息が掛かる程近くに、奴の気配。

生憎今日は相手をする気分じゃない。思いの外強い日差しに意識が飛びそうなのだ。それなのにわざわざ公園などに居るのは、糖分の摂取が出来ない苛つきをぐちぐちと言葉で浴びせかけてくる家主から逃れる為であった。お前は良いよな酢昆布なんてやっすいモンで満足出来てよォマジで羨ましいわまあそんな貧乏臭い食い物銀さんは勘弁だけどー、そう言って鼻をほじりながら椅子にふんぞり返る天パにアッパーを決め飛び出してきたまま、足はこの場所へと走りだしていた。辛うじて傘は持ってきたものの、熱を持ったベンチに居座り続けるのも限界が見えてきた。くそ、こんなことなら志村邸にでも逃げ込んでいれば良かった。

──そんな後悔をしている矢先の、天敵の接近。

正直、今の状態での応戦は厳しいものがあるが、黙ってやられてやる程心が広い訳でもない。相手は油断しているようだし、ここは鳩尾に一発入れてからのコンボか……。体力の消耗を最低限に収める戦闘プランを頭の片隅に置き、沈みそうだった意識をなんとか引き戻すと、空いた片手を軽く握り込んだ。
──しかし相手も様子を窺い過ぎではないか、そう不審に思いつつそろりと持ち上げた瞼の外側。


「………」


蜂蜜色が眩しい。深い臙脂は細められ、綺麗な睫毛によって少し陰を帯びている。
男のクセに、と思うのは初めてではない。


「お目覚めかィ。っチ、良いところで……」
「いやいやチ、じゃねーヨ。オマエが起こしたようなもんダロ」


言葉を交わす、ごく自然に。
ただ、決定的におかしな点がひとつ。


「……近くネ?」


気配からは察していたものの、思っていた以上にその距離は無きに等しい。鼻が触れ合いそうな程のそれは、奴によってさらに縮められた。


「そりゃあ、近くなきゃ出来ねーし」
「出来ないって、何が」



返答は無かった。
──それとも、押し付けられたこの熱がその答えだと言うのか。


「……っ」


くっついてるよ、ねえ。
距離感判んなくなったんデスカ?


「なにす、んぅ」
「……ふ」


何度も何度も、食むように塞がれる唇。
何コレ、新手の攻撃?
……ああきっとそうだ。だって息出来ないし、心臓痛いし、なんかぞわぞわするし。


「は」
「……はぁ。やらけ」
「おま、は?」
「つーか熱ィ。日差しにやられてんだろてめー」


身体が浮く。抱き上げられているんだ。所謂、お姫様抱っこ、で。
あ、傘落としたじゃねーかコノヤロー。


「万事屋で良いだろィ」
「え、や、銀ちゃんウザイから嫌アル、じゃなくて、傘」
「へいへいちゃんと拾ってやらァ。んじゃ何、姐さん処か」
「うぇ?姉御?」
「……なんでィチャイナ、寝惚けてんの」


ばさり、頭に掛けられた布。黒くて自分を容易に覆い隠すそれは、私を奴の匂いに埋めて沈める。


「取り敢えずはそれ被っとけ。屯所で良いだろ」


遮られた光に代わり視界を暗くする黒衣の陰。徐々に冴える頭は、先程の出来事を鮮明に描き直して私の意識に叩き付けた。


「っ……!!」


ちゅー、だ。
あれには、そんな名前がついていた筈だ。


「季節無視で熱中症もどきな症状が出ちまうたァ中々厄介だな」
「オマエ、さっき」
「アイスとか食えば治るか?あー、やっぱ水分か先に」
「っさっき!」


胸倉を掴み上げるも、大した力は籠もっていなかった。
こちらを見る相も変わらずの無表情に腹が立ってくる。相手を罵る十分な材料は揃っている筈なのに、言葉は音を纏わない。喉の奥に引っ掛かったまま、もどかしくそこに留まるだけ。

──恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。

目を合わせられない。
触れる身体が異様に熱い。
呼吸の仕方を忘れそうだ。


「っ、……」


また、唇に熱。

意地が悪い。
悪戯にしても度が過ぎている。

そんなに私が嫌いなら、こんな風に触れなきゃいいのに。

……そんな風に、笑わなきゃいいのに。


「驚かせちまったみてえだなァ」


驚いたんじゃない、人を貶める為なら何でもやるオマエに呆れてるんダヨ。


「でもなァ、仕方ねえとは思うんでさ。俺もう二十歳だし」


だからどうだと言うんだ。弁解にもなっていない。


「もう待てなかった」


映る景色はいつか見た税金泥棒共の巣窟に変わっていた。聞き覚えのある声が幾つかこいつを引き止めたが奴はそれをすべて無視、時折私を引き寄せ労りの言葉を囁き掛けた。
静かに降ろされたその場所は冷たくさらさらとした布団の上、見渡す限りあまり広くはない此処は、恐らく奴の自室なのだろう。


「いつまでも餓鬼だし、そのクセ身体だけは立派に女になってるし。だから勝負に出たんでさァ、どう転がってもてめえが俺を意識するように」


髪を撫で付けたり頬に指を滑らせたり、やたらと触れてくる無骨な手が擽ったい。
その感覚に居心地が悪くなって、薄手の掛け布団を頭まで被る。瞬間包まれた本日二度目の匂いに堪えきれずまた顔を出せば、口元をいやらしく歪めた奴が喉で笑う声が耳に入った。


「……何が可笑しいネ」
「真っ赤な顔して可愛いねィ」
「!!?」


なんだかもう目の前の男が誰なのか判らなくなってきた。こんな陳腐な台詞を吐くような奴だったろうか、こいつは。


「無自覚な誰かさんの所為で敵は増える一方、喧嘩相手でしかない俺は下手すりゃそこら歩いてる野郎より不利だったろィ?鈍感なてめえにはあれぐらいじゃなきゃ通じねえだろうし、何ならそのまま手籠めにしちまおうとも思ってた」


丁度弱ってたみたいだしねィ、などと愉しげに言い遣る男。奴が今以上に外道であったならば私は今頃哀れな犯罪被害者となっていたのだろうか。


「それがどうも、てめえ相手にゃ俺も完璧なサディストじゃ居られねえようでねィ」
「何言うアルか。十分サディストダロ」
「てめーそれ土方さんに言ってみろ。甘ェって怒鳴られんぞ」


くしゃり、崩れた表情。素直な笑顔だ。初めて、見た。


「……日差しにやられたのはオマエの方アルな。今日のオマエおかしいネ。頭冷やしてくるヨロシ」
「まだ言うかィ」
「大体、ごちゃごちゃ言われても何処が要点なのか判別不可能アル。男ならはっきり言えヨ」


睨み付けても返ってくるのは生温い眼差しだけ。それが妙に癇に障るものだから文句のひとつでもいってやろうと考えていたのに。
飛び出したのは決定的な言葉を催促するだけの甘えた言葉。


「はっきり言っちまっても良いのかィ」
「あァ?」
「聞いたが最後、絶対に逃げられねえぜ」


逃がす気なんて更々無ェけどな。そう呟くと同時に近付く距離。

オマエのしつこさはトッシー見てれば嫌でも解るアル。うーわ、こんなときに他の男の名前出すとか信じらんね。お仕置きだねィ。お仕置きとか言ってんなヨキモイ。

寸前の距離すら言葉で埋めて、交わる視線に羞恥を隠す。それを見透かしたように笑うオマエは、やっぱり私の嫌いなタイプだと思うんだ。






(愛してる、なんてまだ早い)







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ぱるさまリクエスト
『未来沖神』
沖田氏健全化を目標としましたが、寝込みを襲ってる時点で健全じゃないですね!未来ということで紳士な隊長を心掛けましたが私には不可能でした…。
未来要素薄くてすみません!
リクエストありがとうございました。