世界さえ、捨てた人間に。
この世界を、救えるわけがない。
……そう、僕は、思い込んでいたんだ。このときは。
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